日本三大商人の町、近江八幡をゆく
旅先で、特別なことは何もしない。
なるべく飛行機や有料特急を使わずに、電車や船を乗り継いで、あとは見知らぬ町や自然の中を、ひたすら自分の足で、ただただ歩く。いわば現代版・膝栗毛がぼくの旅の信条である。
「歩くだけで一体何が楽しいのか」
と問われるかもしれない。
ぼくはちょっとした旅行記として旅を写真とテキストにまとめる。まとめるためには筆記具とカメラを手に、よく観察しながら歩く。町をキョロキョロ、右往左往しているうちに、一見何でもない風景の中にも発見があるから面白いのだ。その発見はガイドブックやSNSで派手に紹介されるようなことのない、ぼくの視点だからこそのものである。
一方で、限られた時間を有効に使い、名所旧跡を効率よく巡る旅もあるだろう。飛行機や新幹線、タクシーを使えば、移動の労力は最小限だ。
だが、それは移動の楽しみを損なっているとも言える。
確かに早い。しかしそこに、旅情の入り込む余地はないのだ。
それは例えるならばだし巻き卵のだし抜きのようなもので、ぼくにとっては何とも味気ないものなのである。
さて、今回はどこを歩こうか。
そう考えたときに浮かんだのが滋賀県・近江八幡だ。
近江といえば大坂(現・大阪)、伊勢と並ぶ、日本三大商人の町である。
となると、大阪府民のぼくとしてはライバルの動向が気がかりなのは当然のことだろう。伊勢には何度か足を運んだことがあるが、近江八幡は初めてだ。よく晴れた8月の朝、ぼくは敵情を偵察すべく、近江に乗り込んだのである。
旅先で特別なことは何もしない。
と冒頭で書いたが、であるから旅の計画を厳格に決めることもほとんどない。要するに、アクセスに大幅な支障が発生しない限り何時に出発しても問題ないのである。
と、気を抜いていたら、派手に朝寝坊してしまった。
しかし準備を整えて早足で駅に向かったらダイヤが大幅に遅れているではないか。しかも遅れていた電車が、ちょうど到着するころだった。
日頃から<現代版膝栗毛道>の研鑽を積んでいるぼくは”もっている”のである。<会社に遅刻しそうになったら電車が遅れていてラッキー>を久しぶりに味わいながら、JR近江八幡駅へ降り立ったのであった。
電車が遅れていたせいで——いいえ、ぼくが寝坊したからです——近江に到着したのは午後13時を回ったころだった。朝から何も食べていない。ひとまず観光案内所で地図を頂いて、まずは近江の飯処事情の偵察から始めることにした。近江は大阪と違って、気温は高いが心地よい風が吹いていて、いくらか過ごしやすかった。
近江の名物といえば、やはり近江牛が代表各だろう。
それにアユやフナ、モロコなど、びわ湖の淡水魚も名物だ。観光地図を片手に食事、できれば近江の名物を食べさせる店を探しながら、近江八幡駅から北に進む。
すると国道2号線沿い<出町>の交差点にラーメン屋を見つけた。
<九州ラーメンどんたく>
近江まで来て九州ラーメンかとしばし悩む。
しかし何度も言うが、旅先で特別なことは何もしない旅では、べつに地元の名物を食べなければならないという決まりはない。それよりも、腹を満たさなければこの先歩けないのである。
が、窓はブラインドが閉まっているし、看板や店構えがずいぶんと古びている。
はたして営業しているのだろうか。
遠目に店内をのぞいてみると、数名の客のシルエットが見える。駐車場には新たな車が入ってくるではないか。
時刻は14時目前だ。
世のランチタイムは12〜13時と相場が決まっている。
にもかかわらず、少なくない客が入っている。
日々、現代版膝栗毛道の研鑽を積んでいるぼくは、ただちにこのお店が地元の人気店だと確信したのであった。さっそく近江のラーメン事情を偵察だ。
「いらっしゃいませ、空いている席にどうぞ」
建物は一階建てで、カウンター10席、4〜6名がけのテーブル4席、座敷4席、厨房とカウンター席の間には薄型テレビがかけられてあって、ちょうど甲子園が放送されている。山吹色のテーブルにはコショウ、そして餃子のタレ、小皿、ショウガ。テーブルのそばの冷蔵庫にはグラスと瓶ビールがキリリと冷えていて、迷わず注文したことは言うまでもなかろう。
偵察メモ:近江のラーメン屋ではビールがキンキンに冷えている
唐揚げ定食(ラーメン、唐揚げ大3個、ライスおかわり自由、たくあん食べ放題)を注文、ラーメンはもちろん九州博多風、豚骨ラーメンだ。いかにもラーメン屋らしい、漢字と渦巻き模様が描かれたラーメン鉢が気分を盛り上げる。
コショウを少々かけて、ほろほろのチャーシューをパクり。
麺をズズズッとすすり、レンゲでスープをすすったそばからライスを激しくかき込んでゆく。
みるみる体温が上昇する。汗をぬぐう。
揚げたての唐揚げもジューシーで、このセットで900円だから、ランチタイムを過ぎているのに客足が絶えないわけである。
計画を立てない旅ではたまにトラブルにも遭遇するが、ガイドブックを頼りにしていたら多分、出合うことはなかったであろう、地元の人気店を見つけられて、お腹も心も満足である。こういうのがスローな旅の醍醐味なのだ。
退店すると日が少し傾き始めていて、並木道にはヒグラシの鳴き声が木霊していた。
偵察メモ:近江の九州ラーメン屋に大満足
近江八幡は豊臣秀次が築いた城下町だ。
1568(永禄11)年、秀次は秀吉の姉、ともの子として生まれ、後に八幡城を築いた。楽市楽座の自由商業都市を打ち立てるべく、近江八幡を商人の町として繁栄させた。
しかし秀吉の子、秀頼との後継者争いを巡り、1595(文禄4)年に自害させられた。享年28歳。
後継者問題が勃発したとしても、何も命まで取ることはないというのが現代の感覚だろうが、争いに敗れる、それすなわち死を意味するのが、戦国の世だ。これがつい400年ほど前の日本の現実なのだ。
近江八幡旧市街には、秀次が礎を築き、商都として発展した歴史的な町並みが今も残る。出町の交差点からさらに北に進み、仲屋町通りをゆくと、往時の面影が偲ばれる町家や蔵が立ち並ぶ。
その中のひとつ、江戸期創業の酒蔵跡を利用した施設を訪れた。
ここは歴史ある町家などの保全・活用を目的とするプロジェクト「まちや倶楽部」の拠点施設だ。コワーキングスペースやホステル、伝統産業品のショップなどに活用され、その一方で酒蔵の遺構が残されていたりして、古くて新しい魅力的なスペースだった。
赤い錆びの浮かんだ青と緑の樽が印象的で、差し込む陽光に浮かび上がる様子を何枚かフィルムに収めた。
偵察メモ:滋賀の小京都ともいえる町家のたたずまいが美しい
豊臣秀次は八幡山に八幡城を築いた。標高271.9mの山頂には、現在は石垣が残されるのみで、本丸跡には瑞龍寺が建っている。せっかく近江に来たのだから、八幡山から秀次の気分で町を見下ろしてみようと思い立った。
仲屋町通りをさらに北にゆき、八幡堀を渡ると日牟禮八幡宮。その奥の、八幡山ロープウェイから山頂にアクセスできる。
山麓駅から山頂駅まで約4分、往復890円。
ヒグラシの声と心地よい風がロープウェイの窓から届いてきてしばしの夕涼みを楽しむ。
そして、びわ湖はやはり大きかった。
三角点のある西の丸跡から、雄大なびわ湖の景観を望む。沈みゆく太陽の、オレンジ色の光が湖面に反射して美しい。山上の遊歩道に人慣れた黒猫が昼寝をしていて、枕にした腕の中に、ラムネ菓子を抱えていた。
偵察メモ:びわ湖は大きい
八幡山山上を一周し、ロープウェイを山麓駅まで再び下りてきた。日牟禮八幡宮を参拝しようと訪れると、数々の赤い提灯で神社が飾られている。境内の一角でスピーカーや和太鼓の準備も進められていた。
今日、8月16日は萬燈祭。盆踊りだ。
夕日に暮れなずむ境内に、和太鼓と演歌歌手の歌声が響きわたる。そして近くの八幡堀を散策して、水郷めぐりの船を撮影した。
乗船する3人の若者が、カメラを構えるぼくに気がついて
「Thank You !」
と、ポーズをとりながらにこやかに声をかけてくれた。船を操る船頭も楽しそうだ。船はゆるりとお堀を進み、白雲橋をくぐると見えなくなった。
ぼくは再び散策に戻る。
と、歩きながらあることに気がついた。
なぜ Thank You なのか。
彼らは日本人だ。
むむむ。
ということは、ぼくが外国人観光客に見えたのか?
自慢じゃないが顔の濃さなら自信がある。
自分で自分にコピーを付けるなら〈バングラからの留学生〉で決まりだ。大阪市内在住30代男性の部で、顔の濃さにおいてぼくの右に出るものはいまい。その濃度はマスクの下からでも伝わるのである。
偵察メモ:水郷めぐりの船を撮影すると「Thank You !」と声をかけられる
かくして近江八幡の敵情偵察は終わりを告げた。大阪に負けず劣らず、近江も魅力あふれる町でした。
撮影データ
ボディ:ニコンF
レンズ:ニッコールオート 50mm F2
フィルム;スペリアプレミアム400
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