隠岐
*2022年の投稿を編集し、再掲したものです。
夕日の沈む先
港町はゆっくりと、夕暮れの光に包まれてゆく。
いつも山ばかり歩いているぼくにとって、海面に降り注ぐ温かな光と、港に漂う潮の香りはとても新鮮だった。波の音色にまじる、時々行き交う車やバイクのエンジン音、それに船の汽笛の他には、何もない。静かなものだ。
八尾川沿いの、汐待ち通りにそって漁船がいくつも並んでいる。漁船の甲板には屋台の骨組みのようなフレームがあり、そこに大きな裸の電球がいくつか備えられている。湾内の穏やかな波のリズムに合わせて、電球も揺られていた。フィラメントを覆うまぁるいガラスがどこか風鈴のように思えてきて、眺めていると、涼しげな音色が潮風に乗ってぼくたちに届いてくるかのようだった。
今、隠岐の島を訪れている。
休暇をとって、妻と結婚5周年のお祝いの、ささやかな旅に出たのだ。隠岐の島町港町、西郷港に今夜の宿をとった。港から天神橋を渡り、汐待ち通りをゆくとホテルはすぐだ。本館でチェックインを済ませ、離れの部屋に荷物を置く。お風呂をいただき、ホテルの10階へと夕食に向かった。
そこは開放的な窓が壁一面に備えられ、まるで展望フロアのようだった。4人がけのテーブルがずらりと並び、幾人かの先客が浴衣姿で食事を楽しんでいる。
ぼくたちも席に着く。隠岐近海で獲れた魚介類を中心とした、会席料理が用意されていた。鯛や地鰺、白身魚のお造りに、山陰ポークのせいろ蒸し、桜鯛の揚げ物に海鮮の炊き込みと、隠岐の恵みをふんだんに取り入れた食事だ。窓外には西郷港の湾の入口が見え、日の入りが迫る中、フェリーや漁船がゆっくりと行き交う。
瓶ビールを頼み、刺身を肴にほろ酔いになると、少しずつ日が落ち辺りが暗くなり始めた。窓から眺める漁港の上空に、おこぼれにありつけるのだろうか、たくさんのトビが舞っている。そのうちの一羽が、窓のほんのすぐそばを、手を伸ばしたら届きそうな位置を滑空していった。
「夕日がきれいですよ!」
不意に、ホテルのスタッフの女性が、ぼくたちの席に溢れんばかりの笑顔で飛んできた。20代前半、いや、もしかしたらまだ10代かもしれない。髪色の明るくて、仲居服のよく似合う小柄な女の子が目を輝かせている。もうこらえきれなくて、誰かに伝えずにはいられない感動を、ぼくたちに共有してくれたのだ。
「夕日を眺めることなんて、普段ありませんよね」
彼女は東京から働きに来ているという。
食事中だったが箸を置き席を立ち、窓から西の空を眺めてみた。港町は茜色に染まり、八尾川の遙か奥、名も無き山の合間に太陽が沈みつつあった。
「ここへ来るまで、夕日はビルの合間に沈むものだと思っていました」
ぼくは兵庫県小野市の田舎町に生まれ育った。学校が終わると近所の神社に集合して夕暮れまで遊んだ。広い境内は子供の遊び場に最適だったのだ。
そこに時計はない。
腕時計もない。
時間も忘れて、夢中で遊んだ。
辺りが遊ぶのに支障が出るぐらい暗くなることが帰る合図だった。
神社の周辺はどこまでも田畑が広がっていて、遠くにローカル線の列車が時々、思い出したように走ってゆく。家に帰る道すがら、交差点から、夕日が里山に沈んでゆく姿を何度眺めたことだろう。境内には立派な榎がそびえていて、夕日に照らされシルエットになった榎と列車の景観を、ぼくは生涯忘れない。あれから30年がたったが、今もこの風景は昔のままだ。
彼女の言葉に、ぼくは軽いショックを受けた——いや、なにか不思議な感覚を覚えた。
ぼくにとっては郷愁を誘う夕焼けも、彼女にとっては新鮮で驚きをもって迎え入れる風景だったのだ。
同じ時代を生きる同じ人間なのに、世界をまったく違った目で感じ経験し、まったく異なる人生を歩む人が、目の前にいる。そうして何かの縁でぼくたちと会話をしている——。
考えてみれば当たり前のことなのだけれど、この年齢になって、自分とは異なる感性の持ち主がいることにぼくは初めて気がついたのかもしれない。同時に、夕日の美しさに感動できる彼女の純粋な精神に、ぼくはひどく心を打たれたのだった。
「この〈あかもくの赤だし〉、燻製の香りがしますね」
席について赤だしをすすると、ぼくの嗅覚は何やら燻製のような香ばしい香りを捉えていた。たまに自家製の燻製をこしらえるぼくは、半ば確信をもって彼女に尋ねてみたのだ。きっとあかもくは、いぶしてから使っているのだろうと。
「いえ、燻製は使っていませんよ。出汁の香りかなぁ」
ぼくの食に関する感性はさておき、暮れなずむ港を眺めながら新鮮な魚貝をいただいて、幸せな時間を過ごしたのであった。
食事を終え、再び汐待ち通りを離れへと向かうころには、日が沈み、港の灯台に明かりが灯り始めていた。
灯台のほのかな光に、波に揺られる船の電球が、美しく照らされていた。
隠岐ユネスコ世界ジオパーク
着陸の瞬間、機内から、島に放牧される牛や馬の姿が見えた。海を望む隠岐世界ジオパーク空港からは、水平線がどこまでも広がっている。水平線を眺めるのは何年ぶりのことだろう。島のカラッと乾いた風を受けると、まるで映画のシーンが変わるように、人生の新しいシーンが始まったかのような心持ちになった。
島根半島から北に約60km。隠岐諸島は日本海に浮かぶ。島後(隠岐の島町)、中ノ島(海士町)、西ノ島(西ノ島町)、知夫里島(知夫村)の4つの有人島を中心に、大小180余りの島々から隠岐は成り立つ。約600万年前の火山活動により形成された離島だ。日本ジオパークに2009年10月、ユネスコ世界ジオパークに、2015年11月に登録された——。
と聞いても、ぼくの浅薄な知識ではピンとこない。
そもそもジオパークとは何だろう。
ジオパークは「大地の公園」と訳される。
それは地球史の記録が刻まれた場所。
とりわけ、ユネスコ世界ジオパークはユネスコの正式事業であり、国際的に重要な地質遺産や景観が、保全・教育・持続可能な開発という総合的な観点から、管理されるエリアのことだ。
隠岐ユネスコ世界ジオパークは、先述の4つの有人島がすっぽりと範囲に含まれ、海岸から1kmの海域までを含めた、673.5㎢(東京ドーム約14,404個分)をそのエリアとしている。
単に貴重な地質資源が見られるだけではない。火山活動により形成された大地に加え、その上に広がる生態系や人の生活の営みなどを含む、環境そのものをジオパークとしているのだ。
初めての離島に降り立った感慨をひととおり味わったぼくたちは、到着出口をくぐった。出口には”歓迎〇〇様”の看板を掲げた、送迎の人たちが並んでいる。
その中に、”カワグチ様”を見つけた。
はて、レンタカー会社が迎えに来てくれたのだろうか。送迎の連絡はなかったように思うのだが。
もしかしたら飛行機の到着に合わせて気を利かせてくれたのかもしれない。念のため、尋ねてみた。
「あの、川口ですけど」
「お待ちしておりました。カワグチ様ですね」
尋ねた人は、待ちわびた客が現れたとみてとって、にこやかな笑顔を見せてくれた。
「レンタカーの送迎ですよね?」
「いえ、タクシーの予約ですが……」
別のカワグチさんだった。
2日目の朝、ホテルを出発し汐待ち通りを西郷港へと向かった。「フェリーしらしま」で西ノ島へ渡る。その目的はもちろん、国賀海岸の摩天崖だ。隠岐を代表する名勝地である。
西ノ島の別府港に到着したのは午前10時を少しまわったころ。観光案内所に向かい、予約していたレンタサイクルを受け取る。ぼくがグリーン、妻はオレンジ色の、爽やかなクロスバイクだ。別府港から国賀海岸までのルートの説明を受け、国道485号線を南西に向かう。
ただ、出発に際して気がかりなことがひとつだけあった。
レンタサイクルに鍵がないのだ。
係の人は鍵のことを何も言っていなかった。大丈夫なのだろうか——。
そんなぼくの心配は憂に終わることになる。
自転車の盗難なんて、この島ではないのだろう。
国賀海岸へののどかな道中、国道にもかかわらず、ただのひとつも信号すらなかったのだから。
別府港を出発すると、いきなり峠越えが始まった。自転車はスポーツタイプではあるものの、サイズがぼくに全然合っていない。とてもこぎにくい。それでもどうにかこうにか峠を越えるが、先が思いやられる。
西ノ島大橋から美田湾の景観を望み、坂を下り浦郷の町へ。事前の説明では、浦郷から先は国賀海岸まで自動販売機すらない。午前11時を過ぎ、少し早いが昼食をとることにした。
国道を経て、県道315号線沿いに「にしわき鮮魚店」を見つけた。干物や鮮魚を売る店だが、食事もある。
「こんにちは、食事をしたいんですけど」
「はいはい、いらっしゃいませ。奥へどうぞ」
にしわき鮮魚店
鮮魚店の奥に、海の家のような屋根付きの屋外スペースがあり、そこからは県道を挟んで、浦郷湾を見渡せる。湾には甲板に電球をいくつもつけたイカ釣り漁船が波に揺られていた。
刺し身定食を注文する。お刺身に煮付け、酢の物、お漬物、味噌汁、それによく冷えた一杯の麦茶。刺し身の切り口や盛り付けに、丁寧な仕事ぶりがうかがえる。昔アルバイトで働いていた和食レストランの職人が、「刺し身は切れ味で食わせる」と語っていたことを思い出した。
「まったく、暑いなぁ」と、にしわきのお母さん。
「関東は40度だそうですよ、がははっ」
と笑うお父さんは、お店兼自宅スペースでうちわを片手に扇風機に当たり、テレビを見ながらくつろいでおられた。おふたりとも、70代ぐらいだろうか。これは一旅行者の偏見に満ちた考察なのだが、店の切り盛りはどうやらお母さんの仕事らしい。
ぼくはこんなお父さんになりたい。
女の人には頭があがりません。
「まるで夏みたいですね」
「何言うてるん、もう夏ですよ」
麦茶を注ぎながらお母さんが微笑む。そういえば隠岐の滞在中に梅雨が明けたのだった。まだ6月だというのに。どうりで海が濃く青く、気持ちの良い風が吹くわけだ。
「頑張って!」
おふたりに見送られながら、再び国賀海岸を目指して自転車を駆った。
摩天崖
国賀海岸への最後の坂道を登り切ると、視界を遮るものがなくなった。
辺り一面の海、そして、隠岐をジオパークたらしめる景観が、どこまでも続いている。巨大な大地が風や波に削られて、荒々しい姿を惜しげもなくさらし出していた。
国賀海岸駐車上に自転車を置く。休憩所がひとつと、お手洗いの横には自動販売機がある。トレッキングコース案内板を確認すると、駐車場から頂上のように見えているのは途中の通天橋で、摩天崖はさらにその奥だ。ここから海抜0mまでいったん下り、標高差約250mを登ってゆかねばならない。帰りの自転車や船の時間のこともあるし、果たしてどこまで歩けるだろうか。
2018年の5月、ぼくたち夫婦は屋久島の縄文杉を訪れた。登山口からトロッコ道をゆき、大雨でレインコートはずぶぬれになった。雨に煙る縄文杉が目の前に現れると、そのエネルギーの前に言葉もなかった。3000年以上にわたり島を見守ってきた巨樹を前に、この木には神が宿ると、そこにいた誰もが信じたことだろう。
通天橋を眼前に望みながら、ぼくはそのときの心境を思い出し、懐かしんでいた。
大地の記録。
陸から飛び出た岬の先は、長い年月の風化や侵食により岩が剥き出しだ。幾重にも積み上げられた地層をはっきりと目視できる。崖の上部は削り取られ、下部は洞窟の一部が波により崩落し、ぽっかりと穴が空いている。大穴の空いた岬がまるで海にかかる巨大な橋のようで、もしもその先が本当に天に通じているとしても、なんら不思議ではない。
島の西に面する国賀海岸は、季節風の影響を特に強く受ける。通天橋は今この瞬間も波や風に削られている。目の前の大地の姿はこの瞬間限りのものなのだ。
それにしても風が強い。季節風の影響と書いたが、これが立っているのも辛いほどの風なのだ。摩天崖遊歩道を少しずつ登ってゆき、通天橋を越えるとますます風の勢いは増してゆく。わずかでも灌木に隠れられる場所はいいのだが、吹きさらしの丘の上は傘をさすとパラグライダーのようにそのまま宙に飛ばされるのではないかと思われた。
そんな環境の中、”強風などどこ吹く風”と言わんばかりに、のどかに過ごす、大きな黒い生き物の集団に出合った。
放牧中の、牛や馬たちだ。
隠岐諸島西ノ島では、いろいろな場所で放牧が行われている。ここ国賀海岸もその一例で、通天橋から先の遊歩道のど真ん中、黒い牛が独特の仕草で咀嚼を繰り返していた。
そのうちの一頭がぼくたちに気づいた。
子馬も人が気になるらしい、草をはみながらも目線はこちらにある。
近くで見ると、牛や馬は山ではち合うイノシシよりひと回りも大きく、草原に落ちた排泄物は両腕にかかえるほどもある。野生動物ではないから人に慣れてはいるのだろうが、万が一怒らせたら、とても手に負える相手ではなさそうだ。
そんな彼らが遊歩道を塞ぐようにどかっと腰をおろしているのである。なるべく無関心をよそおいながら、遊歩道を迂回しつつ、草原をそっと先に進んだ。
摩天崖の垂直の絶壁から遊歩道を振り返る。
素直にこの場所を訪れて良かったと思う。
夏の午後の、美しい光が海や大地に降り注ぐ。
この光景を心に焼き付けようと、サングラスを外した。
「あっ」と思ったが、そのときはもう遅かった。風に吹かれてサングラスは遥か彼方へと飛ばされてしまったのだ。
その光景がスローモーションのように見えて、この瞬間から、またぼくの人生の新しいページが始まったような気がした。
別府港に帰ってきたのは午後3時を過ぎたころだった。自転車を返却し、海士町へ向かう船を待つ間、潮風に吹かれながら港を散策した。「安藤商店」で缶ビールを仕入れ、ベンチに座ってのんびりと過ごす。まだまだ日差しは強いが、気持ちの良い暑さだった。
海士町
島前内航船「いそかぜ」が、海を飛ぶように走る。
西ノ島別府港から中ノ島菱浦港に、午後5時前に到着した。港から歩いてすぐ、まるで現代アートの美術館のようなホテルが目の前に現れた。
Entô (遠島:えんとう)。これは遠く離れた島、島流しを意味する言葉だ。隠岐は古くから遠流の地でしたね。ここは結婚5周年の旅の、メインの目的地といってよい。ちょっと良いお宿に泊まって美味しい食事を食べて、ささやかなお祝いをしようというものだ。
1971年開業の、国民宿舎「緑水園」がEntôの原点だ。94年に「マリンポートホテル海士」に改名し、そして2021年7月に生まれ変わった。
館内には洗練された空間が広がっている。隠岐諸島の歴史を紹介するミュージアムや、図書館も備えられていた。図書館は海士町の「島まるごと図書館構想」の分館に位置づけられ、これは町中のいろいろな施設で本が読める、借りられる、素晴らしいプロジェクトだ。
ぼくたちは新棟「Entô Annex NEST」に部屋をとった。
そこには無駄なものが何ひとつない。
テレビもない。
削ぎ落とされた、しかしどこか懐かしく落ち着いた空間だ。NEST館は全室オーシャンビューで、部屋の壁一面にしつらえられた大きな窓から、島前諸島の絶景を望めるのだ。
普段のぼくの旅の宿といえば、外と布1枚で——多くて2枚で——仕切られたテントである。
このギャップに少々戸惑ってしまったが、温泉をいただくと人心地ついた。日頃、頭の中をかき鳴らすノイズがいつの間にか消えてゆく。そうして図書館で本を借り、夕食までの時間、部屋で海を眺めながらのんびりと読書をして過ごした。
きちんとした、と言えばよいのか、「子羊のローストオーロラ風・香草のソースを添えて」みたいなのがメインに出てきそうな食事をするのは、ずいぶん久しぶりのことだった。4年前の、ぼくたちの結婚式以来のことかもしれない。
しかし、式では何を食べたっけ。
経験のある人ならお分かりだろうが、大勢で祝ってくれるのが楽しくてたのしくて、新郎新婦は食事どころではないのである。
ダイニングの入口では外国人のスタッフが出迎えてくれた。前菜からデザートまでいろいろと案内してくれた。お名前をうかがっておけばよかった。確か、フィジーご出身だったような——。その方は畑も営まれていて、デザートのパンナコッタに畑で採れたてのはっさくが添えられていた。
メイン料理は隠岐牛ロース。
藻塩を少々付けて、ひと口いただく。
歯がいらない。
口の中ですーっと溶けて消えていった。
普段の旅の食事といえば、登山用の小さな鍋にパックご飯とレトルト食品をぶちこんで炒めたまぜご飯である。
このギャップをどう処理すればよいのか。
もうひと口。
ぼくが今まで食べてきたお肉は、もしかしたらゴムでできた偽物だったんじゃないかと疑念が浮かぶ。
さらにもうひと口。
いやきっと、ぼくが食べてきたのはゴムだったのだ。
「隠岐牛は他のブランド牛ほど知られていないネ。だから日本じゃあまり出回りません」
どうです、美味しいでしょう? そうだろうそうだろうと、スタッフの方がにこやかに話してくれた。
「国内より海外に出荷されているのかなぁ。そうだ、この近くに隠岐牛の焼き肉を食べさせる店がありますヨ」
そうか、あまり知られていないのはもったいない。そう思う反面、これは隠岐だけで食べられる名物として、そっとしておいたほうがいいんじゃないかと、なんだか複雑な心境だ。
午後8時、レストランから望む山の向こうはまだほのかに明るくて、落ちゆく夕日に照らされていた。
翌朝、チェックアウトを済ませて再び港へ向かう。最終日の今日、12時50分の帰りの船までたっぷりと時間がある。そこでレンタカーや自転車を借りて、もうひと観光する手もあった。
でもやめた。
ぼくたちには、目の前の海と島の景観があれば、それで十分だった。港にあるキンニャモニャセンター(キンニャモニャとは海士町の民謡のことです)でのんびりと過ごすことにした。
センターのレストラン「船渡来流亭」で昼食をとる。図書スペースに移動して、自分達宛の手紙を書こうと、土産の絵葉書に簡単なメッセージをしたためていた。きっと、記念になるだろう。港から徒歩5分の位置に郵便局がある。まだ12時過ぎだから、葉書を出しても船には十分間に合う。
それにしても、隠岐の海の青さには惚れぼれしてしまう。
「海が青かったので、今朝は泳いできました」
「でも海水はまだ冷たかったです」
ホテルのお姉さんがそう話していたのを思い出した。
この海の印象を絵葉書にこめて、未来のぼくたちに託した。
船渡来流亭のビールも程よくまわり、爽やかな夏の午後を過ごしたのだった。
時刻はそろそろ12時30分を回ろうとしている。
12時30分——。
郵便局まで往復10分、手続きに3分。
船は12時50分。これを逃すと一日一便の飛行機に間に合わない。
「急げ!」
せっかく書いた絵葉書も、海士の消印がなければ意味がない。
地図をたよりに郵便局へ走る。
港を出るとき、ぼくらの乗るフェリーが着岸した。
「郵便お願いします」
12時39分。
もと来た道を、また走る。
港に留まるフェリーは自動車の乗船がすでに終わろうとしていた。
キンニャモニャセンターの2階、フェリー乗船口へと階段を駆け上がる。
12時43分。
が、
〈ここからはフェリーに乗船できません〉
階段を間違えた!
「出航5分前です。ご乗船の方はお急ぎください」
アナウンスが流れる。
階段を駆け上がる。
チケットを片手に乗船口へ走る、走る、走る!
12時47分。
のんびりし過ぎた。
だってあまりにも海が美しかったのだ。
二等船室へ駆け込んだぼくたちは、まわりの人に息を切らしていることを悟られないよう、口を塞ぎ鼻でふがふが息をして、必死に平静をよそおったのだった。
空港には、初日に感じた島の心地よい風が吹いていた。空の上には巨大な入道雲がもくもくと育っている。
本格的な夏の訪れだ。
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