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ありのまま。

昨日は素敵な時間が沢山あった。

話してみると、すごいサプライズ的な喜びとか、
そういう特別なことではなくて、
でも本当に自分が大事にしたい、
じんわりと幸せな、
そんな時間だった。

美容院でペットトークで盛り上がり、
ちょっと恥ずかしい話だが、
マッチングアプリで会った人とも楽しい時間が過ごせて、
久しぶりにゆっくり寝れたように思う。

そして、昨日が特別だったのは、
自分が、人の顔色をうかがわず、
正直に楽しめた。
それが本当に嬉しい。

カッコよくなきゃいけない、
面白くなきゃいけない、
気を使わなきゃいけない、
優しくしないと好きになってくれない、

そんな風に緊張するのではなくて、
自然に相手のことを思ったし、
自然に楽しかったし、
自然にまた会いたいな、と思った。

ゲイであることも、
家族が壊れたことも、
自分の大好きなことも、
人の顔色を伺うことによって、
恥ずかしいことに思えたり、
ストレスになっていくけど、

まだそんなに親しい間柄の人たちではなかったから、
自分のことを沢山話すとか、そういうわけではなかったけど、
今思うと、昨日は自分が恥ずかしくなかった。

そして、
そういう時間が訪れて初めて、
自分は、自分のことを恥ずかしく思っていたんだな、
そうリアルに思う。

いじめられていたし、
自分じゃダメだと思ってきたから、
そうじゃない風に生きたいな、
そう思ってこうして書いたり、チャレンジしたりして生活してるけど、
気づくたびに、嬉しいし、
そして自分が思っていた以上に悲しんでたんだ、とか、
恥ずかしいと思ってたんだ、
ということに気が付く。

それは、同じ思いをしている人がいるんだ、
って気づいて嬉しい、とか、
恥ずかしくない思いを感じたから、
今まで恥ずかしい、と思っていたことを体感した、とか、
そういうこと。

実際、
そんな素敵な体験が毎日あるわけじゃないかもしれない。
それらの間の時間は恥ずかしく思ったり、
悲しかったりするかもしれないけど、
そんな自分がダメなわけじゃない。
あぁ、悲しいんだな、
恥ずかしいんだな、
それでいいんだと思う。

例えば、悲しいけどカッコ悪いから泣き止まなきゃ!とか、
恥ずかしいから、何とか痩せなきゃ!みたいなことも、
何かを達成するのに有効なことももちろんあるけど、
それを頑張りすぎると、
ストレスでしかないし、自分に優しくない。

そうすると、人にも優しくなれない。

最悪である。

ありのまま、ってっこういうことなのかもしれないな、
そう思った。
ありのまま、ってイマイチピンと来ない部分が多かったけど、
そうかもしれないな、ということが一つ増えた気がする。

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