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「世界遺産」という言葉が生まれたのはこの遺跡から


「世界遺産」という言葉が生まれたきっかけの遺産があります。

それまでは国の文化財保護法などで各々が保護・保全していました。
保護・保全をしていない国もありました。

しかし、とある「キャンペーン」をきっかけに遺産の見方が変わりはじめます。
このキャンペーンの15年後に世界遺産条約ができました。この条約のおかげで遺産は今でも守られています。


ヌビアの遺跡群①アブ・シンベル神殿

ヌビアの遺跡群はエジプトのヌビア地方にある古代エジプト新王国時代(紀元前1570年~1069年)と古代エジプト末期のプトレマイオス時代(紀元前304年~前30年)の建造物群。

紀元前1260年、「建築の王」と呼ばれた新王国時代第19王朝ファラオラメセス2世はこのヌビア地方に「アブ・シンベル神殿」を建設しました。

この「アブ・シンベル神殿」はナイル川にせり出た岩山を削って造られました。


この像は神殿の入り口にあたる部分。岩山を削られてつくった像です。

高さはなんと22m!!
機械も何もない紀元前にどうやってつくったのか...。おそるべし!(@_@)

この像4体(左から2番目は上半身ないけれど)はすべて、ラメセス2世の座像といわれています。
他にも神殿奥にラメセス2世の像神殿の内部の壁にもラメセス2世が描かれており、もはやラメセス2世パラダイス!!(笑)
「ここは俺が建てたんだぜ!!!」感がとにかく強いのが特徴です。(笑)

ラメセス2世は自己顕示欲が強い王でも有名で、その欲の強さは記念物に書かれた歴代の王の名を自分の名に書き換えしまうほどだったといいます。

ラメセス2世は「建築の王」と言われるだけに、建築にこだわりました。
この岩山でできた座像もただ神殿の入り口というだけでなく、自分の誕生日と即位した日の年2回、日の出の太陽光線によって座像が照らし出されるように設計しました。
そこまで計算していたとは...!

自分を称えまくっていて凄い!(笑)私もそれくらいの自信が欲しい(笑)

ラメセス2世は他にも、アブ・シンベル神殿から北に120m離れた場所に王妃ネフェルタリのため神殿をつくりました。ここにももちろん、自分の像を2体つくりました!(笑)


ヌビアの遺跡群②フィラエ島

アブ・シンベル神殿の他に、フィラエ島もヌビアの遺跡群に含まれています。
フィラエ島には紀元前4~3世紀につくられた古代エジプトの女神イシスを祀るイシス神殿の遺跡があります。

このイシス神殿の壁には女神の彫刻が施されていて、女神イシスの存在は大きいものだったと神殿からみてとれます。

この神殿はエジプト王朝後もローマ皇帝にも気に入られ、テオドシウス1世がキリスト教をローマ帝国の国教とする政策を完了したこともこの神殿には記されています。

そして紀元前1450年ごろ、アメンヘテプ2世が建てたカラブシャ神殿も古代ローマ時代に再建するほど、ローマ皇帝が気に入っていたんだそうです。
それからはキリスト教の一派、コプト教の聖堂として使われました。




なぜ世界遺産のきっかけとなったのか


で、この神殿たちはどうして世界遺産のきっかけとなったのか。

1960年にエジプト政府がこのヌビア地方に巨大ダム(アスワン・ハイ・ダム)の建設をはじめます。
安定した電力の供給や川氾濫防止のため
に建設をはじめました。これは、エジプト国民においては、より良い生活のため仕方ないことだったのかもしれません。「アブ・シンベル神殿」「フィラエ島」は水没の危機にありました。

そこでユネスコは着工の前年からアブ・シンベル神殿についての調査をはじめ、1960年3月から「ヌビアの遺跡群救済キャンペーン」をはじめました。
この呼びかけは世界で注目を浴びました。世界50か国が賛同・協力し、無事に救済事業がはじまりました!

アブ・シンベル神殿を小さなブロック状に切断・解体し、西へ210m、64m高い場所へ移築したのです!

そっくりそのまま、新しい神殿をつくるのではなく、移築させちゃうとは!大胆!!(笑)

当時の最新技術を駆使した工事は4年かけて着工しました。

また、フィラエ島の神殿も地勢がよく似たアギルキア島に移築しました。
以降アギルキア島はフィラエ島と呼ばれるようになりました。

救済キャンペーンのおかげでなんとか、遺産が守られたのです!!


見直すきっかけとなった


遺産を救済したことキャンペーンに50ヵ国が協力したことが「人類共通の遺産」という理念に繋がり、世界遺産条約がつくられました。

紀元前に高さ22mもの像を岩でつくった事実や、エジプト王朝の繁盛期をうつす大事な遺産なので、救済できて本当によかった!

さて今回はヌビアの遺跡群についての記事でした。

この記事は中村公平さんの「Retro Works Radio」でもお話させていただいた内容になります!

アーカイブはこちら↓


ヌビアの遺跡群は救済しましたが、
人間が不自由なく生活するがために消滅してしまった世界遺産もあります

時代とともに今後消滅する遺産が増えていくかもしれません。
日本でも火災で首里城が焼けていしまいました。(再建予定です)

今後どうやって遺産を保護していくか。地球の歴史、人類の歴史は記憶すべきだと思います。
そして次の世代に伝えることが大切なんだと思います。

私は今日も世界遺産を学んでいます。このnoteを通して世界遺産をもっといろんな方面に伝えていけたらいいな!

#世界遺産は地球の記憶




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