岐阜県と富山県にまたがる伝統的な集落
「白川郷・五箇山の合掌造り集落」。1995年に世界遺産に登録されました。
独特な屋根が点在し、独特な景観が見られるこの集落は、岐阜県と富山県にあります。
「合掌造り集落」は、重要な建築遺産として高く評価されています。
信仰の歴史が集落を形成していった
画像引用:わつなぎ https://watsunagi.jp/craft/7217/
「白川郷・五箇山の合掌造り集落」は「信仰」からはじまりました。
石川県と岐阜県にまたがる「白山」は神仏が祀られているとされ信仰の対象となり、8世紀ごろ(700年~、奈良時代)から「白山信仰」と呼ばれる山岳信仰が生まれました。その「白山」を中心とする山岳地帯に位置する白川郷・五箇山も、山岳信仰の修行場として開拓されたのがこの集落のはじまりと言われています。
遺産を勉強してから分かったことは、遺産のほとんどが信仰・宗教がルーツだということ。「信仰」というのは、今よりもずっと深い関わりがあったんだなー!
白川郷・五箇山は「天台宗」の影響下に置かれていました。そして、13世紀に白川郷を中心に浄土真宗が広まると、集落ごとに寺院や道場が造られました。浄土真宗によって隣人同士の結束力を強め、相互扶助組織である「結」が生まれました。
白川郷・五箇山は、自然環境が厳しい孤立した地域なので、家族だけでの生活は厳しいものでした。そこで隣人同士協力して暮らす「結」という独自の社会制度が生まれたのです。
近年はご近所同士仲良くなる風習、だいぶなくなってしまいましたよね...。
白川郷・五箇山ってどんな地域?
「岐阜県白川村荻町」にある白川郷と「富山県南砺市相倉・菅沼」にある五箇山。
白川郷と五箇山は約20km離れていますが「庄川」と呼ばれる川によって結ばれ、1つの集落を形成してきました。
白川郷荻町の59棟、五箇山相倉20棟、菅沼9棟が世界遺産に登録されています。多くの集落は12世紀~17世紀(鎌倉~江戸)に形成されたものです。
〇荻町
保存状態の良い59棟のうち、31棟が江戸時代に建設されたもので、屋根がある側に入り口を持つ「平入り」が多い。
〇相倉
最も北寄りに位置し、江戸~明治の家屋のほかに、昭和初期につくられた家屋がある。平地が少ないため石垣によって敷地を埋め平坦にするなど工夫も見られる。
〇菅沼
富山県と岐阜県の県境に位置する。荻町が「平入り」なのに対し、菅沼集落では「妻入り」が多く見られる。
そのうちの約半数は、現在でも暮らしている方がいるんだそうです!
この地域はなんといっても日本有数の豪雪地帯であること!
画像引用:skyticket 観光ガイド https://skyticket.jp/guide/96273
雪の重さや風の強さに耐えるため、釘などの金属類は一切使っていないのもこの集落の特徴でもあります。
庄川流域の狭い段丘面に築かれた集落のため稲作などに適した平地がなく、農作は畑作などに限られていました。
そのためこの地域では、養蚕や和紙、火薬の原料である塩硝などの産業を盛んに行ってきました。
かつては生産性の向上を図って10~30人の一族が一緒に暮らす「大家族制度」がありました。この制度は、家長夫妻とその弟姉妹、そして結婚した姉妹の子供や家長の長男夫婦とその弟姉妹など、分家しないで数世代にわたって共同生活を営むもので、条件の厳しい集落だったからこそ独自の文化が生まれました。
叔父や叔母、いとこ・はとこと一緒に暮らして働くのか~。にぎやかで楽しそうではあるけど、親戚とは1年に一回集まるくらいが丁度いいのかもしれませんね。今は1年に1回集まることも難しいけど...(´;ω;`)
ていうか、親戚30人も会ったことないな~(笑)そんなにいるのかな...
日本でも類を見ない建築様式
「白川郷・五箇山の合掌造り集落」の世界遺産登録の理由は、
大家族制度や結など、独自の文化もそうですが、建築(合掌造り)も高く評価されました。
日本の建築について多くの著作を著しているドイツの建築家ブルーノ・ダウトは合掌造りについて、
❝白川郷の合掌造りは構造が合理的であり、かつ論理的である。この景色は日本的ではない。少なくとも私がこれまで一度も見たことがない景色。ここはスイスか、スイスの幻想だ。❞
と高く評価していて、
これにより白川郷・五箇山の合掌造り集落は、世界中の人々の関心を集めるようになりました。
建築の特徴は3つあります。
①屋根
豪雪地帯であるため、45~60度の急傾斜になっているのが特徴です。傾斜は古いものほど緩く、新しいものほど急になる傾向が見られます。また、月の平均雨量も180mmと多く雪降ろしの負担軽減や水はけを良くする効果があります。
白川郷では秋~冬にかけて平均風速20mもの風が吹くため、風を受け流すように家屋の妻側を南北に向けて工夫しています。
②広い面積
一般家屋に比べると床面積が広いのが特徴です。伝統的な大家族制度が守られていたため、広い居住スペースが必要でした。また、盛んに行っていた火薬の原料「塩硝」をつくる際、広いスペースが必要不可欠であったと考えられている。
③ウスバリ構造
画像引用:神田外語学院 https://www.kandagaigo.ac.jp/kifl/contents/world-heritage-certification#6-21
ウスバリ構造とは屋根を形成する三角形の部分「小屋組」と2階部分の重みを支える基礎部分「軸組」を分離する、合掌造りの構造的な特徴となっています。
説明が難しいので画像を引用しました。ん~これはわかりやすい!
この画像のとおり、ウスバリは「小屋組」と「軸組」の間にあり、構造的・空間的に分離されています。
また、「小屋組」の中でも上が「ソラアマ」下が「アマ」と分けられています。
気候に合わせた建築だったり、生産性のある広い床だったりと工夫がみられるのも評価に繋がりました。
まとめ
今回は「白川郷・五箇山の合掌造り集落」の記事でした!
日本にはもっと住みやすい環境がある中で、豪雪地帯で平地も少なく厳しい条件を持つ生活環境であっても、知恵をつかって協力しながら暮らしてきたと思うと凄いなと思います。
どんどん便利になってきている今、アナログ生活もいいなと思っている今日この頃です。勉強はタブレットじゃなくてやっぱり紙がいいいとかね!(本とかノートとか)
合掌造りに住んでみた方の記事が素敵でしたのでシェアします。
今現在暮らしている方のリアルな生活を覗き見できて面白い記事でした。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?