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耳鼻科とALS、筋萎縮性側索硬化症

手足、のど、呼吸の筋肉がだんだん痩せて力を失ってゆく病気です。筋肉を動かす神経(運動ニューロン)が障害されます。NHKテレビのドキュメンタリー番組に出てくるのは若い患者ですが、情報発信能力が高いだけで、本当は60歳以上の人に多い病気です。まれに遺伝性のことがあり、若い人も発症します。

大学時代の友人が50歳代で発症しました。叔母も同じ病気で50歳代でお亡くなりのようで、遺伝性が疑われています。神経の病気なので、神経内科が主に担当しますが、根治する治療法はありません。内科の指示で、耳鼻科が関わることが多く、思い出深い患者さんが多いです。自分の経験をまとめてみました。

はじめての喉頭摘出術

私が初めて喉頭を摘出する手術を執刀させてもらったのも、ALSの患者さんでした。医者になって3年目、指導医が全部お膳立てしてくれて、癌の手術を執刀する前に、練習になる良い症例だと薦めてくれました。普通、進行した喉頭癌でする術式です。筋肉が衰えて痩せたALSの患者さんは、皮下脂肪もなく、筋肉血管の走行がよくわかって、とても勉強になりました。患者さんは、両側の声帯が麻痺し、食事がうまく飲み込めずに、誤嚥性肺炎を繰り返していました。「声が出ず、誤嚥するなら、気管切開よりも喉頭摘出してしまった方が、在宅管理が楽でしょう」との配慮でした。30年近く前の話です。今なら、気管喉頭分離手術という良い術式があります。

「ここ掘れ、ワンワン」状態で、指導医の言うがままに手を動かしただけですが、なんとか手術を終えました。不謹慎ですが、うれしかったです。術後の経過が心配で、あれこれ必要以上に世話を焼きました。話のできない患者さんでしたが、退院時に、弱い力で手を握ってくれました。家に帰って療養です。その後は病院に来ることもなかったので、お会いしていません。どんな余生を送ったでしょう。

癌でない、正常な喉頭です。摘出した標本を病理検査に出す必要もありません。ホルマリン瓶のまま、机の引き出しにしまって、5年くらい折にふれて眺めていました。癌の手術前には取り出して、術野を思い出して、頭の中で手順をシュミレーションしていました。喉頭の手術が得意になった理由です。患者さんには感謝しています。30年前です。今ではあり得ない。

気管切開するか、死か

その後も30年、嚥下障害、呼吸困難でALSの患者さんの手術に関わっています。耳鼻科に来るのは、発症して数年経って、重症化してからです。その前に、色々なドラマがあったことでしょう。歩けず、寝たきり、誤嚥性肺炎を繰り返して、肩で息して現れます。か細い声で会話可能な人も、全く話せない人もいます。内科から「気管切開してください」という依頼です。

呼吸筋は弱っています。狭い声門、上がらない横隔膜、あばら骨が見えて胸の筋肉がありません。とても浅い呼吸をしています。気管切開して、首の太い穴から呼吸すれば楽になります。しかし、その日から、痰の吸引という家族の世話が始まるのです。

さらに、手術は局所麻酔で行われます。意識ある状態で、首を切られます。全身麻酔でない理由は、全身麻酔かけると、術後は人工呼吸器から離脱できないからです。全身麻酔で人工呼吸器につながった途端、呼吸がとても楽になります。「息するってこんなに楽なんだ」と体が喜ぶ瞬間です。一杯一杯で呼吸していた胸の筋肉が、手を抜いて「もう機械に任せよう。俺は疲れた」とサボり始めます。30分後に手術が終わって、自発呼吸が戻ってくるのを待ちますが、ALSの患者さんは、待てど暮らせど戻ってきません。人間、楽な方に動きます。目が覚めて、意識あってキョロキョロしても、自分で呼吸しません。機械が定期的に送り込む「シュボー」とういう、空気を肺で受け入れて、爽やかな顔をします。

内科の先生が耳鼻科に頼む言い方は、2つに絞られます。

ひとつ「まだ自発呼吸があるので、局所麻酔で気管切開して、痰の吸引と誤嚥防止のためにカニューレを装着してください」。余裕があるので、よく説明して、局所麻酔の気管切開は怖いけど、頑張りましょうと言います。

ふたつ「もう自発呼吸も弱く、今にも人工呼吸器が必要です。家族が自宅で介護する準備がバッチリです。本人も若くて、まだ生きたいです。術後から人工呼吸器に乗せますので、全身麻酔で手術してください」。急いで麻酔の手配して、簡易人工呼吸器レンタルして手術になります。ギリギリまで引っ張った症例です。

3つ目もあります。これが意外に多くて半分くらいでしょうか(個人的な体験)。高齢者、70歳代のALS、子供は巣立って、老人2人の世帯。気管切開して家に帰っても、介護で共倒れになりそうです。まだ声がでます。「先生、気管切開しなくていい。今でも動けなくて大変なのに、これ以上のことはしないで」。尊厳ある死を、自ら選ぶ症例です。でも、見ていて苦しそうで、家族はなんとか気管切開するように薦めます。話し合いは平行線です。次の日、病室にゆくともぬけの殻です。昨夜のうちに呼吸が止まってお亡くなりになっていました。

ここからは裏話。どこの書物にも書いてありません。前日、苦しいながらも話できた人が、次の日に亡くなるのはどうしてか。酸素を投与するからです。呼吸が浅くて、やっと息している患者を楽にしようと、酸素吸入します。患者は楽になります。酸素を取り込めるからです。すると十分満足して、長距離マラソンしていた呼吸をサボり始めます。呼吸しなくても酸素はバンバン入ってきます。だから呼吸しません。すると息を吐き出さなくなります。呼吸は、吸って吐いてでワンセット。吐かなくなると二酸化炭素が溜まります。意識が遠のいてきて、やがて呼吸中枢が止まります。医学的にはCO2ナルコーシスと呼ばれる状態です。

付き添っている家族はこう言います。「先生、苦しがっているから酸素あげてください。」「(心の中で)イヤイヤ酸素あげすぎると呼吸止まるんだよね」。でも、患者を目の前にして酸素あげないって、医療に反しています。CO2ナルコーシスを、切羽詰まった家族に説明しても理解できません。酸素もしてくれなかった悪い医者と言われるかもしれません。酸素投与します。二酸化炭素が溜まってお亡くなりになります。最後は意識がなくなって楽だけど、その前の数ヶ月は、息が苦しくて地獄です。気管切開せずに苦しいけど早く亡くなるのと、気管切開して長生きするのとどちらが良いでしょう。正解はありません。

ただ、一つ言えることは、どちらにするか、早い段階で決めておくことです。気管切開するなら、苦しむ期間は短い方が良いです。早く気管切開しましょう。しないと決めたら、苦しむ姿を見せる家族に、よく自分の意思を伝えて、ぶれないことです。書いておきながら、自分でも思います。厳しいねえ。自分ならどうしようか。

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