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メキシコから帰った僕は言葉も友人も失った

 もう10年以上前のことだが、タコス屋で働いた数ヶ月を含む約1年のメキシコ留学期間を振り返ると、いくつかのハイライトが浮かんでくる。その中でも、個人的に留学や海外生活、あるいは異郷を旅することの醍醐味と感じていることについてここでは書きたいと思う。すなわち、異郷に身を置くことを通じて「『当たり前』の崩壊」を経験することについて書く。

 自分が育った環境の様々な「当たり前」が通用しない世界に身を置き、そこで日々を生きる現地の人々の感覚や考え方に立ってその世界を眺めてみると、それまでの自分の中の「当たり前」が揺れ動き、時に音を立てて崩壊したり、あるいは突然音もなくその姿を消してしまったりする。優れた本や映画に共通する特徴として、その作品を観る(読む)前と後では同じように世界を見れなくなる、ものを考えられなくなるというものがある。これと同じように、真に意義深い旅や留学というのは、それを経験する前と同じようには生きられないくらい、自分の中の当たり前が塗り替えられてしまう経験となる。

 逆に言えば、全てが事前の計画通りに運んだ留学があるとすると、それはもちろん大きな成功であるに違いないけれど、実は一方で、ある意味において決定的な大失敗とも言えるかもしれない。せっかく異郷で少なくない時間を過ごしたのに元々の価値観や世界観が何一つ更新されていないのだとしたら、少なくともその意味では何ひとつ得られなかったということになるからだ。

 その意味で僕のメキシコ留学はどうだったかと言えば、まず事前の計画に対してという意味では成功と失敗の両方の側面があった。その上で、ここで問題にしている「『当たり前』の崩壊」という意味では、良くも悲しくも「大成功」だったと言える。

 すなわち、メキシコから帰った僕は、留学前とはほとんど別人のように価値観がひっくり返った状態になっていた。もちろん人間の根本は変わらないし、特に僕の場合は20代半ばになってからの留学だったので、基本的な価値観や世界観というのは既に概ね出来上がってはいたと思う。それでも人生初の海外生活という経験を通じて自分の内面に様々なバグのようなものが発生する結果となり、そのバグによって、留学前と同じように振る舞うことができなくなっていた。その居心地の悪い感覚は、僕の帰国を楽しみにしてくれていた友人達と食事に出かけた時に決定的なものとなった。当たり前の話だけれど、そのまま日本で普通に1年間を過ごしていた友人達は、僕が日本を離れていた前と後で、その言動にほとんど変化が起きていなかった。というかほぼ同じだった。もちろんこれ自体は何も驚くことではないし、むしろ当たり前のことだ。そういう意味では問題は僕の方で、自分の中でたくさんの非日常を経験し過ぎたせいか、「こんなに時間が経ってるのに、なんで皆は相変わらず同じようなこと考えて同じようなこと話してるんだろう?」という強烈な違和感を抱えてしまっていた。友人達自身の問題でないことはさすがに理解していたので、むしろたった1年海外に出るだけで、こんなにも過ごす時間の密度や自分の変化スピードが変わってくるのかと驚いた。

 またそれだけでなく、「メキシコどうだった?」という友人達からの質問に、ほとんどまともに答えられない自分がいることにも気が付かされた。友人達は純粋な好奇心から、僕が見たメキシコの姿、僕がそこで感じたことを知りたいと思って尋ねてくれている。そういう友人がいるというのはとても有難いことだと、その時すでに感じていた。でも、それに対していざ話そうとした時に、うまく言葉が出てこない。「えっと…」と口ごもって、一体どこから何を話せばよいか、どうしたらそれを伝えられるかが、分からなかった。もっと言えば、自分なりに精いっぱいの形で話そうとしてみたところで、あの時のあの感覚や、諸々の経験を踏まえて今感じていることなど、どう考えても正確に伝えられるイメージが湧かなかった。中途半端に話そうとしてもお互いに消化不良感だけが残ってしまいそうで、結果、極めて表層的で一般的な範囲のことしか語れなくなっている自分がいた。僕が実際に現地で暮らすまで想像も感じ取ることもできなかったことを、まだ現地を知らない友人達にもうまく説明できるだけの語彙や表現力を僕は持ち合わせていなかった。あるいは、まず僕自身の中でも、感覚に言葉が追い付いてくるまでにはまだまだ時間が必要そうだった。

 また、単にメキシコでのことを説明できないだけでなく、改めて暮らす日本の様子を眺めていても、色々と自分の視点や発想が変わっていることに気付かされる機会が増えていた。いわゆる逆カルチャーショックと呼ばれる現象だったと思う。

 過去と同じように振る舞えなくなってしまった今、かつての友人達や親しくしていた人達と会うとなった時に、一体どのような顔をすればよいかも分からなくなっていた。その結果、留学前の自分の主な人間関係から少しずつ遠ざかる結果になってしまった。繰り返すが、友人達自身に問題があったのではない。

 たった1年のメキシコ滞在ではあったが、当初の想像以上に密度や濃度の高い時間を過ごしていたようで、その経験を消化するにはまだまだ自分ひとりの時間が必要だったのだ。同じく日本での社会や人との関わり方についても、再考して整理する時間が必要だった。

 こういう話になると当然、じゃあいったい具体的には何がそんなに違ったのかという問いが出てくる。これに関しては「日常生活の細部に至るまで、実にいろいろと違う。その無数の差異の積み重ねの結果として大きな感覚の差が生まれているため、一つ二つの具体例を挙げてみたところで、その感覚の深いところを共有できるとは限らない」というのが正直な答えになる。だからこそ、帰国したばかりの自分は無力感に襲われていたのだとも言える。

 そういえば、あの時に考えたことの一つとして、たとえば留学先が英語圏、中でも特に米国だったら、もう少しくらいは色々と話がしやすかったのかしら、ということがあった。米国を中心とする英語圏からは、日本で生活していても自然と一定量の情報が入ってくるので、たとえ現地を知らなくても何となく多少はイメージできる部分があったりして、そこを取っ掛かりに現地経験者との会話が成立していくことがもう少し可能なような気がしていた。たとえばいくつかのハリウッド映画を通じてイメージしている現地の姿があったとして、そのイメージは正確なのかどうか、実際に現地で暮らすとどうなのか、といった形で、会話にひとつの軸を持たせることができる。(もちろん実際に現地を体験した人の感覚は、最終的には他の言語圏や国でのそれと同様、簡単に説明できるものではないと思う)

 ところがこれがスペイン語圏で、かつ多くの日本人にとって馴染みのないメキシコだったりすると、その「取っ掛かり」自体が相手と自分の間に全く見つけられず、途方に暮れる感覚になったのだった。

 あれから10年以上が経った今では、僕ももう少しシンプルに自分の経験や感覚を整理して語ることができる。ただ、そうなるまでにはやはり、随分と長い時間がかかった。

 でも逆に言えば、簡単に言葉にできないような経験、それまでの自分の中には存在しなかった感覚をたくさん抱えて帰国したということになるわけで、実はそれこそまさに、異郷に暮らすことでしか得られない財産だったとも言える。こういう体験をしてしまうと、いわゆるバグった状態になってしまうので、ある種の「スムーズさ」は人生から一時的に失われてしまう。それ自体はどうしても、ストレスフルだったり悩ましい経験になる。ただ、そこでしっかり自分の感覚と向き合い続けることは、深い部分で自分の感性、せっかく手にした自分だけの感覚や視点を守ることにもなる。

 そしてこの作業に慣れてくると、やがて「『当たり前』の崩壊」という体験そのものにも慣れていき、自分の価値観や世界観を更新していくこと自体への抵抗が薄くなっていく。非日常に身を浸す体験を通じて自分の「当たり前」がひっくり返されることへの耐性を身につけることは、時代が刻一刻と変化する一方で人間の寿命が延びた現代においては、誰にとっても悪くない修行になるだろう。

 たとえ一時的に混乱に陥ることがあったとしても、これから留学を経験する方には是非、積極的に「『当たり前』の崩壊」を受け入れ、ある意味で楽しんでほしいなと思う。


【追記】メキシコ留学から10年以上が過ぎたタイミングで、ようやく当時の経験をエッセイにまとめることができました。全国発売中の著書『東大8年生 自分時間の歩き方』に収録されています。メキシコの話以外にも、東京、鳥取、ブラジル、カタール、ドバイなど、各地でのエピソードが詰まった1冊ですので、ご興味ある方は是非、読んでみてください。


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