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猫の神様

昔から猫が好きだった。

猫、欲しい。ずっと願い続けて24年。

自分の家を、手に入れた。自分だけの、家。

一人暮らしになったから、猫をお迎えできる。

猫は天下の回り物。摩訶不思議な縁でやってくるものだよと、近所のおばあちゃんが言っていた。

ペットショップに行くよりも、近所の猫にお願いしてごらんと、言っていた。猫は、猫の神様に、きっと伝えてくれるからと、言っていた。

毎日のウォーキングで、地域の猫に会うたびに、私はお願いした。

「猫を私に恵んで下さい。」

猫は何も言わず、立ち去ることが多かった。

それから何年か経って、結婚をして、一軒家に住むようになった。

娘が三歳のときの話だ。娘を保育園に送り、その足で買い物に行った帰り。

自転車の前かごに夕食の材料、後ろに米、両ハンドルにオムツをさげた私の耳に、叫びが聞こえた。

なんだ???

ものすごい声がする。カラスが叫んでいるような。

怪我でもしているのかと、自転車をとめ、声のする歩道橋の下を、覗き込む。

ダンボールがある。

覗き込むと、ねずみ!!!!!

私はねずみが、非常に、苦手なので、一瞬、ひるんだ。

だが。

よく見ると、ねずみの大きさの、猫が、五匹。ねずみそっくりの、細いしっぽがちょろちょろ動く、湿った猫が、五匹。

猫の神様が、私に猫を恵んでくれたんだ!!!

へその緒のついた猫を、大喜びでお連れした。

猫は、すくすくと大きくなった。

一匹は、猫好きなおうちに行った。一匹は、私の実家に行った。

猫が、三匹残った。

黒猫が、三匹。

生まれてすぐにうちに来たためか、なんだか猫が、猫っぽくない。

食卓に並ぶ。

朝起こしに来る。

風呂に入る。

食べ物の番をする。

猫が一才になったとき、うちの玄関で、どこかの猫が、にゃあと鳴いた。

うちの猫は、完全室内飼いで、外に出たことはない。気のせいか、でももしかしてと思って、ドアを開けると。

手のひらサイズの猫が一匹。

何だ、この猫は。

周りを見ると、親と思しき、キジトラ猫がいた。キジトラは、同じ模様の猫を、ここに託しに来たと言うのか。

猫の神様に、ここなら育ててくれると紹介でもされたというのか。

猫の神様の思し召しならば、お受けいたしましょう。

キジトラ猫は、うちの猫になった。

黒い猫たちは、新しいキジトラ猫に優しかった。噛み猫だったキジトラは、あっという間におだやかな猫になった。

そして一年が過ぎたある日。

家の前の、生垣の前を歩いていたら、子猫が転がり落ちてきた。歩くこともままならない猫が、転がり落ちてきたのだ。

何事ですか、猫の神様。

周りをよく見るが、親猫の姿は、ない。しかし、転がり落ちてきた猫は、キジトラだった。うちのキジトラの、血縁に間違いない。

猫の神様の思し召しならば、お受けいたしましょう。

キジトラ猫は、うちの猫になった。

黒い猫たちも、キジトラ猫も、新しく来たキジトラ猫に優しかった。同じ毛並みを持つからなのか、キジトラとキジトラは、いつも一緒にいるようになった。

そして一年が過ぎたある日。

娘がお友達と公園で遊んでいたら、猫を見つけたという。あわてて見に行くと、キジトラの猫が、ふらふらしている。

猫の神様、正気ですか。

周りを見渡しても、猫はいない。キジトラ猫は、にゃあと泣いて、私を見上げた。

猫の神様の思し召しならば、お受けいたしましょう。

キジトラ猫は、うちの猫になった。

猫が6匹になった。

うちの家族の構成比は、猫のほうが多くなった。

猫に、支配されている家。

なかなか毎日、おだやかに暮らしている。

縁側に腰を下ろすと、いつのまにか勝手に背後で猫の集会が開かれていて、自分も参加者だったのかと、気付く。

猫のぐるんぐるんとのどを鳴らす音が、背後から、ひざから、横から、聞こえてくる。みんな違う、のどの鳴らし方。重なり合って、心地よく、私の耳に、届く。

猫はあれから、増えない。

猫の神様は、お前の家は、6匹がちょうどいいと、言っているのだ。

地域の猫に出会うたびに、私はいつも話しかける。

「今、ちょうどいいですよ。」

そう言って、おかないと。

娘が独り立ちした今、空きがあるから。

猫の神様の強引な縁組が、行われてしまうかもしれないから。

猫の神様の思し召しなら、お受けする覚悟は、ございますけどね。


猫の神様のおかげで、毎日フクフクもふもふ、うふんうふんです。


【解説】

わりと道行く猫に声をかけるタイプです。なんというか、ねこって思慮深く見えることありませんか。なんでもお見通し的な、人とは違った、達観っぷりというか。たまにやんちゃで間抜けなドジ猫もいますが、基本猫はみんなちょっと人間よりも大人?出来がいい?そんなふうに感じないでもないんですよね。

私は子供時代、生物全般全てが嫌いな家族の元で暮らしておりましたので、長く…猫を害獣として認識していました。臭くてノミだらけの猫が家の前で寝そべって居ようものなら、家族がほうきを持って追うような家で育ちました。猫のフォトブックなどを見ていると気持ちが悪いと言われるので…あまり手に取ることもなかったです。なんというか、ねこのかわいさを知らずに大人になった感じですね。たまに道路や学校の入り口で子猫を見かけることもありましたが、それを知らせると家族が尽く保健所に電話をかけるので、見つけても見なかったふりをすることがほとんどでした。

しかし、ねこ自体…生物全般はとても好きで、いつか飼ってみたいなあ、そんなことをただ漠然と思っていました。

高校時代、友達の家に遊びに行ったら猫がいて、やたらと足もとにすり寄られたことがありました。こんなにも猫が近寄ってくるとは思ってもいなくて驚いてしまいました。今にして思えば、とても人懐こい、フレンドリーな猫だったのでしょう。私の初めての猫と触れ合った経験は、まさかの触られることからスタートしたんです。恐る恐る触らせてもらった猫の背中は、思っていたよりもゴワゴワしていました。

家を出てからは、この物語の通りです。大昔お隣に住んでいた優しいおばあちゃんの言葉を長年ずっと大切に心の中にしまっていた事を、一人暮らしを期に思い出せた感じですね。引っ越したばかりの頃は、新居の周りには知り合いもいませんから、一人でぼんやりと散歩をすることが多かったため、道行く猫に声をかけるようになったのですが、端から見るとかなりやばい人だったのかもしれません。

五匹の赤ちゃん猫を拾った日のことはよく覚えています。買い物に出かけた時は見当たらなかったので、捨てられてすぐの状態で発見したのだと思います。電気炊飯ジャーの段ボールに入れられて、上空ではカラスが飛んでいました。自転車の前も後ろもハンドルも荷物があるような状態で、とても箱を持ち帰れる状況ではなかったのですが、一度家に帰ったら絶対に後悔すると思いサドルの上に乗せて持ち帰りました。

すぐさま動物病院に連れて行き、ミルクのセットを買ってお世話が始まったのですが…とてもワクワク?したんですよね。ああ、ねこの神様がようやく私の願いを叶えてくれたってほっとした感じでしょうか。当時娘が乳児時代を終えて手がかからなくなり、ちょうど余裕ができた時期だったため本当にタイミングが良かったのです。

初めてお世話するねこは温かくてやわらかくて、ちょっと痛くて、たまにうるさくて…、とても毎日が色付いたんですよね。小さな子供と二人きりで過ごすのも楽しかったですが、そこにさらに貧弱で弱い小さな命が加わると、もっと満たされる要素が増えたといいますか。猫のお世話を通して、娘もいろいろと学ぶことができたと思います。

あの時拾った猫たちから、いろんなことを学ばせてもらい、今もまだ、学んでいる途中です。猫にまつわる物語を書けたのも、猫たちがいたからです。

これから先も、ずっと私の中に残る、大切な猫の記憶。

猫の神様に感謝をしつつ、その存在を拙いなりにお伝えしたかったのです。

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