男岩鬼になりたくて5
「大江! きさま、野球をナメてるよな」
挨拶する間もなく、いきなり張り手が飛んで来た。
儀間のグローブのような平手で右の頬を叩かれた。なんかやったか、俺? と少しきつねにつままれたような顔で睨み返すと、儀間はすかさず言った。
「いいか! おまえのシートバッティングのスウィングの速さと打球の強さを見て秦先生が俺にすぐさまメンバー入りさせろって言ったんや。だがな、こうも言った。“あいつは野球をナメている。謙虚さが足らん。存分に教えてやれ!”とな。だから今日から教えてやるんだ」
張り手が続けざまに飛んで来る。
先輩からも殴られ、コーチからも殴られる。殴られるために沖縄実業に来たんじゃねえ、このクソヤローが! 抑えていた怒りの導火線に火がつきそうになった。
「なんだ、その目は!」
瞬間的に反抗的な目で相手の顔を見返したため、さらに張り手の強さが増した。メンバーに入った代償が儀間の張り手か……、天秤にかける思いで殴られ続けた。先輩から散々殴られているせいか、殴られることに慣れてしまった。
「おまえがきちんと野球ができるまでいくらでも殴るからな、よく覚えておけ!」
「はい!」
返事だけは威勢良く返してやった。
どいつもこいつも悪代官みたいな台詞を吐きやがる。“教育”という看板を掲げて、自分の感情をぶつけるかのごとく殴る蹴る。まるでヤクザだ。ストレス発散も甚だしい。まあいいや。メンバーに選ばれたからには一気に狙ってやる。絶対的な立場になるまでは、いくらでも殴られてやる。その代わり、不動の立場になったとき誰からも何も言わせない。それまではいくらでも殴られてやるよ。ひとつの仮面を作ることを決めた瞬間でもあった。
「おい、蒼、またやられたな」
誰もいない部屋に戻ると、慶太が心配そうに冷たいタオルを持ってきてくれた。バカでスケベだがいい奴だ。
「儀間は、ムツのコピーだからな。自分がムツの代わりだと思ってやってるかなら。信念も何もなくただ殴っているだけだからな。ありゃ、アホよ」
アホの慶太に言われるのだから、儀間も始末に負えねーな。
「とにかく、今は休んでおけ。洗濯は俺がやっておくから、おまえは洗濯しているふりをしながら、屋上で休んでいろ」
「いいよ、自分の仕事はするよ」
「アホ! 今のおまえを見ていると危なっかしくてこえーんだよ。頭を冷やせって意味だよ」
アホの慶太のくせに、よく見てやがる。それだけ今の俺の顔には怒りが滲み出ているということか。たったこれしきのことで自分をコントロールできねえなんて俺もまだまだだな。
「じゃあ、少しの間だけ頼むわ」
慶太の言葉に少しだけ甘えることにした。
3階建ての寮の屋上は、ほとんどが洗濯を干す場所で占領されている。ビルの屋上によくありがちな貯水タンクも設置されているが、その貯水タンクの上にも登れるようになっており、そこが唯一の休憩場所になっている。言うなれば、ドラクエやFFのセーブポイントのような場所だ。
大の字になった俺は、闇に浮かび上がる満点の星をただ眺めていた。
「星かぁ……」
今まで星をゆっくり見上げることなどしなかった。幼き頃から身体がデカく、スポーツをすれば誰よりも抜きんでいた。勉強もできた。小学校時代は、勉強ができるよりも足が速いとか運動ができる子のほうが羨望の眼差しとなる。小学1年生のときから整列をしても一番後ろで、常にみんなを後ろから見下ろしていた。だから同級生と話をしていて目線を上にあげたことなど一度もない。それからだろうか、自我に目覚めたのは。誰にも負けない、負けたくない、その思いでずっとやってきた。だからなのか、背は高くとも目線は少し斜め下に向け、歯を食いしばりながら見えない敵と戦ってきた。歯を食いしばるときは顔が少し俯き加減になってしまう。
小学校3年から地元の少年野球に入り、すぐさまエースとなり、小学校6年では圧倒的な力で県大会優勝投手となった。たまにテレビの企画コーナーで“130キロ投げる天才小学生投手”と誇大広告のようなキャッチをつけたのが放映されるけど、その後、その天才小学生投手たちがプロで大成したという話を一度も聞いたことがない。所詮、小学生レベルの段階だと、身体の成熟度によって実力が抜きん出る。つまり、身体がデカけりゃ少々速いボールも投げられるし、打てばみんなよりボールを遠く飛ばせる。例え小学校で140キロ投げられようとも、末はプロ野球選手かメジャーになるかは完全な未知数。
実際、中学時代に140キロ以上を投げて高校に入ってスーパー1年生としてもてはやされても、高校3年生になって高校ナンバーワンの称号を得るのは、全国的に無名だった奴が意外に多い。高校になって身体もでき、そこからの伸びしろは計り知れないからだ。人生どこでどう逆転するか分からない。
俺も、小学校からチヤホヤされてきた部類だ。小学6年生で県大会優勝し、自分たちはもちろん喜んだが、周りの大人たちの喧噪が正直ウザかった。中学校に入り、ポニーリーグに所属すると、中学2年で全国大会ベスト4、中学3年になると身長も180センチを超え、ピッチャーとして均整の取れた体型からのMAX144キロ。当然、全国の高校から勧誘が来る。超名門校から新設の高校の関係者までが、自宅やポニーの監督の家へと日参し、大人たちが雁首揃えてああでもないこうでもいろいろ話し合う。俺はただ黙って聞いていた。
「蒼はどうしたいんだ? おまえの人生なんだ、自分の意見を正直に言ってみなさい」
ポニーの監督は、さも俺の事を考えているような言い方をするが、最初の頃はいざしらず、俺は途中からその言葉をまともに受取らないようにした。すべて自分の利でしか動いてないように見えたからだ。確かに始めは親身になってくれていると思った。
しかしだ。全国からいろいろな高校が勧誘に来沖し、それぞれの高校への対応が微妙に異なっているのを目の当たりしてから考え方が変わった。高校側からいろいろ説明を受けている間、「大江君が来てもらえば、もちろん、こちらとしてもそれ相当の協力はさせていただきます」という言葉が出るたびに、監督の目が途端に煌めき、息遣いまで荒くなっているように感じた。隣にいれば、空気が微妙に変わるくらい肌で分かる。そのときに理解した。別に俺のためにやっているんじゃなく、自分のためにやっているんだ。大人たちからすれば「それは違う!」とムキになって言うだろうけど、俺はこの目で直接見て感じとったんだから仕方がない。
「うちの場合の特待生とは、授業料免除、寮費タダ、生活費一部保障、その他となっております。
蒼くんには野球に専念できる最高の環境を用意しております」
いかにも揉み手って感じでヘコヘコ話す高校関係者たち。授業料免除、寮費タダ、生活費一部保障は特待生の中でもSクラス、いわゆる特Sなんだけど、“その他”って何だよ!? 沖縄の田舎の中学生だからって何も知らないと思うなよ。ナメすぎなんだよ。
「条件的には文句ないと思いますが、あくまでも本人の意向を踏まえて検討したいと思います」
監督が最もらしいことを言いながらほくそ笑むのを必死に隠そうとしている。きっと裏では監督はもちろん、親も支度金という形で金を貰う仕組みになってんだろうよ。何か意見を言えば、「おまえのだめだから」と諭す大人たち。「おまえのため」という言葉ほど便利な言葉はない。大人のずるさ、狡猾さを知り、この頃から俺の目の前にある景色は一変した。
俺が野球で活躍すればするほど、大人たちの顔付きが変わる。一介の中学生のひとりの進路なのに急に大人たちが介在して親以上に心配し始める。進路なんて俺と親と担任だけで悩むものだと思ったけど、スポーツ特待生っていう肩書きをチラつかされると、ブローカーみたいな輩がどこからともなくウヨウヨと集まってくる。まるでドラクエやFFの世界と一緒だ。この世の中、密かに魑魅魍魎たちが隠れており、何かがちょっと高値で売れるのを知ると、そいつらがどこからともなく湧いてくる。気持ち悪いけど、それが現実だった。
振るような星空を見ながら、そんなことを考えていると、
「あっ、流れ星っ!」
思わず、口走った。確か、流れている間に願い事を思えば叶うんだっけか。あっまた流れたっ!
たくさんの星粒が集まって夜ができているようだ。
手を伸ばせば、星粒が掬えそう。
「父ちゃん! 俺、あの夜空に輝く巨人の星になるよ!!」って叫んだのは、『巨人の星』の星飛雄馬だったよな。もはやギャグにもならない時代錯誤の台詞だと思ったけど、本物の星を見ているとちょっぴりわかる……わけねえ! 巨人じゃなくてまずは甲子園だ。ただずっと見ていると、流れ星がヒュンヒュンと溢れていく。あっ、と思った瞬間、流れてすぐ消える。願い事なんて思う暇もない。願い事を準備して流れ星を見るのもなんだかショッパイ。神頼みは最後の最後にとっておけばいいさ。
ただ、この星粒を見ていると、今の俺たちのようだ。眩いくらいにキラキラと輝き、そして段々と流れ星になって消え去っていく。最後まで光り輝くのは誰か……。柄にもなくセンチに考えたけど、俺はその向こう側に行ってやる。そのために沖縄実業に来たんだから。
星空を見て少しは気が晴れたから、お星様というやらに少しは感謝かな。
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