男岩鬼になりたくて3

全国学力テストでほぼ毎年最下位の沖縄だけど、スポーツは全国に誇れるのもがある。その中でも沖縄実業といえば、野球、ボクシング、ボートが全国的な強豪であり、野球少年にとって沖縄実業のユニフォームを着て甲子園に出るのは憧れの的だ。中学時代から大型右腕として県内では敵無しだった俺は幾多の高校から誘われたが、もの心ついたときから当時沖縄で最強だった沖縄実業に入ると決めていた。
 入学から遡ること半年前、中学3年の9月上旬、沖縄実業のグラウンドへ行きピッチングを披露したときから、ケチのつき始めだったのかもしれない。
 沖縄実業は広大な敷地に二面あるグラウンドの片隅に、一度に5人投げられるブルペンが完備しており、ムツが腕を組みながらブルペンのキャッチャー側でずんぐりむっくりの身体をデンと置いている。
「大江くんといったね。ちょっと投げてみろ」
 頭のてっぺんから出ているようなスットンキョーな甲高い声がし、ブルペン内にピーンと緊張感が走る。
「はい」
 ウォーミングアップはすでにできている。プレートの周りの土を足で軽くならし、左右のスパイクで歩幅を確認してから踏み出す足の位置の土を踵で少し掘りかえす。準備は万端だ。
 構えているキャッチャーミットの位置に焦点を合わせプレートに右足をかける。振りかぶってから腰を右にひねりながらに左足を上げ、重心を地面に落とすように左足つま先をキャッチャーミットまっすぐ方向に大きく踏み出す。ユニフォームのボタンが引きちぎれるくらいに胸を張り、右腕は鞭がしなるように遅れて出てくる。指先からボールが離れる瞬間の「パチッ!」という音がたまらない。完璧な体重移動によるオーソドックスなオーバースローで投げ込んだ。
「バシッッーーン!」
 乾いたミットが裂けるような音がブルペン内に響く。しっかり調整したおかげで体重がしっかりとボールに乗り、指先にもかかっている。ピッチャーは頭の中でイメージしている球と実際投げた球とのズレがどれくらいあるかを修正していく。この日は、自分の頭の中と一致する球を投げられた。
 ブルペンに集まっていたギャラリーが驚き顔でいる。監督のムツは、何に頷いているのか分からないがウンウンと軽く首を縦に振っている。ときおり、ムツの横にいる白のワイシャツの姿の男と小声でヒソヒソ話をしているのが見える。ブルペンのマウンドにいると、嫌でもそういった光景が目に入るものだ。そういえば、小学校のときからそうだった。
 同級生より成長度合いが早かったせいか、小学校6年にしてすでに177センチあった。みんなより頭ひとつ分抜けて背が大きいことにコンップレックスを感じていた。よくある話しだが、本人にとっては重要な問題だ。とにかく同級生より20センチ以上もデカく、顔もデカくて長かったら、ひとり人間山脈“アンドレ・ザ・ジャイアント”だった。
 学校では、当時流れていた丸大ハンバーグのCMの真似をよくやらされた。「♪ハイリハイリフレハイリホー、ハイリハイリフレホッホー」というBGMとともに、山小屋から少女と少年が出て来ると、突然背後から巨人が現れ、少女から渡されたハンバーグを美味しく食べながら「大きくなれよ 〜」と叫ぶヘンテコリンなCM。教室に入るときも「「ハイリハイリフレハイリホー、ハイリハイリフレホッホー」と言いながら入ったりすると、みんながゲラゲラ笑う。給食のときも「大きくなれよ〜」と言って笑わせた。俺は笑えないし、何よりもこれ以上大きくなりたくなかった。
 友だちと一緒に外を歩いていても、ひとりだけデカい小学生がランドセルを背負っている姿は大人たちにとって異様に映るらしく、いつも視線を感じていた。たまに目が合えばすぐに逸らす。
「俺ってバケモノ扱い!?」
 それ以来、大人たちの好奇な視線や行動にことさら敏感になった。
 野球は小学校3年から始めた。地元の軟式野球少年団に入り、背が高いということでピッチャーをやり、簡単に速い球を投げられた。自慢の速球で地区大会に優勝すると、周りの大人たちが「天才野球少年」「プロ入り間違いなし」と騒ぎ立てる。小学生6年のときは球速120キロ以上出るようになった。別に何の努力もせず、普通に練習していただけだ。だいたい小学生程度であれば体格の優位が如実に出るもので、たとえ130キロ投げられようが、それだけで甲子園やプロに行けるわけじゃないのに、未来の約束手形のように周りが煽るというか、はしゃぐというか、そんな大人たちをずっと見て来た。はじめは、異様に背の高い小学生に対し“妖怪”を見るような目で見ていたのに、野球で実力を発揮すると“怪物”として囃し立てる。どっちにしても奇異に映っているのは変わりない。
 友だちだって同じだ。“ハイリハイリフレ”とバカをやっているときは一緒になってゲラゲラ笑っていたのに、いざ野球で頭角を表すと途端に掌を返すようになった。普通は、みんなから一目置かれて学校のヒーローになるものだが、沖縄は違う。仲間外れにされるのだ。
 沖縄には“ゆいまーる”という言葉があって、いわば助け合いの精神が根付いてる。日本で唯一の地上戦があったことも関係しているのだろう。みんなが同じ立場だったらみんなで協力する。でも、誰かがちょっと変わったことをして抜きんでるものなら、出る杭を打つようにこぞって叩く。
 勉強もできたし、野球も上手い、身体も大きい。すべての面において嫌でも目立った俺を疎ましく思っている奴がたくさんいたんだと思う。それでも、教室ではバカなことをやってみんなを笑わせたりして、うまくバランスをとっていたつもりだったが、野球で騒がれ出すと、仲の良い友だちが少しずつ距離を置くようになった。休み時間にいつも遊んでいた友だちがよそよそしくなって仲間に入れてくれなくなる。自ら歩み寄っても変に避けられる。おかしいなと思い、
「なぁ、俺も混ぜてくれよ」
 陽気に振る舞いながらグループの輪に加わろうとすると、
「蒼はいいよな〜、何でもできて。別に俺らといなくてもいいじゃん。俺らもいらねえし」
 リーダー格の奴が睨むような目つきで言い、みんなを引き連れて行ってしまう。
“いらねえ”という単語が突き刺さった。俺はいらねえんだ……、しばらく頭の中で反芻した。
 このとき初めて分かった。自分が目立てば目立つほど、孤立していくことを。仲間外れされる寂しさ、辛さ、自分は何をやったんだというもどかしいさで心をギュッと潰されていくようだった。どうすればいいのか、ずっと考えた。そして、自分なりに結論が出た。自分を守るために極力感情を出さないようにすればいい。勉強も野球も手は抜きたくない。だったら普段の学校生活ではできるだけ淡々としていようと決めたのだ。波風立てず、友だちと接していても逆らわず、優しく、静かに接していようと誓った。
 だから沖実のプルペンに入ったとき、解放された気分になった。空気がまったく違った。所詮中学は中学の野球であり、甲子園常連校の野球部の専用グラウンドは戦う場所だ。
「そうそう、これよこれ!」バカみたいに大声で叫びたかった。
 中学校までは自分の思いをできるだけ封印し、静かに学校生活を送ることだけを心がけていただけに、高校、それもあの沖縄実業のグラウンドに入った瞬間、血が煮えたぎる思いがした。
 友だちと仲良く戯れるために生まれ持った闘争心を“ひょうきん”という殻で覆いかぶせていたが、高校になったらそれもおさらばだ。甲子園により近いレベルの高校に行けば、遠慮せずに思い切り野球が出来る。そう思ったら、元来の気の強さがムクムクと現れた。
 グラウンドに入って周りを見渡した瞬間、
「おいおい、どいつもちっちぇー奴ばかりやねえか、ショボ!」
 完全に見下していた。
 ブルペンで変化球を交えて20球ほど投げ終わると、沖縄実業野球部関係者から「あがってよし」の合図があったため帽子をとって挨拶し、プルペンから出ようとすると、
「おまえ、うちに来んの?」
 入れ違いでブルペンに入ろうとしたピッチャーから声をかけられた。
「あ、はい。おそらく」
「ふーん」
 ほんの数秒だったが、このときのことははっきり覚えている。声をかけられたことじゃない。そのピッチャーが醸し出す雰囲気というか、圧にちょっとたじろいだというか……、向うは向うで感じていたはずだ。ピッチャー同士だから分かる独特の匂いというか、表向きは殊勝な態度を取っている俺の裏側の部分を嗅ぎ分けたに違いない。そんなことも知らずに俺は、
「んだよ。まあ俺が入ったらどいつもこいつもいらねえ奴ばかりだけどな」
 意気揚々とグラウンドを後にした。
 ただ、そいつのユニフォームの胸に大きく“大矢”と黒マジックで書かれていたのを見逃さなかった。
 そして忘れもしないのは入寮した初日。
 生まれて初めて目、耳、鼻、口、肌という五感を嫌というほど同時に痛めつけられた日でもあった。
 部屋は全部で12部屋あり、ほとんどが6畳のフローリングに二段ベットを置いての4人部屋。構成は3年生ひとりに2年生二人、そして1年生。部屋の中は、練習着や野球道具が散乱し、汚いというより獣臭がする。部屋によっては汚物の匂いまで漂い、新種の生物がいる感じだ。
 匂いに慣れない俺はむせ返しながら、白のTシャツと短パン姿で部屋に荷物を入れて片付けていると「おい、大江、10分後に三塁側ベンチ前まで来い」2年生エースの大矢良二が部屋の外から覗き込んで言う。
「はい!」反射的に勢い良く返事をした。呼び出しだ。2年生エース大矢は俺より10センチばかり低いが、キレの良いストレートと胸元を抉るシュートを武器にしたサイドスローピッチャー。沖縄実業のエースだけに風格だけはあるが、蛇のような切れ長の一眼に、薄い唇でいつも口角を上げ、舌の先は二股になっているように感じさせるくらいの爬虫類顔。ありゃ、前世で絶対人を殺してる顔だ。
 ある程度覚悟しながらベンチに向かうと、大矢とミスター金城が立っている。2人とも獲物を待ちわびてイキがっている感じだ。
「おい、これに着替えろ!」
 大矢から放り投げられたのは、紺のアンダーシャツ。今から練習をするのか? どういうことかワケがわからず、白のTシャツを脱いで着替えると、
「よし、着替えたな!」と言われたとたん、いきなり目の前の景色がブレた。左頬がジンジンする。思い切り殴られたのは分かったが、一体何が起きてるのか分からないまま姿勢を戻そうとするやいなや拳が飛んで来た。右頬を殴られるとすぐさま左からパンチが飛び出てくる。殴ってるのはミスター金城。大矢はニヤニヤしながら腕組みして見てるだけ。奴の切れ長の目は、蛇のような執念深さを滲ませていた。
 一発殴られる度に鼻血が粉末のように飛び散り、頰はグシャッと音がする、一度避けると、その何倍もラッシュのように畳み掛けてくる。準備段階もないまま殴られることが、こんなに精神的ダメージを喰うとはこのとき初めて知った。20発くらいまでは数えていたが、そこからはもうなすがまま。ボクサーがスエイバックしてパンチの威力を吸収してダメージを防ぐように、身体に力を入れずに預けるようにした。
「言い忘れたけど、白ティー禁止な!」
 そう言うと、思い切り拳を振り切られた。口の中を切り、血だまりが紺のアンダーシャツにべったりつく。なるほどな、だったらこれから赤いTシャツでも着てやるよ。
 185センチある俺でもパンチを20発以上喰らえば、足の踏ん張りが効かず立ってられなくなる。
そのうち木製バットのグリップで腹をど突き出す。どこまでやれば気が済むのかというくらいヤラれた。ブッ倒れるしかなかった。
 大矢は憎悪に満ちた顔でペッとツバを吐き、
「おまえ、適当にしないとイテまうぞ」
 突然のとってつけた関西弁。ドラマのベタなワンシーンを見ているようで超ダサえ。どっかに隠しカメラが仕込んであってドキュメンタリー映画でも撮っているかのような臭い立ち振る舞いが滑稽に思え、倒れたまま大矢を睨んでやると、
「おら、この目が気に食わんのや」
 ボコッ。軽く助走を付けてのみぞおち蹴りが入った。ベンチ脇にグシャッと潰れるようにうつ伏せに倒れた俺に向かって
「おまえ、別にいらねえから」
 捨て台詞を吐き、
「あ、そうそう、終わったら“ありがとうございました”って言うのがここの礼儀やからな。明日からな」
 さも親切心でやってる体で言う。
 奴らは何が可笑しいのか分からないが、ケタケタ笑いながら寮へと戻っていった。
 これが、俗にいう洗礼というやつか。ベンチ下の所々ひび割れた砂塗れのコンクリートに右頰をつけながら目を開けると、うっすらぼやけたグラウンドが視界に入った。上下に見えるグラウンドが陽炎のようにゆらゆら映る。
 へっ、いらねえだとよ……、おめえらのほうがいらねえわ。
 ボロボロにやられクシャクシャに潰されたが、気持ちは切れてない。まだ切れるわけにはいかない。何も始まってないんだから。
 そして、少し落ち着いたところで最後に言い放った“明日からな”という言葉がやたらと不気味に思えて仕方がなかった。

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