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言葉は諸刃。でもやっぱり、伝えずにはいられないんだよ。

言葉は諸刃の剣だと思っています。
言葉は人を傷つけられるし、人を助けられる。人の希望にもなるし、絶望にもなり得る。

それを知っているからこそ、誰かに言葉を贈るときには、とても慎重に考えます。
考えすぎて、もういっそ何も伝えないほうが……、と思うくらい。

それでもやっぱり、伝えずにはいられないのです。
たったひとつの言葉が人を救う瞬間があることを、わたしは知っているから。

このnoteは、猫丸さんのnote「『贈られた言葉』でまた一歩踏み出す」の感想note。

言葉が持っている「力」のこと

言葉は、とても大きな力を持っています。
人の心を軽くすることができるし、視野を広げることができるし、誰かの一歩を後押しできるし、強張った身体を解きほぐすことができる。
誰かの人生を変えることだって、言葉にならきっと可能だと思う。
(つまりはその逆も可能だ、ということでもあるけれどね。)

誰にだって、きっと苦しいときはある。

なかなか晴れ間が見えず、いつも土砂降りで、もう全身ビショビショ。雨宿りする場所さえ見つけられずに、視界は真っ暗闇。
いっそ、歩みを止めてしまおうか。そんなふうに考える瞬間もあるだろう。

そういうとき、もう何も届かないと諦めそうになるとき、
「言葉」は、そっと心に届いてくれるのだと思う。

それは、大きな雨傘であったり、雨宿りできる屋根だったりするのだろう。
もしかしたら、一緒に土砂降りの中で笑うような存在かもしれない。

たとえ雨がすぐには止まなかったとしても、言葉が届いたら、あなたはもう一人じゃない。

わたしが救われた言葉

わたし自身、何度も言葉に救われてきました。

「れんちゃんと出会えて嬉しいよ」
「力になれるかは分からないけど、話を聴きたいとは思っているよ」
「もっと好きなようにしていいんじゃない?」

明確にフレーズとして残っているものもあれば、なにか温度感のようなものになって心に居ついてくれているものもあります。

友人の些細な一言であったり、ネットサーフィン中にふと見かけた言葉であったり、勇気を振り絞って伝えてくれたのであろう言葉であったり。
シチュエーションも相手も意図も内容もバラバラですが、そのすべてが、わたしにとっての宝物です。

言葉は諸刃。でもやっぱり、伝えずにはいられないんだよ。

これまで、言葉で良い思いしかしてこなかったわけではありません。
言葉によって傷つけられたことも、傷つけたこともあります。
でもやっぱり、それ以上に助けられたことがあるんです。きっと、助けたことだってたくさんある……はず。たぶん。きっと。…………、だよね?

言葉を扱うからには、ましてやnoteやSNSのような多くの人に一気に届けることができ、一度出した言葉を引っ込めることがほぼ不可能な場に言葉を出すからには、やはり慎重にならずにはいられない。

それでも「伝えない」という選択肢は取りたくない、と思う。
たとえ誰かを傷つける可能性が残るとしても、誰かを救える可能性を手放したくない。

この言葉で、誰かがまた一歩、踏み出せるかもしれないのだから。

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takaren advent note 73日目

cotree advent note の記事をひとつずつ掲載しています。

今回のnoteは、こちら。

久々に、文章を読んで泣きました。
この感想を言葉にするのは難しくて、どうしようかずっと悩んでいたのだけれど、、、
拙い言葉でしか表せられなかったとしても、そこには力が宿ると信じて。誰かに届くと信じて、ここで筆を置くこととします。

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