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カウセリングを受けて初めて見える、自分の奥深くにある感情について

他者との対話を通して、初めて見えてくるものがあります。

自分の感情や欲求でさえも、自分ひとりだけでは見えない部分があるのだと思います。

このnoteは、いたのさんのnote「オンラインと対面。二つのカウンセリングで気づいた、心の底に染み付いた悲しみ。そしてそれを癒すもの。」の感想note。

カウンセラーさんがかけてくれた言葉に救われた

いたのさんは、自分のことを「隠れ頑固」と言います。
理不尽なものに遭遇すると熱い何かが込み上げてきたり、信じる正義ゆえに誰かとぶつかったり。

わたし自身、自分のことを頑固者だと思っているので、いたのさんの言葉には共感する部分があります。(わたしも、正義を信じるがゆえに人とぶつかっていました。)

そんな、頑固で、脆い自分を守ろうと必死だった私に、カウンセラーさんはこんな言葉をかけてくれました。

感情が溢れすぎて不安になったとき、いたのさんはカウンセリングを利用したのだとか。
そして、カウンセラーさんにとてもあたたかい言葉をかけてもらったそうです。

この言葉に、私はとても救われた気がしました。

「前を向けなくてごめんなさい。」「向き合えなくてごめんなさい。」こんな感情でいっぱいになってしまっていたからです。

今思えば、「自分の話を聞いて受け止めて欲しい」と言う時期だったのだと思います。

一生懸命になりすぎると、視野が狭まってしまうことがあります。
他者からの気遣いに気付けなくなったり、ゴールへ向かうことに集中しすぎたり、自分の感情と向き合えなくなったり。

そんな苦しい中で、それでも向き合おうとし続け、他者からの言葉を受け取れたいたのさんは、やっぱり強い人だなぁと思うのです。

わたしはわりと感情が溢れてくるタイプで、それこそ理不尽な出来事を目にすると、行動せずにはいられなくなります。
頭から離すことができず、グルグルとそのことについて考えてしまう。涙が出てきてしまう。

そういう自分はおかしいのではないかと、疑った時期もありました。

そんなわたしを救ってくれたのは、やはり人の言葉でした。

他者との対話を通して、自分の奥底にあるものに気付く

いたのさんはそれから、自分と向き合う決心をし、メンタルクリニックに行くことを決めました。

私が話す出来事だけを聞くのではなく、溢れ出てくる感情を取りこぼさないように、紐解くように、話を進めてくれました。

最近の悩みを話していたのに、気づけばいつの間にか、小学生の頃の話をしていました。

最近の悩みについて話していたのに、いつの間にか幼少期の話になったり。直近の葛藤について話していたのに、生き方や人生についての話になったり。

何かと向き合う過程で、その根底にある課題に目が向けられることがあります。
自分の奥底にある、ドロドロとした感情や、まとまらない気持ち。言葉にならないモヤモヤとしたもの。

多くの悩みは、その場の出来事だけでなく、幼い頃に培われた価値観や経験が影響していると思っています。
例えば、「他者の目を気にしすぎる」とか「自分のことを大切にできない」とかね。

カウンセラーさんに、「『当時もっとこうして欲しかった。周りに助けてほしかった。』という思いがずっとあったのかもしれないね。」と言われ、思わず泣きました。

「自分が嫌われている」と自覚して壊れた小さなプライド。
1人でいることの寂しさも、自分でどうにも出来なかった悔しさも、
心の奥底に染み付いていたのだと思います。

そのことに気付いたとき、いたのさんはどんな気持ちだったんでしょう。

怖かったんじゃないのかな、と思うのです。
自分の中にある、深い悲しみや怒り、悔しさ。それが今の自分の感情に繋がっている。
いたのさん自身、薄々感付いてはいたのか、まったく見当もついていなかったのかは分かりませんが……、わたしが同じような状況になったときは、小さな恐れを抱きました。

自分の中に、ネガティブな感情が渦巻いているということ。
わたしは向き合うのにすごく勇気が必要だったし、長い時間をかける他ありませんでした。

少し頑張って考えて、言葉を絞ってみる

対面カウンセリングでは、部屋でカウンセラーさんと向き合って話すので、いい意味で逃げられません。質問がぶつけられて「ううっ」てなるけれど、少し頑張って考えて、言葉を絞ってみる。

それを繰り返して、「自分の心から絞り出した声」を聞けるのだと思いました。

いたのさんのこの言葉が印象的でした。
よく向き合っているんだな、奥底に眠っていた感情から逃げずに考え続けているんだな、と感じたんです。

奥底にある感情は、そう簡単に顔を出してくれるわけではありません。
頑張って考えて、言葉を絞っていく。その絞られたわずかな残りが、生々しい「奥底に眠った感情」なのだと思います。

その過程はきっとしんどいし、険しい道のり。
だから、カウンセリングでも、友達でも、家族でも誰でもいいから、他者と共に向き合ってほしいな、と思います。

その人からもらった言葉が、自分を見つめるキッカケになり得るかもしれません。

わたしが初めてカウンセリングを受けたときは、課題自体はハッキリしていたと思っていたのですが、「そんなことはないんだな」と気付かされました。
家庭環境や幼少期の思い出、価値観。そういうものが複雑に絡み合って、表層が「悩み」として表れていたに過ぎなかったのです。

幼い頃のわたしが抱えていた苦しみを、この年になって、カウンセラーさんに協力していただいて、初めて見つめることができました。

その苦しみを癒すために、これからも少しずつ、自分と向き合っていきたいなと考えています。

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takaren advent note 69日目

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