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自分に適した生き方を知る旅

いつも必死だった。必死に走って、転んで動けなくなって、立てたらまたすぐに走って。

間違わないように。笑われないように。置いていかれないように。

「いらない」と言われないように。

わたしはいつも何かに追い詰められているように感じていて、けれど振り返っても見えるのは暗闇だけだった。

ずっと、引きずっていたこと

先日、カウンセリングを受けた。「失敗を引きずりすぎてしまう。こんな自分を変えたい」という相談。

失敗を引きずるのは、失敗した自らに向けられる他者の目が怖いから。他者の目が怖いのは、常に評価される環境だったから。

要因を紐解いていくと、根っこの根っこには、昔ぶつけられた言葉があった。すっかり夏が消えて涼しかったのに、セミの声だけがやけに聞こえる日だった。

中学2年生の秋ごろ、母に「お前の親なんか辞めてやる」と言われたことがある。両親に秘密で学校を休んだことがバレた矢先の出来事だった。

母の表情も、その後どうやって帰ったかも、自分がどんな反応をしたのかも覚えていない。

沸き起こった感情は、悲しみでも怒りでもなく、焦りだった。

「本当に、捨てられるかもしれない」
「いつ家を失うかも分からない」
「ひとりで、生きていけるようにならなければ」

実際には母は子育てを続けたし、わたしにはずっと帰る家があったが、当時は真剣に捨てられた時のことを考えていた。

不安で不安で眠れない夜は、枕に顔を押し当てて眠った。声を殺して泣く方法は、この頃に覚えた。

10年経ち、少しだけ冷静に受け止められるようになった。

母は孤独だった。実家を離れ暮らした家は、隣人が厳しい人で。父は仕事に生きる人で、お姑さんとは相性が良くなかったから、息苦しさもあったかもしれない。

そういうものが、爆発しただけだったのだ。本心の言葉ではなかったのだ、きっと。

たったの8音に、救われた

カウンセリングはもう何度か受けていて、わりと明るいテンションで話すことが多い。

でも、小さな問題の根っこには過去の出来事やつらい経験が絡みついていることがある。絡みついたものを発見すると、表情や言葉をコントロールできなくなる。

当時の言葉を思い出した時、不意にそれ以上喋れなくなった。うまく言葉が出てこないのを誤魔化そうとして、「すみません」と苦笑した。

「大丈夫ですよ」

たった8音で、人はこんなにも安心できるのか。カウンセラーさんは、穏やかな表情で、じっと待ってくれていた。

当時とてもつらかったこと、それ以来人に頼るという選択肢が浮かばなくなったこと、人の重荷になるのがなにより怖いこと。嗚咽は漏れたけど、自分の言葉で話をした。

なんだか、心は軽くなっていた。

「無理に変える必要はないので、ご自身に合う方法を見つけましょう」

失敗を引きずることについて、カウンセラーさんから言われた言葉がある。

「たかれんさんの性格は、変えなくていいと思います。無理に変える必要はないので、ご自身に合う方法を見つけましょう」

っと、自分を変えなければいけないと思っていた。失敗を引きずらない人間にならなければいけないと思っていた。

けれどいきなり性格を変えようにも、培った20年がある。この世に生を受けてから23年。一人で生きねばと決意してから10年。ずっと失敗を引きずってきたのだ。

この性格を変えるよりも、この性格に合った生き方を選ぶほうがよほど効率的である

・失敗して落ち込みそうになったら、自分要因と環境要因で分けて考える。どうすれば繰り返さないか、今からできることは何かを書きだす

・落ち込みすぎるのは、そもそもストレスが強まっている時。ストレスに無自覚的なので、身体面のサインを記録する

・負荷を自覚した時には、早めに人の力を借りるか、別の負荷をかける(気分転換や他分野の勉強など)

すべてを一度に実践するのは無理があるので、ひとまず「身体面のサインの記録」から始めている。

だいありー

ストレスがかかるとだいたい過眠か不眠、食欲不振に陥るので、睡眠・食事の記録は忘れずに。cotreeのダイアリー機能を使って、軽い日記と共にサインをストックしている。

どうやらわたしの身体は、心よりずっと素直なようだ。

自分に適した生き方を知る旅に出る

今でも失敗することは怖い。目的とリスクがあると、ついリスクを大きく感じてしまう。それに困ることもあるが、そんな自分のことは嫌いじゃない。

だからほんの少しずつ、自分に適した形を見つけていこうと思う。まずは、身体が発してくれるサインに気づくことから。

何事もなければ、この先60年ほどを共にする身体と心。時間は短いように見えて長いと思って、生き方を探す旅に出ようと思う。

わたしには、カウンセラーさんや友達、心強い味方がたくさんいるから。

大切な人の役に立つために。いつかのわたしに胸を張れるように。もっと遠くの景色を見るために。

わたしは今日も何かを追いかけていて、でもふと振り返れば、あたたかな日々や繋がり、大切な記憶が見守ってくれている。


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