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子どもに交渉の余地を持たせてほしい、という話

「ほら、もうそろそろ寝る準備しなさい」
「まだいいじゃん。もうちょっとだけ」

「ゲームは21時までって決めたでしょ、もうやめなさい」
「え、もう!? 次のステージ終わるまで待ってよ~」

こんなやりとりを繰り返す親子は多いだろう。もしかしたら、毎日の日課のようになっている家庭もあるかもしれない。

親御さんは、ため息をつくかもしれない。苛立ったり、しんどくなったり。何かしらのネガティブな感情を抱きながら、子どもを急かすだろう。

でも、子どもが「もうちょっとだけ」と言えるのは、親子関係において、とても大切なことだと思う。

「もうちょっとだけ」は信頼の証

子どもが「もうちょっと」と言えるのは、信頼している大人に対してだけだ。
正確に言えば、「この人は自分の話をちゃんと聞いてくれる」、「自分の意見は否定されないし、反映される」と思える相手に対してだけ、「もうちょっと」と駄々をこねられるのです。

子どもの「もうちょっと」「まだいいじゃん」「少し待って」といった言葉は、単なるワガママのように思えるかもしれないし、毎日付き合うのは大変だろうけれど……。
できれば、一度耳を傾けてみてほしい。

「大人はちゃんと話を聴いてくれる」という安心感

子どもが駄々をこねたときにあなた(相手の大人)がきちんと聞く姿勢を持てると、子どもは「あなた」だけでなく「大人」を信頼できるようになる。

この「大人はちゃんと話を聴いてくれる」という安心感があると、例えば何かトラブルに遭っても大人に助けを求めやすくなったり、周りの人の意見を聞き入れる余裕を持てたりする。

子どもの見ている世界と大人が見ている世界は異なるから、「なにをそんなことを」と呆れる意見もあるかもしれない。
でも、特に幼少期は、周りの大人とどういう関係性を築けるかが、その後の人生に大きな影響を及ぼすと思う。
だからこそ、子どもの言葉を「子どもだから」と受け流さずに、丁寧に受け取ってほしい。

どの意見も、言葉も、その子なりに一生懸命出したことだと思うから。
大人と子どもとしてではなく、人と人として接してほしい。

話を聴くということは、要望に応えるということではない

勘違いしないでほしいのは、「話を聴く」ことは「要望に応える」ことではない、ということだ。

例えば子どもが「勉強したくない!」と言ったとき。
そのまま「うん、しなくていいよ」と言うだろうか。「今日の分は済ませなさい!」と叱るだろうか。「どうしてやりたくないの?」と問いかけるだろうか。

多分、こうしたほうがいい、という正解はなくて。
子ども一人ひとりの特性や段階を見て、最適解を探すしかない。

大切なのは、子どもの意見を蔑ろにしないことだ。
今日済ませたほうがいいと思うなら、なぜそう思うかを伝えること。そして、子どもに決断してもらうこと。

する/しないの二択ではなく「量を減らす」とか「一旦休憩する」とか「教科を変える」とか、対応方法はたくさんある。
そういう可能性を一つひとつ示しながら、子どもにとって無理のない選択を見つけたい。

「ゲームしたい」でも「新しいおもちゃ欲しい」でも「まだ寝たい」でも、根本は同じこと。
こちらのスタンスがあるなら伝えて、子どもの意見も聞く。最終的には子どもの意見を尊重することを前提とした上で、どの選択をするかを決めていく。

時間はかかるし、手間もかかるし、間違うこともあるだろうけれど。
そういう一つひとつの行動が、子どもを育て、大人を育てるのだと思う。

たまにでいいから、「どうしたい?」と問いかけてみてほしい

「一旦話を聴く」というのは、「交渉の余地を持たせる」ことだと思う。そしてそれは、「子どもを尊重する」ということだ

仕事に、家事に、育児に。忙しない日々を過ごす中で、なかなか子どもの意見を取り入れられない時もあるだろう。
親が代わりに決断したり、少し強めに指示したりすることもあると思う。それはそれでいい。すべてを完璧にこなそうとする必要はない。

ただ、たまにでいいから、「どうしたい?」と問いかけてみてほしい。
子どもがワガママになれる日を用意してほしい。
子どもと話す時間をできるだけ確保してほしい。

そういう時間が取れていれば、少し足りない部分があったって、子どもは気付いてくれるから。あなたが十二分過ぎるほど、子どもを愛しているってことを。

その気付きは、きっと子どものこれからの人生を支えてくれる。

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