なんのために踊るのか


僕は先日ひょんなことからとあるブレイクダンサーの方とDMでお話をさせていただきました。

その中で、お互いのブレイクダンスでの目標について話す場面があり、僕はもちろん「Red bull BCONEに出場すること」と答えました。

それに対し、彼女は「自分のために踊ることかな」と答えたんです。


僕はそれに非常にガツンと食らいました。自分も最近似たようななことを意識するようになりましたが、それを目標にすることはありませんでした。

しかし、よく考えると、「自分のために踊る」ということは「BCONEに出る」のと同じくらい、いやもしくはそれよりも難しいかもしれないことなのではないでしょうか。


bboyは誰しもが、岡村隆史さんやRABの踊ってみた、九州男児やタイスケなどをみて、ブレイクダンスを始めます。そしてそのきっかけは「エアチェアーがやりたい!」「1990が回りたい!」「女の子にチヤホヤされたい!」「会場を沸かせてみたい!」などさまざまなものがありますが、これらはどれも自分のための欲求です。しかし、練習を始め、指導者や仲間ができていくにつれ、状況は変わっていきます。

やりたい技が周りに自分よりうまい奴がいる、とか、体が硬くてできない、とか。そんな技やってもバトルで勝てないよ、なんてこともあります。そしていつしか人は自分にしかできない技や、自分だけの動きを求めて技を追求するようになっていきます。その場合が非常に多いです。


もちろんこれを突き詰めていくと、唯一無二のスタイルが出来上がり、ブレイクダンス界に大きな功績を残していくことがあります。しかし、この思いが強すぎると、時に自分のやりたかったスタイルや技とかけ離れていってしまうことがあるのです。


自分を例に出すと、僕は高校生の頃、ひでまるさんというbboyのストマックからのジローチェアーや、エアチェアーの美しさに衝撃を受け、当時熱中していたポッピンからブレイクダンスへの道を歩み始めました。そして年単位の時間をかけ、それなりのクオリティでできるようになりました。しかし、私が公式の場所でジローチェアーを使ったのはなんと、一回です!!一回。

これにはいくつもの要因があります。まず、難易度がそれほど高くなく、上手なbboyならそつなくできてしまうので、同じ技をその場でやり返されてしまう恐れがあり、やりたくない。また当時憧れた人のクオリティに達していない。そしてやってもジャッジからの反応は薄いかもしれない。実際にそんなことやっても得点にならないよーと言われたこともあります。さまざまな外的要因や無駄な思考によって、私は最も憧れて莫大な時間を費やした技をほとんど使っていないのです。しかし、本当に好きならそのような思考は跳ね除けていつでもやるべきではないでしょうか。そして代わりにやっていることは他の人に真似されづらい動きや周りの反応がいい動き。これは果たして自分のために踊っているといえるでしょうか。

私は同じような理由でエアチェアーやハンドグライドもあまりバトルでやって来ませんでした。人の目や勝敗を気にして、自分が好きな動きをすることが後回しになっています。

もっと自分に向き合う必要がありますね?


また、自分の周りにも、最初好きだったのはこれだったのに全然違うスタイルになってしまったなーーと話しているbboyがたくさんいます。それは否定すべきことではありません。なぜなら、好きな仕事で食べていくことが至難の業であるように、好きな技やスタイルで活躍することは非常に難しいからです。エアチェアが好きでも肩が硬かったり手首の怪我をしてしまえば、一線でエアチェアーを武器とする人と戦うことはできないでしょう。

しかし、仮に最初に憧れたスタイルとは違うものになったとしても、それが自分の欲求に基づいた、自分に捧げる踊りであるかはしっかり考える意味があると私は思います。


私とお話ししてくださった方は、自分の所属するコミュニティーのライバルたちのやっている技を見て、悔しくてその動きばかりを練習し、結果的にそれが必殺技となったこと、教わっていた先生のために踊って来てしまったことなどをお話ししてくださいました。

だからこれからの私は自分のために踊るんだと、力強く話してくださいました。

すごく素敵な決断をされているなと、思いました。

自分のために踊る、とは、当たり前のようで実はすごく難しいことだと思うのです。

そして、それが実現できていれば、たとえ上手でなくても、バトルで勝てなくても、一番幸せなことだとさえ思うのです。


話は少し変わりますが、私は好きなbboyがたくさんいます

多すぎるほどです。チームメイトには毎週毎週変わっていると揶揄われてしまうほどです。

そして、少し前までの僕はその時の憧れによって練習内容やスタイルが変わってしまっていました。バイターの代表格という感じですね。

しかし、私はいくら真似をしたところでveroやkazukirock、palmerやkid david、大門さんやjokerさんになることはできません。なぜなら、彼らは類稀な身体能力、そしてそれらを評価し高め合ってくれる仲間や師匠、練習環境、そして時代や運など多くの要因を経て作り上げられた緻密な、まるで精密な時計のような作品です。それらを真似することは非常に困難であり、たとえ努力の末に同じ動きや踊りのロジックをコピーしたところでそれは非常に表面的な写像でしかないのです。この場合もまた、自分のために踊っていないといえるでしょう。

私は動画の中の憧れよりも、私の身体的特徴、好み、周りの練習環境や仲間、得意な動きと向き合って私の踊りを作っていくことが大切なのです。おそらくこれが「自分のために踊る」ということでしょう。


幸い、私は素の状態の私から生み出される踊りを高く評価してくれる仲間に恵まれています。彼らに道を踏み外さないようにサポートしてもらいながら、これから僕の踊りをまっすぐに追求していきたいと思っています。最初に憧れたジローチェアーやエアチェアー。カミソリのような基礎フットワーク。それからパワーのできない僕が唯一習得できたハンドスピン。これらを忘れることなく確実に磨きながら、僕のキャラクターを生かしたコミカルな動きを焦ることなくじっくりと模索していこうと考えています。


長くなってしまいましたが、このくらいで終わろうと思います。

これらはあくまで歴の浅い若造の一意見であり、間違いも多々あることでしょう。

軽く聞き流していただきたいのですが、もし何か悩んでいる時に考えるきっかけや参考になることがあるのなら、これ以上嬉しいことはありません!



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