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保育者じゃない私が保育コミュニティに参加するシンプルな理由

ただの父親が保育コミュニティに出会う

私は保育関係者ではありません。
保育との関わりと言えば、3年前まで子ども達を毎朝保育園に送っていった父親であるというだけで、仕事上も保育に関わる事もないIT系会社員です。

そんな私が保育に携わる人たちと深く関わりを持つきっかけになったのは、
子供たちが保育園に通っていた9年間を経て感じた強い想いがあるからです。

一言で言えば、
「人と人とが関わるということはこういうことなのだと気づかせてくれた」のが保育士さんだったから。
その思いについては、1年前にブログを始めようと思ったときに書きました。

子どもがお世話になった保育園では、保育士は従業員、保護者はお客様のような希薄さや遠慮があるような関係ではなく、私達親と先生達とで一緒に子供の成長を見守ってきた、そう思える時間を貰えたことが大きいです。

この経験を経て、自分も保育士さんに向けて何かできることをしたいと感じ、オンラインの保育コミュニティの中に、明らかに異質な存在として飛び入り参加したのが1年前の2021年1月の事です。

そこでは、多くの保育者さんたちが、”保育”とは何か、を一生懸命語り合い、学び合い、子どもの未来、社会の未来を考える姿がありました。
私のような外側の人間からは見えにくい、保育というものの専門性を追求したり、それでも人(こども)という難しい存在と向き合う悩みをもったり。
世間で思われがちな、ただ子どもが好きで、優しく遊んでいる、というのが保育者の姿ではなく、とにかく一生懸命深く子どもに向き合い、向き合おうとする人達が沢山いることを知りました。

※本文では、主に保育園の先生を指す場合に「保育士」、
 幼稚園・こども園の先生、ベビーシッターやデイサービス等、
 子どもの保育に関わる仕事をする人達も含めて「保育者」と記載します。

保育者ではない私にできることは何か

保育の学びの場に参加させてもらい、保育に携わらない自分にとってもとても大きな学びとなりました。
保育指針、10の姿、月案週案日案など、発達や心身の醸成なども意識して色んな事を考えながら、保育者さんは日々こどもに相対していることを初めて知りました。
親として子供にどう対するかの参考になることもあり、社会人として保育の役割の社会的重要性を感じることもありました。

しかし、やっぱり私は保育者ではない。

このまま、ひたすら保育を深く語って学んでいても、私自身が保育現場で役に立つことはほぼありません。
では、私には何ができるのか。保育者の中にいていったい何がしたいのか。

今、私が保育に関わり続けようとするのは、主に次の3つの理由があるからです。

① 保育士さんに感謝を伝えたい

二人の子供が保育園でお世話になった9年間に体験した保育士さんとの関係性が、人間関係として人生で最も素晴らしい体験だったことは最初に書いたとおりです。

保育者と保護者の立場で、互いに一所懸命子どものことを思いながら、思いを共有して、協力して育ててきたという幸せな気持ちを貰ったことに、まず感謝を伝えたい。
自分の園だけでなく、世に働く保育者さん達に伝えたいと思いました。

私は9年の(親としての)保育園生活を終えるとき、園の先生方に感謝の手紙を書きました。
担任などで特にお世話になった人には個別にお礼を言いたかったし、それ以外にも関わらなかった先生はなく、結婚・出産して復帰してパートやフリーで勤務し続けてくれる先生方や、新任の若い先生方にも宛てて、とにかく感謝を伝えたかった。
(その時の手紙は一部こちらで紹介しています)

日本人は、察したり謙虚さを重んじる文化のためか、思ったことを素直に表現するのが苦手です。
保育現場では、保護者から仕事としての保育に対して
「お迎え遅れたのに見てもらって有難うございました。」
というような感謝はあっても、
「先生のあの気遣いが本当にうれしかったんです」
みたいな、その人への素の感謝を伝える機会は、
恥ずかしさもあって、あまり多くはないのではないでしょうか。
手紙を渡した先生からは、一様にこんなこと言われたことないとびっくりされ、涙ながらに感謝してもらえました。

保護者として、親として、一人の人間として、
先生一人ひとりへの感謝の思いというものがあります。
それをちゃんと形に表したいのです。
経験も多くなく、保育が上手くできないと悩む保育者さんはすごく多い。
でもそんなことより、あなたの存在が嬉しいのですと伝えていきたいです。

② 保育者の心身の余裕の確保のために保育外の力を発揮したい

2つ目は、そのような保育者さんの働き方を、私ができることで助けたい。保育の現場は、私が知る限りでもかなり人手も不足し、心身への負荷も多い仕事です。
日々のこどもへの保育の仕方はもちろん、記録や書類、指針の作成、掃除洗濯、外からは見えない様々な”業務”があります。
改善したくとも、予算面など行政との絡みもあり、簡単に解決できない事情も見えてきました。

しかし、そこに保育の外の目が入ることで、何かしらの変化を起こせるのではないか。
私は親であり、地域人であり、企業人です。
得意なことはITネットワークツールをいろいろ扱う事。
ビジネス的視点やIT技術者としてのスキルと知識、
親同士や地域社会との連携の目で保育現場の実態を知れば、
保育者の負荷と無駄を減らす方法が浮かぶのではないか。
保育士の皆さんに少しでもゆとりを持ってほしいし、
本来の保育に専念してもらう環境を作ってもらいたいとの思いがあります。

私はIT系が得意ですが、ICT化的な視点だけでなく、きっと、その他にも多くの視点が混ざることで解決できることがある。
建築家がいれば、保育士の望む保育を満たす素敵な導線の組まれた空間を作れるかもしれない。マーケティングが得意な人がいれば、地域活動との連動で資金調達ができるかもしれない。
保育者と、保育外の人が、ともに保育の環境を考える場ができればと、常日頃思っています。

③ 社会に保育の社会的価値を伝えたい

そして3つ目に、保育士の力をもっと世の中に認められるものとし、社会が子どもを知るためにその力を還元してもらいたい、そういう仕組みを作れないだろうかという思いがあります。

保育のコミュニティに関わるようになり、保育士がどのような深い想いをもって”保育”にあたっているのかを、この1年身に染みてきました。

保育は、こどもをただ遊ばせる託児所のようなイメージを持つ人も多いのだろうと思いますが、実態は全く違います。
保育園に親として通っていた私は、それくらいは(と言ってしまいますが)わかっているつもりでした。
ただ、保育コミュニティにいて割と大きな衝撃をうけたのは、
「“保育”と“子育て”は違う」
という言葉です。

自分が親でもある保育士さんは、園で行う「保育」と、自分の家庭で自分の子に対する「子育て」は違うと、多くの方から聞きます。
それを部外者の立場から聞いて、“保育”ってなんだろうと考えてきて、私は以下のようなことをイメージしています。

人間が生を受け心身ともに人間として成熟するための大事な最初の期間に、
知識と経験の狭間でこどもとの関わりの無限の実例にもまれながら、
いかに、こども一人ひとりの人生の礎を見守るかを追求し続ける人達

それが、保育者なんじゃないかと、今は感じています。

私は、これからは社会全体で”こども”という次世代を育成することを担わなければならないと思っており、
しかし一方で社会の人は、親も含めあまりにも”こども”というものを知らなすぎると感じます。
こどもを知らない、人間を知らない、自分が何なのかを知らない。
保育者は、保育の専門性と、常に子供と接する経験から、人間の根源の事例を知るプロフェッショナルであり、それを世の中に伝えることで、
社会が子どもを育むことの重要性を思い出すためのキーマンになると考えています。

それを、保育外の人間として訴えていきたい。
保育士が自分でそんなことを言えば嫌味になってしまうし、そもそも保育者さんが自分達の価値に気づいていないこともあります。
それどころが、劣悪な労働条件で保育士の可処分時間を搾取するような横暴な経営が放置されている実態もあります。

「社会の数年後を担う人材育成」という、保育の持つ社会的価値を皆で認識し、共有し、地域も企業も行政もが協力した、社会的に成熟した保育・子育て・教育の形に繋げたいと考えます。

保育者との関わりは心地よい

色々思いは書きましたが、
タイトルに書いた保育者じゃない私が保育に関わりたい理由。
それは、ただシンプルに、保育に関わるのが心地よいから
保育の世界観には、飾りのない一番人間らしい関わり合いがあると感じます。飾らないこどもたちを全面的に受け入れて、その姿に答える飾らない保育者の姿勢は、シンプルに気持ちがいい。
心を洗いながら、社会を洗っていくことを考えていきたいです。

あとがき:保育の世界が明るくなる先に見る夢

長々とまとまらない文章を読んでいただき有難うございます。

保育そのものへの思いはここまでなのですが、最後に私が目指したい事を書きたいと思います。

私が夢見ているのは、日本社会を、個々人の違いや特性を活かしあった、協創力のある社会にすることです。

人との違いを怖れることなく、その違いに気づく喜びを知り、互いの違いを活かしあい補い合う。
協調して事を成すマインドのある社会には、自分と異なる考えを叩いたり、いじめたりする理由が存在しません。
違うところがあるから、自分では実現し得ない発想と進化と変化を起こせる。どんなに環境が変わっても、多彩な関わりが常に変化を起こし、速やかに適応していけると思っています。

そのような社会を目指すには、ほんの20数年後の未来の社会を支えるこどもたちを大切にしないわけにはいかない。幼いころから、人との関わり方や自分の在り方を知り、体験できる環境を整えることは、その社会に共に生きる人全員にとって、本来無視できないことだと思っています。
人生100年時代。たとえ80歳超えても、20年後に自分が活きる社会を作ってくれる今産まれた子供と関わりがないわけがないのです。

経済発展と次世代育成は、社会を形成するのに不可欠な両輪です。
しかし、経済・仕事を重要視し、子育て教育を切り離す戦略をとってきた戦後日本の成功(に見える)モデルから変わることができず、その前提が覆ってから30年も経った今において、次世代育成の現場感すら見失った社会には、既にほぼ衰退の一途しか残されていない。
社会がないがしろにしてきた、こども=20年後の人材育成を担うことの社会的な価値を、社会が思い出さないと、もう後がないのです。

その忘れ物を思い出すために、今の保育士・保育者の存在が大きく光を放つと考えます。
未来の社会の種であるこどもたちを育むと共に、
私達の社会に、子どもとは何かを伝えてくれる存在なのではないか。

子ども達が健やかに育ち、保育者が快適に活動し、社会がこどもを大切にする。それをもって、初めて、経済と次世代育成が循環する、社会の持続的成長モデルを達成する。
そのために、少しでも何かできることを考えていきたいです。

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