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トロイ戦争は起こらない

伝える
人に伝える方法
演劇、ミュージカルってステキ
戦争はいけない
って思いながらも
する人間
愚かさ
懸命さ
でも起こる
平和という脆さ
戦争は怖い
恐ろしい
体験したかのように伝えられるってすごいな
怖かった
本当に
恐怖
戦争では男を英雄と呼ぶ
戦争では勇気という言葉を見つけられるが意気地なしという言葉も見つけられる
影響力の大きさ
良い面
耳を覆いたくなる
戦争ということを好きになる
戦争で人は神になる感覚になる
恐ろしい
戦争は知らないけど
戦争を今日1番知った
トロイ戦争は起こる
虚しさ
思いが平和を祈る思いが届かないもどかしさ
キレイゴトじゃ終わらない現実
という名の物語
でも現実はもっと重い
涙が出てくる
なんでだろう
あんなに想ってもあんなに願っても
どうしようもなく戦争への足を止められなかった
そんなに怖いものなのか
戦争ってなんだ
私の日々の生活は平和と呼ばれる何処かで戦争が存在することを見て見ぬふりした自分たちだけの"平和"を生きている
本当に
世界は理不尽で
現実は冷たく酷く残酷だ
言葉
武器
左腕から全身の血を流している少年兵に
左腕だけで済んでよかったではないか
と言った
頭蓋骨を真っ二つに割られた兵士に
鼻も折れてたらもっと酷かっただろうと言った
もう言うことはない
許しを請うだけ
全力で取り組むこと
届くんだろう
世界の大きなことを
テーマにした
大昔のことであり
現在進行形のことであり
未来のことであったのかもしれない
それはこれからの私たちが選んでいくこと
永遠のテーマ
始まったら、、
両国のトップが前日に友のように話し合う
平和をどちらも想いながら
振り返り微笑み手を振る
次の日には始まっている
間違ったと気付くのはいつも後から
後悔と反省と共に
気付いた時には
キラめく多くの命が光を失い暗闇に投げ出されている
遅い
遅い
遅くて愚かだ
そう言うだけならば、どれだけ簡単なことか
実際に何かの選択を迫られた時
過去に並べた、自分の本当に信じて声を大にして言っていたことが
その時にはなぜかただのキレイゴトに思える
そんなに簡単なことではないのだと言い訳したくなる
その時あなたはどちらを選ぶのか
現実の波に飲まれてキレイゴトじゃ上手くいかないと嘆いているのか
キレイゴトと言われようと過去の自分の言葉を伝え続け叫び続けあがくのだろうか
自分がどちらを選ぶのか
それは現実に繋がっていく
しかし、自分の思いとは裏腹に現実が進んでいってしまうことも往々にしてあることなのだ
戦争への憧れ
英雄というものの裏にあるもの
複雑に絡み合い渦に巻き込まれ
気付いたときに戦争は始まっている
大切な人から笑顔を奪い
大切な人の顔が引きつり
泣いている
笑顔のあの人を失いたくない
あの人に笑顔が消えたことに気付かないまま
人は忘れる生き物だ
楽しい思い出や辛い思い出
忘れて繰り返す
過ちも
陳腐なことしか言えない
私の言葉の力は完全に弱い
知識もいる
努力がいる
みんな関係ないと想ってる
自分は戦争とは無縁
平和だから
自分の周りは
今のところ
これって簡単に砕けそうで
怖い
怖い
私はこれでも一生懸命生きてる
そう見えなくても
でもやっぱりくだらない
でもそんな大きなこと考えても意味ないじゃん
関係ないし
でもね
関係あるってわかったときには
もう遅いんだよ
多分
みんな今も懸命に生きてる
戦争の方が懸命に見える
なぜなら命を懸けているから、ほんとに
でも命懸けるべきことなのかな
戦争って
今、懸命に頑張ってる私たちの方が
頑張る対象がより価値のあるものだと思うんだ
家庭を支えるために働くサラリーマン
自分の店のために指示出す店長
趣味のためにお金貯める大学生
行きたい大学に受かるために勉強する受験生
ご飯毎食作って、家族の服洗濯して、毎日家事する主婦
命の危険がないからって馬鹿にしちゃいけない
本当の命を懸けるよりも、命を懸けるって例えられるくらい頑張ってればそれが尊いものだと思う
本当の命って自由に懸けられるほどの軽いものではないから
これは平和だから
できる懸命さなんじゃないかな
例えが出なくなるときはもう始まってるんじゃないかな
のうのうと生きてるように見える
けど懸命に生きてたりもする私たち
平和なときこそ
冷静になって考えられることがある
ほんとうに考えるべきだと思うくらい
怖かった

読み手を考えずにつらつらと書いたこれは、「トロイ戦争は起こらない」という舞台を見に行った後の、覚書きと感想だ。戦争の怖さを1番自分ごとのように感じた瞬間で、言葉をまとめることが出来なかった。

この間、地雷博物館(CMAC)に行ってカンボジアの今までの戦争や内戦のことを知って、この舞台を思い出した。

地雷博物館では、地雷がたくさんあって争いが終わってもなお苦しみと恐怖を与える地雷は本当に罪だ。また、カンボジアはベトナム戦争や内戦など、争いが絶え間なく起こった歴史が現在にも影響を残してしまっている部分もあるのだろう。

地雷博物館に、日本から道具の寄付をしていたということを知った。説明してくれた彼は、そのことについて「オークンチュラン(ありがとうございます)」と真剣な眼差しで私に言ってくれた。私は何もしていない。ただ、日本で生まれたというだけだ。日本人という国籍を持ってることで恩恵をいただいているのは、今までの日本人のおかげだと実感した。日本人だと言って、悪い反応をされた経験は少ないし、VISA無しで多くの国に出入りできるパスポートを持っていることも有難い。

地雷博物館には地雷やピストルがたくさんある。だから、ピストルで大きなピストルを作ったり、象を作ったり、クオリティーが高い作品が並んでいた。来年くらいにはピストルで大きい池みたいなとこにカフェを作るらしい。アイディアがほんとに斬新でびっくり。地雷というと悲しい暗いイメージが強いが、その枠に捉われないところを感じた。できる頃には私は帰っちゃうけど、見てみたかった!!!

地雷博物館に行って、舞台を思い出したって話でした。

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