自殺について

人間は他者に影響されて人格から何まで形成されていくため、その本人に責任はないし、突き詰めたらキリがない。

その裏の背景では種々様々な要因が複雑に絡まっていて、
基本彼のような自殺者は、環境と毒になる家族と不運な巡り合わせ(虐めや人格形成に悪影響を及ぼすような人間環境)の三重苦によって人間不信、視野狭窄になっていき、少しずつ生きる力を奪われていく。
そうして心身共に弱体化をされ続けた果てに学習性無力感 • 絶望感(引きこもり)に陥れられる。

社会で生きていく力を家族と環境に妨害された上、人生観を変えてくれる人や、肯定してくれるような人とも出会えず、
或いは、出会う前に何かしらで不登校、引きこもりに追い込まれてしまうと逃げ場がないし、そんな状況下で現実逃避の日々が終われば自殺することしか考えられなくなってしまうのは当然のことで。

挫折は若ければ若いほど、出口を暗中模索する事になるし、何をやってもやることなすこと空転して、次第に出口が見当たらなくなって、
なぜそうなること言ったら、それらの危機的状況を自力で対処できるほどの、知識や経験を積み重ねていない状態のままだから。

そして、家庭環境が悪ければ悪いほど、挫折後も家族に助けを求めることができないし、
学校でも、他者と上手くコミュニケーションが取れず、友達と言える友達ができなかっために、友達という存在に頼ることもできない。
勿論ネットで助けを求めても、家族すら助けてくれない狭い世界を生きている人間のSOSが伝わるはずも無い。

そうして家にも外の世界にも行き場を失ったら、それ以上幸せにはなれないと、本質的に悟ってしまうのだ。
残酷な事に幸福も相対的なものであるから。
だから、もう後は死ぬしかないと。

追記

自己責任、努力不足もなにも、全く同じ環境、構成、巡り合わせなんてあり得ないわけで、
また他者を批判するのも、他者を批判していると勝手に思い込んでいるだけで、今まで自分が享受してきた知恵や経験を基に、他者の人物像を作り出して、その空想上の人物を批判しているに過ぎない。
つまり、結局この世はどこまでいっても、自己満足の世界でしかないということ。

http://web.archive.org/web/20060713203125/http://www18.ocn.ne.jp/~keito/mokuji.htm
関係はないけど、このサイトを一通り拝見すれば、彼のそこに至るまでの心情を、何となく感じ取れると思う。

自殺はある意味、己の身心を駆使した最大の抗議、恨みといえる。

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