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新しいルーティンをつくった一年。2023年の振り返り。

恒例の年末の振り返り、ここ数年毎年やっているが、今更ながらひとつ気づいたことがある。

年齢を追うごとに苦手意識が出てきているということだ。端的に言えば年々「振り返る筋力」が弱くなっている。

「振り返る筋力」というのはつまり、起きたことに対して「自分なりの解釈」を与え、「次」の道筋をぼんやりとでも描くことなのだけれど、ここ最近は「自分なり」というのがだんだん難しくなってきているようだ。

それは好むと好まざるに関わらず、家庭も仕事も年齢とともに「自分」から距離を置くようになったからだ。個人的なことを言えば、昨年に子どもも生まれたし、仕事においても毎年関係者が増えていっている。「自分だけ」を軸に物事を考える機会が圧倒的に減ってしまっているというわけだ。

そういうわけだから「自分なり」の出来事として1年を振り返る、ということをしようとしても、どうしてもぼんやりしてしまうのだ。

まぁそれはそれとして、今年もなんだかんだと賑やかな年ではあった。振り返りとまではいかずとも、備忘録の意味もこめて自身がやってきたことだけはまず羅列しておこうと思う。

あぁ。そうか、振り返りではなく備忘録と言えばいいのか。

1月に自身初の著書を出した。

宣伝会議さんにお声がけいただき、自身の経験を踏まえ、なるべく「実際的に」書いたつもりだ。オウンドメディアの最近の潮流もあってか、今年の宣伝会議の書籍の中では5番目に売れたそうだ(全体でどのくらいのタイトルがあるのかは預かり知らないのだけど)。

それをきっかけにしてだろう(きっとそうだ)、多くの取材を受け、講演の機会も頂戴することになった。

その他にも本当に多くのところからお声がけいただき、オウンドメディアについてお話しさせてもらった。話す内容は、若干に(いや、多分に)焼き直しの感は否めないものの、各所からお声がけいただくほどに、オウンドメディア自体は盛り上がってきているんだと実感した1年でもあった。

そのオウンドメディアだが、今年は「種まき」の年だったように思う。

メンバーが増え、僕の役割が「一歩引く」立場になった。必然的に視座は上がらざるを得なくなり、そういった意味ではオウンドの役割を今一度俯瞰で見つめ直す機会にもなった。

マネジメントとしては、おそらくできていないことの方が多いだろう。オウンドメディアはまだ答えのない領域だ。短期的な成果だけでは価値は測れないし、評価自体も複層的だ。僕自身もプレイヤーの数年間不安だった(まぁ今もプレイヤーではあるが)。席がないところに席を作ったのだから当然と言えば当然だ。

ただ、それをメンバーに強いるのは違う。だから僕が考え続けたのは、どうやったらメンバーにオリジナルな「持ち物」を持たせられるか、ということだった。どんな持ち物が合うのか、それを検分すべく、新しいことにチャレンジさせもした。そうゆう場になって「任せる」ことの難しさを改めて知ることになった。こう動けばいい、という自分の物差しを持ち込みそうになるのをグッと堪える日々が続いた。

まぁそれ以上にメンバーの頼もしさを知る機会にもなったのだけれど。

オウンドメディアとしては、まだまだ「これだ」というところまではいけてないが、なんとなくの方向性は見えてきた。メンバーが投げた球も来年にはどこかしらに着地するはずだ。どんなことが起こるのか、楽しみでもある。

その辺については以下にまとめているのでこちらを参照願いたい(この記事も基本新しいメンバーが書いた。いよいよ手離れし始めているように思う)。

個人的なことで言えば、今年を一言で表すなら「新しいルーティンをつくる1年」だった。

娘が今年の4月から保育園に通うことになり、仕事できる時間が制限されることになった。
先述したように、仕事ではチームメンバーが若干名増えたことで、手を動かすことより「見る」ことの方が増えた。要は環境がガラッと変わった。というよりやることが「アドオン」された格好で、もっとシンプルに言えば負荷が増えた。

そんなわけで今年の大半は、自身のフィットするやり方を模索することに集中していたように思う(結構タフな1年だった)。ようやく自身にフィットするやり方が見えてきたのは、本当にここ最近のことだ。「新しいルーティン」としたのは、プライベートと仕事の環境変化に適応するための「生活リズム」を新たに拵えるという意味合いだ(会うたびに「疲れてますね」と言われる所以はここにある)。

とはいえ、これまで続けてきた雑貨屋のコラムも切らさず、noteの「仮説の手前」も無事にやり抜けることができたし、仕事の方もなんとか回っていた(と思う)から、まぁなんとかなるもんだ、というのもわかった1年でもあった。

もう少し個人的なことを言えば、今年40歳になった。同世代の友人や少し先輩からよく言われるのは、これからは「誰と握手をするか」を選ぶようになるということだ。この先一緒に仕事をしていきたい人、付き合っていきたい人は誰か、考えておくといい、とも言われる。

はっきり言って苦手だ。そもそもあまり自分から「求める」タイプでないし、元々やりたいことがあるタイプではない(オウンドメディアだって必要に迫られて始めただけだ)。

そういった意味では、来年はもっと自分と向き合わなくてはいけないとも思う。10年後といったら50歳だ。50歳になればさすがに「その先」は狭まることくらい想像できる。来年はもっと人に会いにいきたい。

…こんな振り返りでいいのかしら。ここ最近の振り返りの中で一番中身がない気がしてきた。振り返るにはまだ早いと思えるほど、やるべきことがたくさんある、ということにしておこう。

そうそう。最後にひとつだけ。最近感じたことを。

ここ数年は、来た球をとにかく選り好みせずに、「自分なりの球」にして打ち返し続けてきた。前例に頼ったり、大きなものに寄りかかったりせずに、真正面から失敗前提で打ち返してきた(つもりだ)。そうしたら、いつの間にか見る景色が広がっていた。景色が広がるということは見通せるということで、それは少し高い場所に登れているということでもある。

立つ位置が変われば声のかかり方も変わる。結果として、そこにはまた席がひとつ用意されている。その繰り返しだ。とは言え、どんな席も座ったら座ったですぐモゾモゾするんだろう。そういう性格だから仕方ない。

こんなことに気付けたのも、マネジメントに注力するようになっていろんな人を見てきたから。やはり仕事を選んでるうちは、仕事にも選ばれる(チャンスロスする)ということだ。不思議な話だけど、選ばなければ、気付けば選ぶ側に回っているということだ。なんだかマッチョな考え方で嫌だけど、ある程度は当たっていると思う。

とにかく手と足を動かし続けている人には、それがどんな結果になろうとも、「次」は必ず待っている(声はかかる)ということだ。

まぁそんなわけで、結局のところ来年も動き回るしかない。そして「次」を探し続けてたい。

最後の最後に。
これを読んでいただいた、今年関わっていただいた方。本当にありがとうございました。この年齢になると自分ができないことがわかってきて、ますます人のありがたみがわかるようになりました。引き続き助けてもらうことになりますが、よろしくお願いいたします。

よいお年を。

ありがとうございます。 サポートって言葉、良いですね。応援でもあって救済でもある。いただいたサポートは、誰かを引き立てたたり護ったりすることにつながるモノ・コトに費やしていきます。そしてまたnoteでそのことについて書いていければと。