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絵空事 【え_50音】

【絵空事】絵は実際の物とは違って誇張され美化されて描かれているものであること。転じて、実際にはありもしないこと。大げさなこと。 (出典:大辞林 第三版)

「浮かない顔してるなぁ」
待ち合わせ場所の喫茶店に遅れて入ってきた彼は、先に入っていた僕の顔を見るなりそう口を開いた。口調とは裏腹にどこか楽しそうでもある。

「それで。何があったの?」
「いや、大したことではないのだけれど...」
僕は先日仕事で起きたことをポツポツと彼に話し始める。いつも飄々としながらどこか人生を愉しんでいるように見える彼は、数少ない相談ごとができる友人で、ふさぎがちな僕にとってとてもありがたい存在なのだ。結果いつもこうして話を聞いてもらって助けられている。

「なるほど。君のその提案は通らなかったわけだ」
僕の話を聞き終わると彼は出されたカフェオレにようやく口を付けた。話を聞いている最中一切飲み物に口をつけなかった彼のそういうところに僕はいつも安心をおぼえる。

大きな提案だったのだ、少なくとも僕にとっては。だからこそ気合いも入っていたし、共感してもらえると思っていた。しかし会議の場でプレゼンしたあとに返ってきた答えは「良いと思う。けど今やるのは現実的ではないからもう少し先になってから考えましょう」というすげない反応だった。要は“お蔵入り”だ。

「提案に穴があるのはしょうがないと思うんだ。それは僕の実力不足だから」
「うん。わかるよ。君が落ち込んでいるのはそこじゃない。提案の内容よりも想いが一切響かなかったことに落胆しているんだろう?」
「うん。まぁそうだね」 

「君の想いは絵空事だと受け止められた。でもさ、絵空事って言葉だけ見ると綺麗だよね」
そう言われて僕はぼんやりと漢字を空中に浮かべる。
「でも絵空事ではどうしようもない。実現させなければ意味がないよ」
僕のこぼした言葉を聞くと彼は小さくため息をつき、少し間をとってから口を開いた。

「ねぇ。僕はね、絵空事だとしても、この年齢にもなっても冷笑されるような大それたことを企てられる君のそういうところを信用しているんだよ」
思わぬ言葉に僕はつい顔を上げ彼の顔を正面から見た。

「多くの人は年齢とともにリスクを回避するようになる。それは関わる人が増え、関わるお金が増えることによってリスクを回避することの方が“よし”とされてくるから。リスク回避とは実のところ“周りの声”に先導された結果に過ぎないんだ」

珍しく言い切る彼の口調に驚きながらも僕はその先を待つ。

「ほんとはみんなそのことに気付いているんだ。でも気付きながらもやり過ごしている。そしてだんだんと視線は足元ばかりを追うようになっていく。転ばぬ先のってやつだよ。そこに“待った”はかけられないんだ。ふつうは」

「ふつうは」彼の言葉の勢いに押されてそう返すのが精一杯だった。

「でもね。僕は絵空事を言える人は強いと思っている。それでできれば一緒に絵空事を眺めたいとすら思っている。僕らにはもう一度絵空事を取り戻す必要があるんだよ」

話し終えたときには彼はいつもの表情に戻っていた。そして一言「たぶんね」と笑いながら付け足した。

喫茶店を出たら地面が濡れていて、ところどころに水たまりができていた。通りを見れば濡れた傘を手に歩く人たち、空を見れば青い空と鈍色の雲が広がっている。僕らが喫茶店に入っていた時間だけ降った通り雨のようだ。

水たまりは夕陽を反射し、眩しさで僕は思わず目を細める。
隣に立つ彼も同じように目を細めていた。

雨に降られたら 乾いてた街が滲んできれいな光を放つ心さえ乾いてなければどんな景色も宝石に変わる 『エソラ』/Mr.Children

気付けばこのフレーズが頭に流れていた。
響きだけだとネガティブな印象がある絵空事をカタカナに変えるだけでポジティブな印象に昇華させたこの歌は、高揚するメロディとポップな歌詞とは対照的になぜか寂しさが付きまとう。

それはたぶん「終わりがある」ことを受け入れている歌だから。けれど、いやだからこそその一瞬の煌めきはとても綺麗に映る。

「とりあえず明日もステップ踏んでいきましょう。ではまた」
そう言うと彼は颯爽と街中に消えていった。

たぶん同じ歌が流れていたのだと思う。そんな彼のことを僕はこれからも信用したいと思った。

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