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「良心」であるオウンドメディアをどう「引き継ぐ」か

オウンドメディアは“良心”なのかもね
自身のやっているオウンドメディアを指してそう仰っていただいた方がいましたが、良心とはまた絶妙な表現だな、と思ったんです。

その絶妙さについては今月のこちらのコラムにも書いたのですが。

「最後の良心」とか「良心の呵責」とか、それを手放したら大事な一線を踏み越えてしまうような、踏み越えたらダークサイドに堕ちてしまうような、そんな「最後の砦」感がある言葉だ。更に言えば「善悪」のように、社会である程度共通化された物差しではなく、「良心」はそれぞれの人の中にあって、それは彼ら彼女らに委ねられているという感じも兼ねている。まさに刹那的だ。

と、こういう空気感のある言葉だと思うのですが、その良心だと仰った方は、前には「オウンドメディアは唯一“ブレない” 場所かもしれない。経営もマーケティングも外部要因で、好むと好まざるに関わらずブレてしまうけど、そういう時の拠り所としてブレてはいけない場所」ということも仰っていて、まさに良心と同義のことかと思います。

そんなこともあり、最近改めて思うのは、オウンドメディアというのは、「必要に迫られて」「意志を持って」やるものということで、「外から提案されて」始めるものじゃないということです。当人の意志がなく始めても結局のところブレていき、良心からも離れていき、多くは必要とされなくなってしまうのだと思います。

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確たる根拠はないけれど「そうかもしれない」と思うことは、日々の生活や仕事の中で結構あると思うんです。普段は通り過ぎてしまうそういう感覚が後々顔を出してはヒントを与えてくれることも。正解やノウハウばかりが並ぶSNSでは発言することに気が引けてしまう「なんとなく」を月に2回を目処に書き残していきます。読んだ方々にとって、日常の「小さな兆し」に気づくきっかけになれれば。

仮説の手前

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