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「ルール」を振りかざす人より「たたき台」を作る人に賞賛を送りたい

前回は組織内の心理的安全性について少し思うところがあって書きました。

組織内における心理的安全性には「広さと深さ」が必要であること、つまりは見てもらえる「数」と、特定のポジションからの「期待」ということの掛け合わせで心理的安全性は担保できるという仮説をたてました。

ただひとつ論点として抜けていたのは、同じセクションや組織内でも、「横の人」が同じ仕事をしているかと言えばそうではない、という点です。

既にやり方が確立されているような領域、つまり「守り」に特化した業務もあれば、新規事業や可変しやすい業界(まさにネットの世界等)と向き合う「探索」を中心とした領域、つまり「攻め」に特化した業務もあります。

セクション内でチームとして分かれることもあれば、個人の中でも両側面を担うこともあると思います。こういう場面では暗黙的に二項対立が起きやすく、先述した「広さと深さ」では心理的安全性が担保されないことが多分にあります。

起こりやすいのは、「守る」側のやっていることの方がセクション内で「知っている人」が多く、どうしても評価が「守る」側に偏って(見えて)しまうということです。もっと言えば、「守る人」は、新しい飛び道具のようなものを打ち出すことができないため、仕事の方向性が「効率化」や「ルール化」といった「改善」に向かいやすいという傾向になります。それはそれでいいことなのですが、問題はそういった人が作るルールは当然「わかりやす」くなるということで、意図せずともそのルールメイカーの声が自然と大きくなり、セクション全体がルール順守の方に向かってしまうという、この傾向のことです。

ある程度組織が大きくなれば、健全な組織運営のためには当然ルール上でのプレイが重要になってきます。一方で、一度ルールを作ってしまうと、必然的にメンバー自身はルールを最上のものと捉え、他に目がいかなくなります。つまりルールはできた瞬間からそのルールが「上限」となってしまうわけです

そうなっていくと、「他の道」「新しい道」を探求している人の声が届きづらくなります(そもそも知らないし、知ってもルール上にないから評価されない、だから知ろうともしない)。また、どうしても仕事の大小で見ると「探求者」の行うことは「小」として映ってしまい、当人自身がネガティブな気持ちに流されていくということもあります。

つまり、ルールを守る人が尊重されるカルチャーは結果として、「学び続ける人」が離れていく組織になっていくリスクを孕んでいる、ということです。

そしてもうひとつ厄介なのは、ルールを「守るチーム」は無意識的に「テイカー」になっていくということです。

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確たる根拠はないけれど「そうかもしれない」と思うことは、日々の生活や仕事の中で結構あると思うんです。普段は通り過ぎてしまうそういう感覚が後々顔を出してはヒントを与えてくれることも。正解やノウハウばかりが並ぶSNSでは発言することに気が引けてしまう「なんとなく」を月に2回を目処に書き残していきます。読んだ方々にとって、日常の「小さな兆し」に気づくきっかけになれれば。

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