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カラーパープル

本作はスティーブン・スピルバーグ監督が1985年に初のシリアスドラマ監督作品として発表した名作を同作の監督・プロデューサーであるスピルバーグ、音楽を担当しプロデューサーとしても名を連ねたクインシー・ジョーンズ、主要キャラクターを演じたオプラ・ウィンフリーの3人のプロデュースのもと、ミュージカル映画としてリメイクした作品だ。

正確に言うと、1985年版をもとに舞台で上演されたミュージカルを映画化したものだ。
1986年版「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」、2005年版「プロデューサーズ」、2024年版「ミーン・ガールズ」といった辺りと同じパターンだ。

1985年版は同年度のアカデミー賞で作品賞を含む11部門でノミネートされながら、何故か監督賞にはノミネートされなかったし、最終的にはどの部門でも受賞できなかった無冠の名作として知られている。

アカデミー賞は同業者(映画人)が選ぶ賞なのでスピルバーグ監督に嫉妬した人たちが同作を無視したという見方が一般的だ。

1985年時点のスピルバーグは監督として「ジョーズ」、「未知との遭遇」、「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」、「E.T.」といった興行的にも批評的にも成功した娯楽作品を連発していた。
また、プロデューサーとしても「ポルターガイスト」、「グレムリン」、「グーニーズ」、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」とヒット作を次から次へと送り出していた。

そんな彼がシリアスドラマの名作を撮ってしまった。しかも、黒人でも女性でもないのに、黒人女性の話をまとめあげてしまった。

そりゃ、嫉妬するのも当然といったところだろうか。

その後、この評価のしかたは大人げないと批判されたことを反省したのか、1993年の「シンドラーのリスト」がスピルバーグ監督作品としては初めてアカデミー作品賞を受賞、同作と98年の「プライベート・ライアン」では同監督賞を受賞している。また、スピルバーグ監督作品は1970年代から2020年代まで6ディケイド連続で作品賞候補に、監督自身も6ディケイド連続で監督賞候補になっている。

この「カラーパープル」嫉妬騒動がなければ、もしかしたら、スピルバーグ監督自身も“何クソ”と思わず、「シンドラー」や「ライアン」のような名作が世に出なかったかも知れない。「ジュラシック・パーク」と「シンドラー」を同じ年に公開するような硬軟おりまぜたフィルモグラフィを誇る監督になっていなかったかも知れない。そんな気がして仕方ない。

85年版を見たのは遥か昔だ。

多少はカットしていたとは思うが(少なくともエンドロールは)、いくらスピルバーグ監督作品とはいえ、家族が団らんする年末の土曜日の午後に3時間枠でこうしたヘビーな内容の作品をキー局が放送したことは驚きだった。
その放送を録画したものを数週間遅れでやはり週末に親がいる中で見た。
それ以来、同作は見ていない。だから、記憶は多少、曖昧になっている。



それでも、85年版に比べると本作は主人公の境遇の悲惨さがマイルドになっているように思えた。
現在のコンプライアンスでは、メジャースタジオの大作ではDVや近親相姦を描くのには限界がある。
また、人種差別よりも男尊女卑の描写に重点が置かれたストーリーであるため、どうしても黒人男性が悪役になってしまう。DVを働くのが白人男性なら明確な悪役として描けるが、現在のポリコレ視点では性別問わず黒人を悪者にするとリベラル勢から批判されやすい。だから、黒人男性の悪業の描写もソフトになってしまう。その辺がこのバージョンの欠点だと思う。

ネット上の感想などを見ているとほとんど白人が出てこないのは不自然だという意見が出ているようだ。本作において明らかに白人が悪役となっているのは、というかきちんとした台詞のある白人が出てくるのは後半のわずかなシークエンスだけだ。

確かに米国の黒人監督が手掛けた映画とか黒人アーティストのMVには不自然なくらい黒人しか出てこない作品が多い。政治家も社長も校長も市民も問題児も全て黒人というやつだ。

ただ、本作における黒人しかいないという描写は差別されていると主張するコミュニティの中にも階級社会や差別がある。白人に差別されている黒人の中でも性別やルックス、職業で差別されているということを伝えるためには必要なものだったと思う。

アカデミー作品賞受賞作「グリーンブック」のメインキャラ2人は白人と黒人のコンビで、一見すると差別する側と差別される側に思える。
しかし、この白人はイタリア系で米国白人社会では地位が低い存在。つまり、米国全体で見れば2人とも差別される側となる。
一方、この黒人はエリートでフライドチキンを食べるような一般の黒人を見下している。つまり、黒人社会では差別する側である。
そして、イタリア系白人もエリート黒人を見下しているところがある。

そうした、一筋縄ではいかない差別と被差別の関係を描いていたからこそ、同作は作品賞受賞という高評価につながったのだと思う。
本作もそうした関係を描くことが主体となっているのだろう。だから、男尊女卑や主人公のルックスなどに関する描写が強調されている。
そして、その描写を分かりやすくするために白人の出番を減らしているのだろう。
でも、こういう描写は白人=悪、黒人=正義みたいな一方的な見方しかできない人には理解できないかも知れないなと思った。

それから、本作の舞台となった約半世紀の間に米国は2度の世界大戦に参戦しているが、その描写もほとんどない。
悲惨な境遇のヒロインが年を重ね、苦難を乗り越えて成功を手にするまでを描く展開なのに戦争のシーンがないと物足りないと感じるのは朝ドラの見過ぎだろうか(見始めて10年も経っていないが)。

とはいえ、本作が見る価値がない作品かと言うと、そんなことは全くない。
ブルース(正しくはブルーズ)やゴスペル、ジャズをベースにしたミュージカル・ナンバーは聞きごたえ十分だし、終盤には思わずウルッと来たりもする。

名作のリメイク版にはガッカリすることが多いが、スピルバーグ印の作品としては、2021年の監督作「ウエスト・サイド・ストーリー」に続き、うまく、現代風にリメイクできたと言っていいのではないかと思う。



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