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クライ・マッチョ

クリント・イーストウッド監督作品が実話ものでないのは2010年(日本公開2011年)の「ヒア アフター」以来約11年ぶりのことだ。作品単位で言えば8作ぶりだ。

この間の7作品を振り返ってみよう。

 伝記映画としては、元FBI長官を描いた「J・エドガー」(2011、米国での公開年・以下同)と音楽グループ、フォー・シーズンズに材をとった「ジャージー・ボーイズ」(2014)がある。

また、実在の出来事(戦争、事故、事件など)を描いた作品としては、イラク戦争の「アメリカン・スナイパー」(2014)、ハドソン川で起きた航空機の不時着水事故の「ハドソン川の奇跡」(2016)、アトランタ五輪時に起きたテロ事件の「リチャード・ジュエル」(2019)がある。これらの作品は特定の人物にスポットを当てているので伝記映画でもある。

さらに、欧州で起きた鉄道テロ事件を描いた「15時17分、パリ行き」(2018)は、事件に巻き込まれた当事者が役者として出演している。

「運び屋」(2018)は純粋な伝記映画ではなく、登場人物名なども変えられてはいるが、実際にあった事件をもとにストーリーが作られている。

そもそも、「ヒア アフター」だって、作品自体はファンタジー=フィクションだが、スマトラ島沖地震による津波の描写がある。

「ヒア アフター」より前のディケイド(2000年代)だって、実話映画だらけだ。「父親たちの星条旗」、「硫黄島からの手紙」の“硫黄島2部作” をはじめ、「チェンジリング」や「インビクタス/負けざる者たち」が実話映画だ。

こうした社会派作品が多いところが、イーストウッドは根っからの共和党支持者なのに、作る映画は左翼っぽいと言われる所以だと思う。

にもかかわらず、2014年度の「アメリカン・スナイパー」(同作はアカデミー作品賞にもノミネートされた)を最後にイーストウッド監督作品が賞レースを賑わせることはなくなってしまった。

同作以降の作品、「ハドソン川の奇跡」、「15時17分、パリ行き」、「運び屋」、「リチャード・ジュエル」、そして本作といずれも賞レース向きの社会派作品であるにもかかわらずだ。

「ハドソン川の奇跡」以降のイーストウッド作品でアカデミー賞にノミネートされたのは、音響編集賞候補になった「ハドソン川の奇跡」と助演女優賞候補になった「リチャード・ジュエル」があるだけだ(いずれも1部門ノミネート)。
2000年代には監督作品3本がアカデミー作品賞にノミネートされ、このうち、「ミリオンダラー・ベイビー」が作品賞に輝いていることを考えれば、突然、冷遇するようになったのは不自然極まりない。

そうなった理由は明白だ。2016年秋の米大統領選挙で、リベラル層が多いハリウッドが嫌うドナルド・トランプが当選してしまったからだ。
以降、米エンタメ系賞レースは極端なポリコレ路線を進むことになった。
そして、作品そのものではなく、その作品に関わった人間で評価する傾向が強まり、黒人や女性、LGBTQの監督や俳優を評価する方向に向かっていった。最近はそれにアジア系も加わっている。

だから、アンソニー・ホプキンスがどんなに素晴らしい演技を見せても、白人高齢男性である彼が「ファーザー」でアカデミー主演男優賞を受賞した際にはリベラル思想の連中が文句を言ったのだ。

イーストウッドなんて、白人高齢男性に加えて共和党支持者だから、そりゃ、今の米映画賞では評価されるわけがないんだよね。どんなに左翼思想に近い内容の映画を作っていてもね。本当、おかしな世の中だ。

そして、日本のメディアの中には欧米のリベラル思想が全て正しいと思い込んでいる者も多いので、米国でポリコレ的視点から酷評されているものは自分たちも評価してはいけないと思っている連中も結構いる。キネマ旬報はその代表だ。

あれだけイーストウッド監督作品が首位争いするのが当たり前状態になっていたキネ旬ベスト・テンだって、1位に選ばれたのは2016年度の「ハドソン川の奇跡」が最後で、次作「15時17分、パリ行き」が一気に順位を落として6位、その次の「運び屋」が久しぶりにイーストウッドが俳優として出演しているからちょっとは持ち返したけれど、それでも4位で、さらにその次の「リチャード・ジュエル」はトップ10内にすら入らなくなってしまった。

米映画賞の流れを追随し、共和党支持者の作品は絶賛すべきではないと考えているのは明らかだ。

ところで本作はイーストウッドの監督デビュー50周年記念作品となる。確かにこの1本の中にはこれまでのイーストウッド作品(非監督作品を含む)のあらゆる要素が盛り込まれていると思う。
カウボーイ、カントリー、カーチェイス、ヒューマンドラマ、社会問題の描写、年下女性とのロマンス、若者との交流、動物等々、そうした要素が次から次へと盛り込まれているのだから、映画好きなら、この映画を嫌いになれるわけがないと思う。

フェミ的な人は高齢男性と年下の女性のロマンスの描写に噛み付くかもしれないが、そのお相手はメキシコ人だし、この女性だって、イーストウッド演じる主人公から見れば“若者”だが、孫がいる年齢だしね。
さらに、この主人公は手話を使えるし、最初は理解できていなかったスペイン語も1週間かそこらの滞在期間でおそらく、聞き取りくらいはできるようになっている感じだったし、しかも最終的にはメキシコに残ることを選んでいる。

また、“老いて自分が無知だということを悟った”的な台詞も言うんだけれど、これって、意訳すれば、“老害ネトウヨになるな!”というメッセージだと思うんだよね。

非常にリベラルなメッセージだと思うんだけれど、イーストウッド御大が共和党支持者というだけで作品を無視するのは違うんじゃないかなって思う。

カントリーとラテン音楽が何の違和感もなく同居して使われている映画のどこが、ウヨ思想映画なんだよって感じだな。リベラル思想の連中こそ差別主義者なんじゃないかって思う。

そういえば、多くの日本人が「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で知ったであろう、チキンには腰抜けという意味があるということを改めて認識させてくれる終盤のシーンも良かった。チキン(鶏)に“マッチョ”という名前が付けられていたのは、そういうことなのねと納得した。

あと、風景の切り取り方が美しすぎる!まぁ、イーストウッド監督作品の風景描写の美しさは定評があるけれどね。

だから、これだけの作品が賞レースで無視されているというのは、本当おかしいんだよね!

リベラルって、ポリコレって、なんなんだろうか!

ところで、日本での宣伝文句では監督デビュー50周年と同時に、40本目の監督作品というのもうたわれているけれど、この数え方には違和感があるな。おそらく、本来はテレビ用の作品だけれど、日本では劇場公開された作品を含めて40本ということなのだろうが、でも、イーストウッド主演作品の中には、クレジットされていないだけで、実際は彼が演出しているとされる作品もあるわけだし、何か、50と40というキリのいい数字を並べたいために強引に作ったキャッチフレーズって気がするな。

でも、これって、ワーナーがやっているんだよね…。ジャッキー・チェン作品みたいに日本の配給会社が勝手に、○周年とか○本目みたいにカウントしているわけではなく、本家ワーナーの日本支社がやっているから、話はややこしくなってしまう…。


《追記》
ちなみにMOVIX亀有で本作を鑑賞した。
MOVIXで映画を見ると、本編終了後にアンケートのお知らせのQRコードを出すので、チェックしてくださいみたいな告知画面が出てくることがある。でも、本編終了と同時にスタッフがスクリーン前に仁王立ちして、“とっとと帰れ”アピールするんだよね。この告知画面の意味ないよね?
清掃や消毒などで時間がかかるので、とっとと客に出ていってほしいというなら、アンケートのお知らせは本編終了後に流すのではなく、入場時にチラシを配るとか、あるいは退場時に出口にボードを掲示するとか、そういうやり方の方が良いのでは?

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