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小山田圭吾問題を考える

本当にありえないことばかりの騒動だった。

胸糞悪いいじめというより障害者への暴力行為を働いていた小山田圭吾なんて、本人が居座っていようと、とっととクビにすべきだったのに、本人は自主的に辞めないし、組織委は彼こそふさわしいみたいなことを言って、炎上に炎上を重ねるアホな事態になってしまった。

小山田の起用発表直後すぐに彼の過去の悪行が明かされ炎上したんだから、その時点でクビにすべきだったんだよ。

本当、日本人って一度決めたことは変更できない病にかかっているよね。

その原因は民主党だろうね。民主党政権があまりにもド素人すぎたために、国民は物事を変えることに憶病になってしまったからね。そして、その政権中に東日本大震災が発生したことにより、人々の保守思想が高まり、その後、再び自民党政権になって以降は、一度決めたことを変えるのはもうやめようというモードになったんだろうね。

まぁ、そもそも、小山田圭吾を起用すること自体ありえないんだけれどね。

日本のテレビ局が海外で開催される五輪やワールドカップなどの国際的スポーツ大会を放送する際に、大会の公式ソングがあるにもかかわらず、その曲を使わずに局独自のテーマ曲を使うことが当たり前になっているが、そういうのに倫理的に問題視されているアーティストを使うなら勝手にしろよと思うが、世界に向けて発信される五輪開会式などの場で問題のあるアーティストを起用するということはありえない。

R.ケリーは2010年のW杯南ア大会の公式アルバムには楽曲を提供していたが、2019年に未成年との性交渉問題で逮捕されて以降の欧米の価値観ではR.ケリーの曲をラジオでかけるなんてとんでもないという流れになっている。だから、当然、国際的スポーツ大会で彼の楽曲が起用されることなんてありえない状況になっている。

かつては、薬物問題など不祥事を起こしたアーティストについて、日本はすぐにCDを出荷停止にしたり、配信を停止にしたりするが、海外では、そんなことはなく、罪を犯したアーティストの楽曲も普通にラジオで流れているし、CDの出荷や配信が停止されることはないとされていた。

しかし、MeTooやBlack Lives Matterといったムーブメントが高まるに連れて、女性や黒人を差別するような行為を働いた者に対しては生涯、贖罪し続けなくてはいけないという風潮になりつつある。

ビリー・アイリッシュは2019年度、2020年度のグラミー賞で(授賞式はそれぞれ年が明けてから開催)、U2以来となる2年連続最優秀レコード賞受賞を果たした。
その2020年度の受賞曲“Everything I Wanted”は全米シングル・チャート(Billboard HOT 100)で8位を記録したが、それ以降リリースされた新曲は“My Future”が6位、“Therefore I Am”が2位、“Your Power”が10位と、トップ10ヒットを連発していた。

“Everything I Wanted”が発表された2019年11月以降、今年4月までにリリースされたシングルで全米トップ10入りを逃したシングルはたったの3曲しかない。
そのうちの1曲、“Ilomilo” は、2019年3月リリースのアルバム『When We All Fall Asleep, Where Do We Go?』からのシングルカットでアルバム発売からだいぶ経った2020年春のリリースだからトップ40入りを逃してもおかしくはない。

また、“No Time To Die”は映画「007」シリーズ最新作の主題歌だが、映画がコロナの影響によって公開延期になったことからプロモーションがストップしてしまったことを考えれば、しかも、ジョン・バリー(「007」シリーズの多くの作品に関わった作曲家)のマナーに沿ったような、いかにも007な曲という、彼女のファンが好むタイプの楽曲ではないことを考えれば、最高位16位というのは大成功だと思う。

そして、残る1曲“Lo Vas a Olvidar”はロザリアとコラボしたスペイン語楽曲だ。当然、スペイン語曲というのも彼女のファン層の好む楽曲ではないので、60位台を記録したのは十分に健闘したと言っていいのではないだろうか。

ところが、今年5月以降にリリースされた新曲2曲はいずれもトップ10入りを逃している。
“Lost Cause”はMVがLGBTQを商業利用していると批判され、27位で初登場以降、一気にチャートを下降していった。
そして、その批判から間髪置かずに、ビリーがスターになる前のローティーンの頃に、アジア人蔑視とされる(というか明らかにアジア人差別だが)行為をしていたことが明らかになった。

彼女は“当時は無知で何が差別か分かっていなかった”みたいな謝罪コメントを発表したが、それでも世論の怒りは収まらず、最新シングル“NDA”も支持されず、全米トップ10入りを逃した。というか、初登場39位というギリギリでのトップ40入りとなり、“Lost Cause”の時よりも、さらに人気が下降している。

今年4月くらいまでの感覚では、3年連続グラミー賞最優秀レコード賞受賞という大快挙もあるのではと思われていたが、この状況だと最優秀レコード、最優秀アルバム、最優秀楽曲の主要部門ノミネートは難しいかもしれない。

それくらい、米国ではアーティストの倫理観に対する見方は厳しくなっているんだよね。マスコミのみならず、一般の間でもそうした考えは広まっている。だから、形だけの謝罪なんて、謝罪とは認めてもらえない。

五輪の中継スケジュールというのは、どの国で開催されようと、米国NBCの意向が最優先される。米国がそういう社会になってしまい、小山田の過去の蛮行が米国でも大々的に報道されてしまった以上、小山田外しの“外圧”が米国から押し寄せるのは当然のことなんだよね。

小山田が同級生をいじめていただけでも、米国のポリコレ観点からは“クビにしろ!”という要求が来るのは当たり前なのに、そのいじめ方が排泄物を食べさせるとか自慰を強要するとか非人道の極みだからね。
しかも、いじめた相手は知的障害者。いじめにプラスして、マイノリティ差別もしていたのだから、平和の祭典である五輪パラリンピックに関わる資格がないのは明白だ。

特にパラリンピックに関わるなんてありえない。障害者を虐待していた人間が、障害者スポーツの祭典の音楽を担当するなんてジョークでしかない。

そもそも、小山田に限らず、今回の東京五輪パラリンピックに関わった人間って差別主義者が多いよね。

渡辺直美をブタにしたオリンピッグをセレモニーに登場させようとした演出家の佐々木宏は、セレモニーの演出プランだけでも十分、差別的だけれど、彼の代表作とされるCM作品も十分差別的なものばかりだよね。

家族の中に何故か異人種(犬、黒人)がいることを笑いにしている「白戸家」シリーズや、外国人の風貌をした男性を宇宙人として描き、やはり笑いのネタにしている「宇宙人ジョーンズ」シリーズなんて、明らかな人種差別だしね。

しかも、この佐々木によって追い出された一派ですらポリコレ観点からは問題のある人物だったりする。椎名林檎なんて、彼女の音楽を聞いても分かる通り、ネトウヨだしね。
日本代表応援ソングではなく、あくまで、NHKのサッカーテーマ曲であるはずなのに、“NIPPON”なんていうタイトルの曲を作るし、しかも、ウヨ層受けを狙って、歌詞を昔風の縦書きにするところもいやらしいし、完全にビジネスウヨの代表みたいなアーティストだからね。

そこで思うんだよね。小山田にしろ、佐々木にしろ、椎名にしろ、組織委側はいわゆる“身辺調査”をやったのかと?

佐々木や椎名はまだ、人気CMやヒット曲があるから、ウヨ要素はあっても、まぁ、中国や韓国さえごまかせれば欧米人は何とも言ってこないかもしれないが、小山田はグラミー賞にノミネートされたこともあるくらい、欧米でも知名度のあるアーティストだからね。欧米からの批判は、佐々木や椎名の比ではない。

そして、ネトウヨ思想を持っているだけでは犯罪にはならないが、小山田が同級生に行ったいじめはほぼ犯罪だからね。
しかも、障害者差別をしているとなれば、尚更、国際的な批判の対象になるのは明らかだしね。

小山田起用をを発表するのがギリギリになったのって、もしかすると、ギリギリにすれば、交代要因を見つけたり、音楽を差し替えたりする時間がない=小山田で押し通せると思ったからでは?

我々も、企画書を提出しろとか言われた際に余裕を持って提出すると、上司だなんだという連中が“あーしろ!こーしろ!”と注文をつけてきて、何度も何度もリライトさせられるハメになるから、締め切り直前に提出し、せいぜい、1回程度のリライトで済むようにすることが多々あるが、それと同じことを組織委はしていたのでは?

つまり、“身辺調査”をして小山田に問題があるのは分かっていたが、他のアーティストに依頼する時間もないし、無観客開催になって払い戻し対応をすることになったが、既に得ていたチケット収入は使ってしまったから、これ以上の予算もない。それに、音楽マニア以外は小山田なんて知らないから、“世界的アーティスト”と言っておけば、無知な一般国民が絶賛するだろうと思っていたんだろうね。

でも、今は組織委やマスコミが大本営発表しか伝えなくても、一般市民が簡単に過去の事例を調べられる時代だから、すぐに小山田の蛮行は拡散してしまったんだよね。

そして、これが拡散すれば、日本国内のみならず、世界的に小山田をクビにしろという運動に発展する事案だということに気づけない組織委は本当、世間知らずなんだと思う。

ところで、本当に小山田って、オープニング映像の音楽にしか関わっていなかったのだろうか?それだけなら差し替えなんて簡単なのでは?
小山田が会場で生で演奏し、それに合わせて大勢のダンサーがパフォーマンスするみたいな、いわゆるマスゲーム的な演出ならそう簡単に差し替えられないかもしれないが、オープニング映像だけの関与なら音声を差し替えるだけでしょ。多少、凝った編集はしているのかもしれないが、それくらい、極端な話、当日でも差し替えできるよね?

最悪、かわりの音楽が見つからなければ、民放各局が共同で五輪絡みのキャンペーン・ソングにしている桑田佳祐の曲でよくないか?
まぁ、NHKとしては面白くないだろうが…。

と書いたところで、ふと思った。

もしかすると、小山田をプッシュしていたのってNHKか?

小山田はEテレの番組の音楽も手掛けていたしね。五輪の方をクビになるまで、Eテレの番組から小山田を外さなかったし、NHKが小山田を推していたんじゃないのか?

ところで、これまでの五輪って、開幕前から公式のテーマ曲が発表されていたけれど、今回の公式テーマって何?それが小山田の曲だったの?

90年代以降日本のテレビ局は夏季・冬季問わず、五輪開催の際は勝手に局独自のテーマ局を流すようになり、本来の公式ソングが日本で紹介されることはなくなってしまったが、90年代半ばより以前であれば、アトランタ夏季五輪のグロリア・エステファン“リーチ”とか、リレハンメル冬季五輪のシセル“ファイアー・イン・ユア・ハート”、バルセロナ夏季五輪のホセ・カレーラスとサラ・ブライトマンのデュエット曲“フレンズ・フォー・ライフ”とかは日本のテレビやラジオでもよく耳にしたし、ソウル五輪のコリアーナ“ハンド・イン・ハンド”なんて、オリコンの洋楽チャートで1位になったくらいだしね。

というか、サッカーのワールドカップは日本のテレビ局が勝手に独自のテーマ曲を流しても、公式ソングや公式のコンピレーション・アルバムは日本でもリリースされていたからね(2018年のロシア大会はアルバムは出なかったが)。洋楽ファンの耳にはきちんと公式ソングは届いていたんだよね。
そういえば、ロシア大会の公式ソング“Live It Up”では久しぶりにウィル・スミスのラップ仕事を堪能することができたっけ…。

なので、2002年の日韓大会でも世界に向けた公式ソングとしてアナスタシアの“BOOM”、日韓に向けた公式ソングとして、CHEMISTRYら日韓のアーティストが参加した“Let's Get Together Now”が作られたし、さらには、ヴァンゲリスによる“アンセム”はこの2曲よりも日本の音楽ファン、サッカーファンの耳に馴染んだしね。

話を小山田に戻すが、本当、不思議で仕方ないことがある。

“自分はいじられっ子だった。でも、頑張って芸能人になったおかげで、いじめていた連中をら見返せることができた”みたいなアピールをしている芸能人って、いっぱいいるけれど、そういう人たちからの小山田批判がほとんど聞こえないんだよね。

指原莉乃や中川翔子なんて、聖火ランナーまで務めて、完全に運営側の広報係にまでなっているけれど、彼女たちの主張している“いじめられっ子設定”が事実だとしたら、小山田なんて許せないと怒るはずだし、小山田をなかなか解任しない組織委に対しても腹を立てて、“こんな五輪なんてクソだ!”って、自ら五輪の広報係を辞めてもおかしくないはずなんだよね。でも、やめないよね。

それから、普段から、原発反対とか、人種差別反対とか訴えているような連中、たとえば、坂本龍一とかも小山田批判しないのは何故?

小山田の胸糞悪いいじめ自慢を記事にしたていたのは、音楽雑誌ロッキング・オンのJAPANの方だけれど、そのロッキング・オンの洋楽の方は毎号のように、米民主党をマンセーし、共和党を批判し、Black Lives MatterやMeTooは素晴らしいとかほざいているくせに、バリバリの障害者差別をやっている小山田の肩を持つのは何故?

まぁ、似たような“事件”としては、映画秘宝の編集長がホモソーシャル的な偏見に満ちた発言を指摘した女性を恫喝するという騒動があったが、この小山田問題もほぼ同じ構図だよね。

というか、日本で“差別ガー”とか“人権ガー”って主張する連中ほど、誰よりも差別主義者だよね。ネトウヨよりも酷いと思う。

朝日新聞で映画に関するコメントを発している藤えりかなんて、Black Lives Matterのムーブメントを絶賛しておきながら、日本の芸能人にはさん付けするのに、海外のセレブは呼び捨てにしているからね。お前が人種差別主義者じゃないか、お前に差別撤廃を主張する資格はないだろって感じだしね。

そして、一番おかしいのは組織委にパラ競技出身者がいること。何で、小山田を許せるの?猛反発すべきなのでは?

自分は白人の仲間だと思っている日本人を“名誉白人”、高齢男性の政治家や企業トップに媚びて古くさい価値観を絶賛する女性政治家や企業役員を“名誉男性”などと揶揄するが、もしかすると、自分は障害者ではないと思っている“名誉健常者”なのかな?

そういうダブルスタンダードが、差別撤廃を訴える人たちが胡散臭く見えてしまう理由なんだよね。

まぁ、米国でBlack Lives Matterを訴えている黒人連中も“自分たちは差別されている”と喚きながら、平気でアジア人差別をしているから、そもそも、自分は差別されているって訴える奴ってのは信用しない方がいいんだろうね。

というか、独裁者を倒して新たに樹立された政権が結局、独裁政権になるのと同じなんだろうね。
あるいは、もっと分かりやすいレベルに落とし込むと、部活での先輩のシゴキが嫌で嫌で仕方なかった奴が、自分が先輩になると後輩に同じように意味のないシゴキをするようになるとか、親に虐待されて育った者が自分が親になると、今度は自分の子どもを虐待してしまうとか、そういうのと同じなのかな。

いじめや差別を受けた人間が後に権力を得ると、いじめや差別をする側になってしまうから、小山田にいじめられた相手ではなく、小山田の方を擁護するようになるのかね。

人間って、本当、バカな生き物ですね。

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