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東日本大震災発生から12年

東日本大震災発生から12年ということは干支が一巡したということだ。本当に時の流れがはやいと思う。

たとえば、10歳にとって1年はこれまでの人生の10分の1とかなりの分量だから長く感じるが、50歳だとわずか50分の1だから短く感じるだけみたいなことを言う人もいるがそれだけではないと思う。
スマホが普及している今はアナログな時代に比べて情報の処理スピードがはやくなり、やることが増えているから、50年前どころか、20年前と比べても1日の密度が違いすぎると思うしね。
90年代なら図書館行ってコピーしてと半日がかりだったリサーチが今は自宅で手元のスマホで数分でできてしまう。
しかも、90年代ならたった1件のリサーチで半日かかることもあったが、今は図書館に足を運ぶという面倒がなくなったかわりに、その半日で何件も調べなくてはいけなくなっている。圧倒的にやることが増えているんだよね。

閑話休題。

東日本大震災以降、日本人の考え方は変わってしまったと思う。それは物欲がなくなったことと国民の総ネトウヨ化ということだ。

物欲については、大地震やそれに伴う津波の発生で自宅が崩壊すれば、せっかくのコレクションも無に帰してしまうから、断捨離思考になるのも当然だ。
また、日本人が世界成長から取り残され貧しくなったことも物欲がなくなった要因であると思う。

パヨクは日本が貧しくなったのは2012年から約8年間の第2次安倍政権のせい、ネトウヨは2009年からのわずか3年間の民主党政権のせいと言うが、失われた30年と言うようにそれより遥か前から日本は貧しくなっていた。

ふた昔前までは、バブルは80年代の終わりとともに弾けたとされていて、バブルの期間は一般的には80年代後半(85〜89年)と≒とされていた。実際、日経平均株価は90年に入ってすぐに下落している。2000年代前半までは80年代後半=バブルと思っていた人がほとんどだと思う。

ところが、2007年公開の映画「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」では90年春の当時の大蔵省による総量規制がバブル崩壊のきっかけだと若干、崩壊した時期が“修正”された。まぁ、90年の春なんて実質80年代だから、このくらいの歴史修正ならヨシとしよう。

しかし、最近では92〜93年あたりをバブル崩壊とする記事を見かける機会が増えた。ちょっと前まではテレビのニュース番組やワイドショーなどでジュリアナ東京のお立ち台をバブルの象徴と勘違いしてイメージ映像として使う人に対して、“ジュリアナは1991年オープンだからバブルではない”と指摘していたが、最近の論調に基づけばバブルの象徴でいいじゃんってことになるんだよね。

何故、バブル崩壊時期が次々と後ろ倒しされるようになったのか。それは、消費増税するためではないかと思う。消費増税で経済が悪化したと思わせないための洗脳だろうね。

ふた昔前までは90年代の到来と同時に、遅くとも90年の春くらいまでにはバブルは崩壊していたとされているが、その理由は米国の日本叩きなど色々あったとは思うが最大の要因は89年4月に導入された消費税で消費意欲が低下したことにあるのは間違いないと思う。

そして、バブル崩壊で日本経済が低迷していたところで阪神大震災や地下鉄サリン事件など日本史を揺るがす大きな出来事が発生。さらに、日本は沈下しつつあったのにもかかわらず、消費税率が97年4月に3%から5%に引き上げられた。

これで日本経済はさらに沈下することとなった。これ以降、物価(消費増税分や消費増税にあわせた便乗値上げ、ステルス値上げは除く)も賃金も上昇しない成長できない国・日本というのが定着することになった。

物価に関しては、コロナやウクライナ情勢などの影響でここ数年上昇していて国民は疲弊している。
それに合わせて、賃上げすると主張する企業も出ているが、企業はトータルの人件費は変えないし経営陣は自分たちの取り分を減らすこともしないから、結局、正社員が減らされて非正規が増えたり、下請けに無茶な発注が増えたりするだけなのは目に見えている。

なので、日本は97年の消費増税で決定的に貧しくなったままの状態が四半世紀経った今も継続していると言っていいと思う。

そして、さらに日本を貧しくさせたのが2001年から約5年半続いた小泉政権だ。貧しくなった日本を復活させるには構造改革しかない的なキャッチフレーズに騙され、自民党を積極的に支持しない勢力まで小泉を支持したが、小泉がやったことは金持ちをさらに金持ちに貧乏人をさらに貧乏人にするようなやり方で、この政権時代に一気に非正規労働者が増え、日本人はさらに貧しくなってしまった。

日本を立ち直れないほどの貧しい国にしたのは間違いなく小泉だ。それにより貧しくなった国民の政治に対する不満が一気に高まったから、ど素人の民主党政権時代の3年間を含めて6代連続で毎年、総理大臣がかわるという異常事態になったのだと思う。

そんな混迷の時期に発生したのが東日本大震災だ。

ど素人の民主党政権だから自治体や役人、企業、マスコミをうまくコントロールできなかったため、さらに混乱は増してしまった。
大震災発生前の米軍基地問題や尖閣問題で既に民主党の能力のなさは露呈していたが、大震災はその無能さを明白にしたと言っていいだろう。

小泉政権、民主党政権と裏切られ続けてきたので、国民は改革なんてもういいやと思うようになってしまった。そして、それに伴い国民総ネトウヨ化といってもいい状態になってしまった。

その契機となったのは東日本大震災なんだと思う。結局、改革されてさらに貧しくなるなら、ギリギリやっていける今のままでいいやとなってしまったんだよね。大震災で物欲がなくなってしまったから、尚更、ギリギリやっていければOKという風潮になってしまった。この10年間で2度も消費増税され、さらに正社員や公務員以外にとってはさらなる消費増税となるインボイス制度を導入しようとしても国民が反旗を翻さないのは諦めモードってことなんだろうね。

ところで、東日本大震災発生以降、納得がいかないことが2点ある。

まずは、大震災発生の前日3月10日に起きた東京大空襲がほとんど振り返られなくなってしまったことだ。反戦主義・左翼思想の東京新聞ですら、この時期は大震災絡みの報道が中心になっていて、大空襲関連の記事の分量はかなり減っている。
まぁ、最近は反戦メッセージを掲げただけで左翼・パヨク扱いされる風潮があるし、今の保守思想には米国批判はしていけないという雰囲気があるので、米国批判につながる東京大空襲は語りにくいのだとは思う。
それでも、8月の広島や長崎への原爆投下は振り返られるのだから、いかに大震災発生以降、ほぼ同じ時期の出来事である東京大空襲の存在感が薄れてしまったかというのが分かるかと思う。

そして、もう一つ納得いかない点は、多くの人が東日本大震災のことを単に震災と呼んでいることだ。

一般人のみならず、企業関係者や政治家、マスコミなどもこの言葉を好んで使っているようだ。

でも、それっておかしいでしょ!

東日本大震災以外の地震は震災ではないというのか?たとえ1人だろうと負傷者が出れば震災だし、たとえ民家1棟だろうと損壊したり出火したりしたら震災でしょ。

東日本大震災のわずか5年後に起きた熊本の大地震のことをまるで無視するかのように、震災=東日本大震災と呼んでいることには違和感しかない。

せめて、大震災と呼ぼうよ。
というか、東日本のわずか16年前に発生した阪神大震災だって大震災なんだから、大震災=東日本大震災とするのも本来はおかしいんだけれど、まぁ、ただの震災と呼ぶよりかはマシかなって思う。

結局、こういう呼び方の背景には自分勝手な東北人という“国民性(県民性)”があるんだろうね。

東日本大震災の場合は、原発事故や津波被害という阪神大震災や熊本の大地震とは異なる要素があるのは重々承知している。
とはいえ、阪神や熊本に比べると、東日本の復興って遅れていると思う。というか、阪神や熊本だって、全ての復興作業が終わったわけでない。でも、人々は新しい生活に踏み出しているよね。東北でも仙台はそれに近いと思う。
でも、東日本大震災の被災地、特に福島の復興が進まないのは、たかり体質のある福島の県民性のせいではないかと思う。福島の人って何でもタダでやってもらおうとするからね。以前住んでいた家の隣人だった福島出身の一家もそうだし、仕事関係で知り合った福島出身者もほぼ全員がそういう体質だった。

地震や津波による被災なんて(原発による被害は国や自治体、東電の責任もあるが)、ましてや、東日本大震災クラスの地震による被災なんて国や自治体に全責任を押し付けるのは無理がある。
でも、福島人は再建や引っ越しにかかった費用の全額を国や自治体からもらおうとしているのでは?だから、復興が進まないんだよ。

東日本大震災だけを震災と呼ぶのは、福島を中心とした東北人のおごりにしか感じられないし、被災者を批判できない風潮があるから、東北以外の地域の住民やマスコミも東日本大震災=震災というおかしな呼び方に同調しているのでは?

ところで、放送権を持っている、視聴率が取れるというのは分かるけれど、3月11日の朝の生放送番組が延々と前日のWBCのインタビューを垂れ流ししているのは違うんじゃないかって思う。


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