「日本らしいサッカー」とは?

 日本代表がワールドカップ初戦ドイツ戦勝利しました。本当に国を挙げての興奮度合いはすごいものがありますし、お昼のワイドショーでも特集を組まれているほど。おそらくミーハー層もサッカー熱に乗りつつあり、次節のコスタリカ戦の注目度はより高いものになると思います。では、日本代表はなぜサッカー大国ドイツに勝てたのか?というのをサッカー的側面”ではない方向”から少し考えてみたのを記してみたいと思います。あくまで僕の仮説に過ぎないのですが、こういう考え方をする人間もいるんだなぁ程度に捉えて呼んでくだされば幸いです。

 試合の展開としては前半早々に鎌田が中盤で潰してカウンターを展開し、前田大然が得点するも、オフサイドで取り消し。そこからはSBに高い位置を取ってきたドイツに押し込まれる展開に。PKで先制されて以降も苦しい時間を耐えて前半シュート1本しか打てず。後半開始直後に冨安を投入して3バックにしてその後も攻撃のカードを切って一進一退の攻防に。伊東に決定機が訪れれば、ドイツも猛攻を仕掛けるも権田が防ぐと、交代で入った三笘、南野のコンビネーションから最後はこれまた交代で入った堂安の得点で同点。更に浅野の背後の抜け出しでニア抜きして逆転。再びドイツの猛攻に遭うも、全員で守りきって勝利。
というのが試合の総括です。

僕がこの試合を観てぱっと思ったことは、
「果たして日本らしいサッカーというのは本当にポゼッションなのか?」
ということです。
で、僕の結論から言うと、
「強者相手に対してはポゼッションであるとは限らない」
ということです。まあこれはTwitterや指導者界隈で騒がれている育成の定義的なことも少し考えてみた上で、ポゼッションであるとは”限らない”というのが僕の結論です。では、どんな思考でこうなったかを解いていきます。

 僕が着目をしたのは、主に日露戦争です。サッカーと戦争はかけ離れているようで、本質で似通ったものがあります。
まず日露戦争時の国家状況から。日本は長年続いた徳川政権が終焉し、列強各国に追いつけ追い越せという風潮が国全体にありました。庶民の誰もが軍人にも学者にもなれるような時代でかつての貴族・士族社会の格差社会を終えた転換期で、日清戦争でも勝利を収めた状態。そんな日本にとって陸海軍ともに当時世界最高峰の軍事規模を持つロシアはまさに強国で、そんな強国と開戦に踏み切ったのです。

 大国ロシアに対して日本はどのようにして勝ちを収めたのか?旅順攻略戦では多大な犠牲を出して一時崩壊の危機に。しかし、203高地攻略に指針を変えてから激戦を制してから形勢を逆転。日本海海戦では当時海軍として圧倒的な破壊力を持っていたバルチック艦隊に対して大移動での披露があったとはいえ、迎撃して壊滅に成功。これで列強各国驚愕させたという戦争でした。この戦争の勝因は一体した粘りと戦術変更。散々の犠牲を出しながらも、方針転換に踏み切ったこと、バルチック艦隊の動きを海軍が予測して撃破しました。

話をサッカーに戻します。ドイツの猛攻に対して前半耐えに耐えました。そして後半に3バックに戦術変更して修正を加えた。そして逆転に成功したという流れは割と酷似していますね。ここで、日本人らしさというのが見えてきたように感じます。強国相手には粘って粘り切る。そして確実にチャンスを仕留めるというのも、ある意味
”日本らしいサッカー”なのではと感じたりします。

そのうえで、今後の日本サッカー界の育成に関しても今大事にしていることに加えて”劣勢時に粘り切る強さ”も育めればなと指導者若輩者が思った所存でございます。

(そういえば自カテも強敵相手には基本的に粘り勝ちするのが強みだったりするんですよね。今あいつら担当変わって元気かなぁ。その良さを消されてなければ良いなぁ……周りの大人や自分たちに負けずに頑張れよ!)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?