マヌ50周年を迎えて Ⅱ.再開発篇 人・街・建築 〜草の根をさまよう〜 その3
見出し画像

マヌ50周年を迎えて Ⅱ.再開発篇 人・街・建築 〜草の根をさまよう〜 その3

 津田沼での再開発プロジェクトをきっかけに、地域計画や商店街のまちづくりに興味を抱いた高野。都市計画や建築計画のコンサルタントとして、講師の仕事を依頼されます。
 商店街診断をきっかけに、都市計画や地域振興のあり方を考えます。

(本稿は、2014年のマヌ都市建築研究所50周年にあたり故・髙野公男が書き溜めていた原稿をまとめたものです。)

2.津田沼駅前再開発その後

 事業計画調査と平行して津田沼地区自動車交通量調査、公共駐車場基本計画、津田沼駅北口地区サンポービル再開発ビルモデル調査を受注した(昭和46年)。再開発事業計画の業務は建築設計を主軸とした建築事務所にとって貴重な技術体験となった。とくに興味を覚えたのは地域計画や商店街のまちづくりだった。

 津田沼北口商店街再開発プロジェクトで小林輝一郎氏や中島政明(千葉県中小企業相談所所長)の知己を得て中小企業指導センターの講師を務めることになる。同時に、千葉県や東京都の商店街診断や商店街再開発計画の仕事に関わるようになった。

(1)中小企業指導センター

 財団法人中小企業指導センター(設立:昭和36年)は中小企業診断士を養成する中小企業庁が所掌する研修機関で、研修生に都市計画と建築製図、建築計画を教えることが私の役割だった。

 研修生は全国の都道府県、市町村から派遣された商工系の行政職員や商工会議所、銀行、国民金融公庫など中小企業融資を担当する職員が殆どだった。(研修施設は当初新宿区四谷三丁目の貸しビル内にあったがしばらくして府中市に建設された新しい研修施設に移転する)。

 研修プログラムは座学のほかフィールドワークの実習プログラムがあって、商店街診断および個店の経営診断、店舗改善計画を含む実践的な研修プログラムであった。1チーム6〜7人にインストラクタ—2人(経営計画と建築計画)という編成で私は建築計画を担当した。実習地は目黒区武蔵小山商店街(呉服店)、北区十条銀座商店街(荒物店),新宿区初台商店街、横須賀市衣笠商店街(貴金属店)、…などであった。(括弧内は実習協力店舗)。

 実習内容は商店街の立地特性や業種構成、通行量、利用客の追尾調査などを行い商店街の特性を把握すると同時に、個店診断では帳簿を開示してもらい経営状況を診断し、店舗計画では店の構え客動線の良否について診断し改善レイアウトを提示するという実質的なものであった。研修生の中にはすでに商工実務に携わるベテランの行政職員や銀行員がいたので実習とは言えかなりレベルの高いコンサルティングが出来たと思う。

 この商店街診断実習は講師の私にとっても得がたい経験となった。その一つは商店経営の財務指標の見方や経営者の経営理念・経営戦略の態様、商店街という店舗経営集団の地域間競争と連帯性など商店・商店街経営に関するマネージメントの実際を内部から観察することが出来たことだった。

 もう一つは、北は北海道から南は沖縄まで全国から集まった商工関係の研修生と交流が出来たことである。実習後の打ち上げで、お国自慢や地域振興の夢を語る研修生の思いや志、人柄に感じるところが多かった。これらの人々は研修後アメーバーのように全国に散らばってゆき商店街近代化の先兵として活躍することになる。

 当時の中小企業指導センター(後の中小企業振興事業団)の事業は、商店街の近代化を目途として店舗の共同化、アーケードの設置、カラー舗装や駐車場の整備を促進し、そのための高度化資金などの有利な資金の利用を可能としている国の振興策で、地域振興の担い手である中小企業診断士の養成はまだ全国の商店街が元気な頃の重点事業の一つであった。

 後に千葉県内(佐原など)や東京都(アメ横など)の商店街振興事業、更に平成に入ってから山形県内の商店街のまちづくり、中心市街地活性化事業に関わることになるが、津田沼駅前商店街の再開発をはじめ中小企業指導センターの講師を務めて得た経験は都市計画や地域振興のあり方をミクロな面から考える一つの原点となった。

(2)商店街診断

マヌが関わった商店街振興業務は以下の通りである。

(千葉県)
市原市中央商店街診断(昭和47年)
松戸市西地区商業診断(昭和47年)
浦安ショッピングセンター造成診断(昭和47年)
佐原市中心部都市診断(昭和47年)
松戸市八柱地区商業診断(昭和48年)
木更津市駅前地区商業診断(昭和48年)
総武線沿線地域商業調査(昭和49年)
千葉県主要都市商業地区の調査研究(昭和49年)
旭市広域商業診断(昭和50年)
松戸市近代化都市商業診断(昭和50年)
千葉市商業診断(昭和51年)
館山市広域商業診断(昭和51年)
小見川町広域商業診断(昭和52年)
『商店街近代化マニュアル〜暮らしの広場に活力を〜』(千葉県商工労働部:昭和61年)
佐原駅前ふれあい商店街基本計画策定(佐原駅前商店街振興組合:昭和62年)

(東京都)
上野アメ横地区再開発計画の検討(昭和49年)
東京都幡ヶ谷商店街改造計画(昭和49年)

(山梨県)
甲府市青沼地区商業開発計画の検討(昭和47年)
甲府駅周辺商業診断(昭和48年)

 商店街診断のチームは通常、都道府県の中小企業相談所の職員と委嘱された数名の専門家(中小企業診断士や地理学の専門家など)により編成される。マヌは都市計画や建築計画のコンサルタントとして委嘱された。松島君も私の助手として参加した。

 作業は、対象となる商店街や商圏となる地域を観察・踏査し、地誌や人口動態、消費動向や購買力に関わる各種統計資料を収集・分析し、商工会議所や商工会の役員、担当職員、商店街の役員などへのヒアリングを行い、地域の特性や現状の課題を踏まえて商業振興のビジョンを提示するものである。

 商店街は都心、駅前、地方によってその態様は様々であった。都心や駅前商店街では「商業の塗りかえ現象」が進んでいた。共通して言えることは交通対策と駐車場対策であった。

 モータリゼーションが進展し来街者が安心して歩けない商店街、その一方で自動車利用の買い物客に対応する駐車場整備の必要性など相矛盾する問題や課題を抱えていた。佐原では街の中心を流れる小野川に蓋かけをして駐車場にしたいという意見も聞かれた。佐原は江戸期より舟運で栄えた河岸集落、歴史的商業都市である。いくら何でもそれはないだろうと振興ビジョンには取り入れなかった。

 話は飛ぶが、後年、上野の商店街が不忍池の地下に2000台の駐車場を建設する構想を打ち出したことがある。自然保護団体の強い反対があって構想は実現しなかったが近代化という名の下に節操を欠いた都市開発があちこちで進められた時代であった。

(つづく)

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
故・髙野公男は1964年4月に一級建築士事務所マヌ設計連合(現マヌ都市建築研究所)を設立し、1992年東北芸術工科大学教授に就任、2015年に他界するまで日本の建築・まちづくりの実務・研究・教育に尽力しました。「まちづくり家 髙野公男」が遺した論考などをアーカイブしていきます。