講師の仕事をしたからこそ得たもの。そして。
こんにちは。
ひろです。
実は今年度をもって、講師の仕事を全て終わりにしました。
昨日と今日は在籍していた各学校の謝恩会が予定されていたのですが、新型コロナウイルスの影響で謝恩会が中止になり学生やお世話になった諸先生方に挨拶ができずに終わってしまいました。。。
今年度が卒業の学生たちを担当していたのは、彼らが1年生の時がほとんどで、2年生になってからは校内ですれ違う時に挨拶をしたりするときだけでした。
それでも、「先生」と声をかけてもらい、トレーニングの進捗を報告してくれたり、世間話をしたり、彼らが学校というコミュニティーでどんな成長をしていくのか見守るのはとても楽しい時間でした。ありがとう、みんな。
初めて講師の仕事を母校で担当させていただいたのは今から6年前。(記憶があいまいですが・・)
その当時は、自分自身が教員として人に教える立場になるなんて考えてもいなかったし、講師という人間像もいまいち良くわからなかった。専門学校って講師になるのに教員免許が要らないという事実もその当時知った。結構適当なんだなぁと思っていたのは秘密。
講師の仕事をやっていて良かったこと・大変だと感じたこと
【良かったこと】
・自分の知識がさらに深まる
・話し方や伝え方を学べる
・成長を間近で感じられる
・業界の情報が入ってきやすい
・授業1コマの単価はバイトより良い(金額に関しては6年前のスタート時は¥3,000それから毎年最大100円ずつ上がる程度)
・次の世代の学生たちと繋がりを持てる
【大変だと感じたこと】
・授業の準備にかなり時間が掛かる
・学生の評価をつけなくてはならない
・体調不良でも休むのが難しい
・代講を自分で探す手間
・・・実は今回、講師の仕事を辞めようとしたきっかけがあります。
それは「評価」をしなくてはいけないこと。
これは多分、教育現場に携わる場合、切っても切り離せないものなのでしょうが、この「評価」というものが存在することが本当に嫌だった。
そのことに気づかせてくれた場面がある。
それは成績の一つに
レポート提出を入れていたとき
「先生、これやったらいい評価もらえますか?」
という質問をされたとき。
本当にこれでいいのか?という
問いが自分の中に生まれた。
僕らは少なからず評価の中で生きなければならない。それは認める。
しかし教育というものは他人から良い評価をしてもらうために行うものなのか?
評価はビジネスにおいての数字(=結果)だけでいいのではないだろうか。
ビジネスにおける正当な評価は数字以外の何者でもないだろう。ビジネスにおいては、数字だけが客観的事実として振り返ることのできるもの材料である。
どんなに「一生懸命頑張っている!!」と声を大にしても売上が¥0だったらビジネスとしては成り立たない。
一時期、スポーツイベントのディレクターを任せてもらったときに、目標人数に届かず結果だけ見れば「失敗」だった。しかし、当時はビジネスの「ビ」すら理解していなかった僕は
『やってきたこと、実施してきたことを報告書に書きまくり自分の行為の正当性を主張していた。こんなに頑張ったんだ!こんだけやったんだ!だから集客ができなくても私のせいではない!』
そんなことを思いながら書いていた。
当時の僕にあったら一発ぶっ飛ばしてやりたい。
話が逸れたが
では、教育で考えたときに評価=数字なのだろうか。
賛否があるだろうが
そうではないと僕自身は考えに至っている。
テストなどで客観的事実を評価の基準として数値化した方が、どんな人から見ても、自分の評価の正当性を主張できる。しかしそれは自分を守るためだからではないのか、評価した内容を突っ込まれたときに対応できるようにするためではないだろうか。
本当の意味で意味のある評価なのか??
テストというものの存在意義は、彼ら生徒側の理解度をチェックするためなはず。
その数字だけを見て評価することは楽だが、その数値による評価がもたらす恩恵はあるのだろうか。
学力に差があるのは当たり前で
経験も人それぞれだ。
ベンチプレスをやったことがある人間と
見たこともやったこともない人間では
そもそものスタートラインが違う。
だからこそ
重いものを持ち上げることにだけ目を向けるのではなく
いかにそのトレーニングの方法を手段として
必要とする人に届けていくかを考えることが必要だ。
初めからうまくいく人はいない。
だからこそ、やってみたことや気づいたことといった点を振り返ることの大切さを伝えていくべきだと僕は考えています。
だから僕のつける評価なんて正直どうでもいい。
それよりも
彼らが自分自身の行動を振り返り
どんなことを行ったのか
どんな気づきが得られたのか
何を改善していくことでより良いものになるのか
そういった考えを持てるようになって欲しい。
とはいえ、組織という中で仕事として行うときに
僕一人の個人的な考えで、僕だけ突っ走ってもしょうがないので
評価をしなくてはならない教育という組織からは出ることにします。
評価とは関係なく学びたい、知りたい。
その知識を困っている人たちと届けて笑顔にしたい。
という想いを持つ人たちと関わっていきたいと
ぼんやりとですが考えています。
僕にできることってどんなことか。
最後に。
最近、長男が幼稚園で歌った曲の歌詞が超絶刺さりまくりです。
『飛んだ距離を競うより
どう飛んだか、どこを飛んだのか
それが一番大切なんだ』
出典元:365日の紙飛行機 作詞 秋元康
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