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しゃがむ少女。

いつものように森を走る。西門から入ると、木立に日差しが遮られた森はひんやりとしている。腕にうっすらと浮かび始めた汗を葉擦れの音を奏でる風が乾かしていく。これ以上ないというほどのゆっくりとしたペースで、慣れたコースを流す。デイキャンプ場脇を抜けて、せせらぎのある方面へ。途中、橋をわたって芝生のある広場に向かって上っていく。いつもは犬の散歩グループや子どもたちの賑やかな声がするが、雨上がりということもあって、その日の森は静かだった。前日の雨が落ち葉の下に音を閉じ込めてしまったみたいだった。

歩くと見紛うほどのスローなジョギングの、おそらく唯一の利点は、自分が走っている場所のさまざまな情報をキャッチすることができるということだ。スピードが上がりすぎるとアンテナは内面に向いてしまって、周囲を眺める余裕はなくなってしまう。

左手に遊具のあるエリアが見えてくる。するとそこに一人の少女がこちらに背を向けてしゃがんでいる。小学生だろう、その彼女はじっと前を見つめていた。木の根元にできた小さな樹洞に鳩がいた。彼女は三メートルほど離れた位置から鳩を見つめていた。
そこまで理解すると、いくら走るスピードの遅い私でもその場を通り過ぎてしまう。このまままっすぐ走って、一度森の外周に出る。またここに戻ってくる頃には、彼女はいなくなっているだろう。

ところがまだ少女はしゃがんでいた。さっきよりも距離を詰めて鳩を見つめていた。鳩が怪我でもしているのか。ならば管理事務所に連絡をしたほうがいいだろうし、声をかけて助け舟を出すべきかもなと思いながらも、周囲に家族がいて見守っているのかもしれないなどと言い訳を考えてまた通り過ぎた。

もう少し距離がほしいので、森の中を違うルートで回る。なるべくアップダウンの少ないルートを選んでまた遊具エリアに戻ってくると、彼女はもっと鳩に近づいていた。手を伸ばせば触ることができるくらいに。時折その木の上の方を見上げるので、顔を少しだけ見ることができた。
真ん中からわけた髪が後ろでシンプルに纏められたポニーテイル。少し厚ぼったい口元。目はくるりとしていてなぜだかそこに不安が漂っているようでもある。そうっと鳩に触れたいのか。小さな気持ちが揺れている。

だが彼女の手は、タスキにかけた布製のバッグからノートを取り出していた。スケッチをするのか。いや違う。何やら鳩を見て文字を書いている。さすがに何を書いているのかまではわからない。

翌日、その樹洞にはむしったような鳩の毛が落ちていた。

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