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ぐるりと見渡せば、そこは言葉に溢れている。

【慶應義塾大学 加藤文俊研究室 フィールドワーク展 XVIII ぐるりと】

昨年は、オンライン開催だったが、リアルな場に返ってきた「フィールドワーク展」を、横浜・みなとみらいの造船ドック跡地にあるシェアスペースBUKATSUDOで見てきた。

オンライン開催も数えれば、これで三年連続見たことになる。今回のテーマは「ぐるりと」だ。

加藤文俊先生の言葉を引用する。

ここで「ぐるりと」描かれているのは、円環ではない。それは、内に向かってゆくのか、それとも外へと広がるのか。いずれにせよ、螺旋の軌跡だ。 だから、この2年近くにおよぶ窮屈な毎日を経て、「ぐるりと」元に戻るわけではない。これは、とても大切な点だ。 ふたたびかつての場所に帰るのだろうなどと思っていると、失意が待っているだけかもしれない。「ぐるりと」は、まだ見ぬ世界への誘いなのだ。

私自身、ドキュメンタリー映像をつくった経験から、どんなものであれ、自分でつくりだしたものを公開し、人に問うという行為そのものを称える気持ちがものすごく強くなった。

これは勇気のいることなのだ。うまく話せないその背景には緊張があるかもしれない。無愛想なその態度の陰にははにかみがあるかもしれない。つい仲間とつるんでしまう心根の真ん中には、助けを求める気持ちがあるかもしれない。

とにもかくにも、知らない輩がやってきて、ああだこうだというのだ。それを受け止める、それなりの気構えがないといけない。
それでもこういう場があることを、心から羨ましく思う。自分たちのスタディを展示にまでもっていくには、それなりの試行錯誤があったはずだし、それは普段のフィールドワークとはまた違った力が必要で、それが場として立ち上がってくるところに思わぬ創発特性がある。

今回は会場で一切写真を撮らなかった。フィールドワーク展は、毎回、加藤先生の言葉を筆頭として、いろいろなテキストに溢れている。観察し、調査した結果を言語化するわけだから、それは当然なのだが、そこに何かこの研究室らしさがあるようにも思う。

なので、フィールドワーク展を覗くというのは、一つの作品を視覚的に捉える鑑賞者としてのスタンスではなく、書店で気になった本を拾い読みするようなニュアンスに近い。だから、写真を撮ることを忘れてしまう。

受付を済ますと、まず、目に飛び込んでくるのは、学部一〜三年生が取り組んだ「100円ショップを『読む』」という発表ゾーンだ。一二人の学生のポートレートと100均(実は、個人的にはこういう類の略称は好きではない)に対する思いが天井から吊るされている。それはちょっと広告っぽい。
ただ、実際はフィールドワークの結果をまとめた冊子を読むほうが、彼らがどのようなワークをして、何に気づいたのかがよく分かる。

すべてをきちんと読んだわけではないが、冊子の中にあった小さな論考の中では、山本凛さんの「レンズ越しのまなざし」が面白かった。“100均パトローラー”なんて初めて聞いた。“100均チャンネル”もあるとか。自分で判断しているつもりでも、こういう仕掛けの中で右往左往しているだけなのだとしたら。私たちは危険だと知っていても情報の投網から逃れることはできない。

「チャラ」(2020年10月)
「ぎこちない距離」(2021年4月)
「ちいさなメディア論(再考)」(2021年9月)

これらは、加藤研究室の成果物だ。二○ページほどにまとめられたそれらを持ち帰り、少しずつ読んでいる。

さて、展示会場で一番時間を使って拝見したのは、院生の日下真緒さんが制作した「見えない学びの場:レモンさんちを担う人々」というドキュメンタリー映像だ。

日下さんのステートメントを読んでみよう。

大阪府に、子どもたちが勉強するために集う場所「レモンさんち」がある。この研究では、多声的ビジュアルエスノグラフィーの手法で、「レモンさんち」を担う3人の運営者とともに1年以上かけて映像制作を行ない、彼らの意味世界を探索する。そしてなぜこの場所が生まれたのか、子どもたちにとってどのような存在として集われているのかについて理解する。

このドキュメンタリーの、寄り添う視点は、東京プロジェクトスタディで私が大橋香奈さんに教わったアプローチの仕方に似ているなと思っていたのだが、案の定、大橋さんに何度も見てもらった作品だという。大橋さんは、もともと加藤研究室の出身なのだ。さもありなん。

この不思議な「レモンさんち」は、私塾のようでもある。昨今、よく言われる子どもの居場所でもあるように見える。「ええ加減」がモットーだそうだ。それはいい加減ということではなく、カスタムメードされた“いい塩梅”であるようだ。

たしかイギリスの男性と結婚したレモンさんは、英語を教えることを近所の人たちに請われ、やがて英語だけではダメだとママ友だった数学の元教師を引き込む。最初のメンバー(ここに集う子どもたちを宇宙っ子というらしい)だった若い男性コウスケさんも運営側として参加するようになる。

この三人の独白を軸に映像は展開される。垣間見える運営のあり方はかなりアナログだ。「レモンさんち」の支払いは月謝袋で手渡し。ピン札の家庭もあれば、コインを集めて提出してくる家もあるという。実は、日下さんご自身が「レモンさんち」に通っていたそうで、月謝を渡していたことはよく覚えているという。

コウスケさんは、ここを“秘密基地のような”と称していた。宣伝するわけでもなく、口コミだけで集まってくる(親と)子どもたち。看板も出ていないその家は、大きくはあるがごく一般的な個人宅にしか見えない。都市の中に密やかにある不思議な場。それが秘密基地でなくてなんだろう。

見終わったあと、日下さんと少しお話した。主に、インタビューやレコーディングについて。喧嘩になったこともあるという。子どもたちにカメラを渡して撮ってもらった映像もあるとのことだったが、おそらく本編ではほとんどカットされている(?)。

レモンさんが、朝、敷地に入ってきた猫に、窓を開けて話しかけるシーンがある。餌をやるでもなく、少しばかり話しかけたと思ったら、レモンさんは静かに窓を締めてしまう。猫っ可愛がりはしないのだ、レモンさんは。子どもに対しても同じなのかもしれない。

へびあし
加藤先生の三〇〇文字原稿用紙を購入したかった。生原は見ることができたのだけれど。

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