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『ミシシッピは月まで狂っている』

こんなかっこいいタイトルの書籍を他に知らない。
ハワイアン、マウンテン・ミュージック、アイリッシュ、ブルース。
音楽のある風景とルーツをたどる地球紀行。

私が出版社に外部編集者として出入りしていた頃、
そこの文芸編集者だった友人に教えてもらった一冊だ。
記憶が定かではないが、彼が担当編集者だったかも知れない。

ある時、友人がこう誘ってきた。
「彼(著者)のお気に入りのBARに行こう」
それが、自由が丘の「レイラ2」、後の「ヒューミドール」である。

そのBARは雑居ビルの四階にあって
階段をトボトボと上がっていかなければたどり着かない。
重たい木の扉を開けると、細長い空間に一枚板のカウンターが伸びている。
確か桜だったように思う。

このカウンターの木は、乾燥が十分ではなかったらしく、
奥のストゥール二つ分あたりが反り返ってしまっている。
それがこのキリッとした空間の、密やかなアクセントになっていた。

友人に初めて連れられていった時、何を飲んだかもう覚えていない。
ただ、この本のアイリッシュの頁で少しだけ文体が乱れることを
いろいろと話したように思う。

この良質の酒を飲ませるひっそりとしたBARの存在は、
次第に酒飲みたちの知るところとなり、
時に満席だったりした。

そんな時は、入ってすぐ、カウンターが右に折れ曲がって
ストゥールのない部分でスタンディングで飲ませてもらった。

その頃は大抵バンブーのオン・ザ・ロック。
バーテンダーの小林氏が柳刃で立方体に切り出した大きな氷が一つ。
ラリックのグラスとキューブアイスの隙間を
とっておきのダークシェリーとベルモットが琥珀色に埋める。

スタンディングスペースの後ろにはワインセラーがあり、
セラーの上にはきれいな花が生けられていた。
そして小さな天窓から夜の気配が忍び込んでいた。

ときどき窓越しに月が見えた。
自由が丘の月は狂っていたのか。

今はもうこのBARに足を運んで確かめることはできない。

そして著者ももう月を見上げることはない。

その数奇な死を悼みご冥福をお祈りする。
駒沢敏器氏、享年五十一歳。

*2013年に書いた原稿に加筆修正を加え再掲

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