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「女っていいよね」と言われ続けてきた写真家が、久しぶりにざわつく心と向き合った

先日、フォローしている写真家さんのnoteを読んでから、ずっと心がざわついている。

彼女の、真摯に言葉を選びながら紡ぐ文章と、日常を愛おしむまなざしが伝わってくるような写真が好きで、いつもnoteが更新されるのを楽しみにしていた。
けれど、今回公開されたnoteはいつものnoteとは違っていて、傷口が乾かないままの心から溢れ出る感情が滔々と綴られており、ひりひりとした切迫感が伝わってきた。

その発言をしたとされる男性は私も知っている方だが、本当に彼女のことを指しての発言なのか、そしてどういった意図があっての発言なのかは、第三者の私が判断できることではない。
それでも、もし私が同じような言葉を目にしてしまったら、私も彼女と同じように傷つき、心から血を流すであろうということだけは、はっきりと分かる。

「女で羨ましい」「やっぱり女性っていいよね」
大学生の時に写真を撮り始めてから、何度この言葉に遭遇しただろう。
口にした本人に悪気がないことは分かっている。
特に私は、主に女性の人物写真を撮影することが多いこともあり、モデルさんからの信頼を得やすいだとか、モデルさんと同じ部屋で宿泊を伴う作品撮りができるだとか、衣装の貸し借りができるだとか、女性であることで享受しているメリットは確かに多いことも分かっている。
30歳を超えた今ではもう、そういった言葉をかけられることも少なくなり、言われたとしても湧き上がる違和感と不快感にそっと蓋をできるくらいには鈍感になったが、私はこういった言葉に長い間苦しめられてきた。

では、事実をそのまま突きつけられて何がそんなに不快だったのか、と思い返すと、私は「写真家」である自分を、「女性」という色眼鏡を通して見られる感覚が嫌だったのだと思う。
ある男性写真家さんから「女性ならではの感性がいいよね。俺ら男性にはこんな色出せないよ」と写真を褒めていただいた時は、あともう少しで「いや、女性だからとか関係ないと思います」と反論しそうになった。
女性である、ということは、誤解を恐れずに言えば努力をしなくても生まれつき備わってくる属性のようなものだ。
女性に生まれたというだけで、例えば繊細で透明感のある写真を大した努力もせずに撮れるんでしょ、いいよね、と言われているような気持ちになった。
女性だからとか関係なく、高埜志保という一人の写真家として、純粋に写真だけを評価して欲しかったのに。

(ただ、当時はjpegとrawの意味は知らない、パソコンでの写真の編集の仕方も分からない、写真展の設営では道具を忘れて男性の出展者達から借りる・・・と、一人の写真家として見られたいなんてどの口が言ってるんだか、と笑ってしまうような言動に甘んじていた自分にも、そう言われてしまう原因があったとは思う。)

そして、Minamiさんが揶揄されたように、女性だからこそ周囲から注目を集めやすいという場面は確かにあると思う。
女性が貴重な存在である分野においては特にそうだろう。
例えば、私の夫が好きな自動車レースの世界では、稀有な存在である若い女性ドライバーの動向がメディアでよく取り上げられているらしい。
一方、その女性ドライバーよりも上のクラスで世界を舞台に活躍しているこれまた若い男性ドライバーは、殆どメディアで取り上げられない。
ドライバーとしての実力は勿論大切だが、メディアも商売なので、視聴者の興味を惹きやすいコンテンツを優先的に取り扱うのは自然なことなのだろう。

写真の世界でも、一昔前は特に同じような現象があったと思う。
私が写真を撮り始めた約10年前は、女性の写真家が今よりもっと少なく、SNSに写真を掲載するのも男性が圧倒的に多かった肌感覚がある。
その中で、女性であるということが、私に興味を持つ入り口を広げる効果があった可能性は、正直否めない。


では、女性であることは写真を撮る上でメリットになり得るのか。
個人的には、良いことばかりではないと思っている。
まず、一般的に女性は男性に比べて体力が少ないと言われている。
結婚式の撮影や山道での撮影など、複数のカメラと複数のレンズをぶら下げて長時間動き回るような体力勝負の撮影は、私にとってはハードルが高く感じ、依頼をいただいても躊躇してしまう。
そして個人的に一番辛く感じているのが、女性ホルモンの影響による精神的、身体的な不調だ。
大切な撮影の日と自分の不調の日が被らないように、頭を悩ませながらスケジュールの調整を試みている。
(とはいえ、1ヶ月のうち約半分の期間は何かしらの不調を抱えて生活しているので、避けようがないのだが・・・。)
私が心身の不調によって見送った撮影などの機会損失について考え出してしまうと、自分が男性だったら良かったのに、という気持ちが頭を掠めてしまうこともある。

それでも、私は男性写真家の方々に「男性で羨ましい」「やっぱり男性っていいよね」とは言いたくはない。
上の例で言うと、男性であっても体力が少ない人もいるし、女性であっても女性ホルモンの影響を殆ど受けない人もいる。
羨むべきは、そして妬むべきは性差ではなく、個人差だ。
「女性だから」「男性だから」と、他人を性別で一括りにして物事を語るとき、その時点でその人を見る目が曇り、思考停止してしまう気がする。
性別というラベルを剥がしたその裏に、それぞれの人の苦労や信念や努力が見えてくるのだと思う。

私は少し前に、「30歳を超えた今ではもう、湧き上がる違和感と不快感にそっと蓋をできるくらいには鈍感になった」と書いた。
けれど、今回Minamiさんのnoteを読み、自分のざわつく心と向き合ってみて、まだこの問題を完全には消化できていないのだと実感した。
結局私にできることは、女性であることを理由に驕ったり、逆に卑屈になったりすることなく、写真そのものを見てもらえるように実力を磨いていくしかないのだろう。
そして、性別に関する言動で、誰かを不用意に傷つけてしまわないように心がけたい。



※掲載している写真は、先日倉木香奈さんと作品撮りをしたときのものです。

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