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あの日フローリングの床で正座していた君に伝えたいこと

激情した父親からの罵声と暴力。いつ終わるか分からないツライ時間。汗だくになりながらフローリングの床だけをじっと見つめる少年。


わたしには人生で思い出したくないシーンがあります。高校一年生の時に大好きだった彼女に突然盛大に振られ食事も睡眠もしばらくできなくなったこともその一つです。

でも一番思い出したくないものはもっとずっと昔の時の記憶です。それはまだ小学生だったある夏の日の記憶です。その思い出は自分にとってすごくツラくこれまで向き合わないようにしてきました。

でも自分がコーチとしてクライアントと深い思考のやりとりを進めるようになった今、自分がもっと成長して前に進むためにもこの思い出と向き合わなきゃいけないと感じました。

今回noteの力を借りて自分の記憶と正面から向き合い少しでもいい形で昇華できたらいいなと願い書くことにしました。どこに着地できるかわかりませんが。最後までお付き合いいただけたら幸いです。



最初の記憶

自分の人生の記憶が残っているスタートは5.6歳からです。最初からあまりいい思い出がありません。自分が覚えてる最初の記憶は5歳の自分の誕生日に両親が大喧嘩して父親が家を飛び出るシーンです。子供の記憶なので脚色されてる部分もあると思いますがそこから私の記憶の中での人生は始まります。

翌6歳の時に両親が離婚をして私は父親に引き取られました。少しして父親は別の人と再婚をしたのですが、なんというか父親がすごい情緒不安定な激情タイプで感情が昂った時によく殴られてました。

自分には3つ上の兄がいます。その兄も父親から暴力を受けていました。その兄の鬱屈した感情は弟の自分への暴力という形で吐き出されました。結果、わたしは父と兄から暴力を受ける少年時代を過ごしました。まだ体の小さかった自分は父親のことも、二回りほど体の大きい兄のこともただ怖い存在でした。理由もなく殴られても抵抗できずにただ固まっていました。

そんな少年時代の自分を救ってくれたのが一人完結型の妄想ヒーロごっこです。休みの朝になると決まって朝早く一人で起き、布団の中に人形をいくつも入れて妄想ごっこをしてました。小さな人形をヒーローにしたてたヒーローごっこです。

日々暴力におびえる悲惨な少年をヒーローが救う物語。ゴムで出来た手のひらより小さいそのヒーローは、悪役の人形をバッタバッタとなぎ倒し布団の中で圧倒的な強さを誇っていました。悪の世界から少年を救うところでいつも妄想は終わります。いつか本当にヒーローが来てこんなツライことが終わるかもと願いながら毎週ヒーローごっこをしていました。

その妄想によってツライ気持ちも発散され暴力を受けながらも病むことなく生活が出来ていたのですが、外で友達と遊んでいても家に帰った時の二人の機嫌がどうなのかを常に想像する毎日で全力で何かを楽しんだことは当時はありませんでした。

それよりも誰も起きてこない時に行う妄想ヒーローごっこの方が遥かに安心感もあり一番の楽しみでした。当時はそんな遊びしか楽しめない自分をネクラと思っていてそんな自分がすごい嫌でした。

そんな不安定な生活が6歳で父親に引き取られてから小学3年生の終わりくらいまで続いてました。今思うと暴力以外でも父親からはずっと怒られてました。ミスをしたらすごい怒られて機嫌悪ければ殴られてみたいな。

子供ながらに人生なんて楽しいもんじゃないなって思ってました。怒られもせず殴られもしない日があるだけでその日は安堵していました。精神を逆撫でしないように比喩でなく、家の中では息を殺して気配を消して生活してました。


突然初めて訪れた幸せ

それからすごく色々あってその父親と兄のもとから自分一人逃げ出すことが出来たんです。私は母親と暮らすことになりました。母はずっと自分と兄を引き取りたく父親に抗議していたらしいんですが、父親が話しを聞かず手放してくれない状態だったそうです。自分に暴力が及んでいるとかも母は後になって全部初めて知ったと言ってました。

母は自分が来てくれたことを本当に喜んでくれました。母親も既に再婚をしていたのですがその旦那さんもすごい優しい人で。今でも二人はとても仲が良いです。

恐怖の時代から突如変わり、極楽浄土のような穏やかな時間がやってきました。二人は私がやることを何でも肯定してくれました。今まで何をやっても否定されてた生活がここでは何をやっても褒めて肯定してくれる、ニコニコ笑って話しを聞いてくれる。友達と何も不安なことがなく遊べることも信じられないくらい幸せでした。

今まで味わったことのない安心感と楽しさが幸せすぎて。おおげさだけど初めて生きることを承認してもらった感じがしました。同時にもう絶対にこの幸せを失いたくないという恐怖がめちゃくちゃ強くなってきました。気を抜くと前の肯定感がゼロの自分が顔を出します。自分はこんな承認をもらうには値しない子供なはずだと心が行ってきます。素の自分を知ったらきっと嫌われる。もっと頑張らないとと思いました。

でもどうしていいか具体的な方法が分からない自分は大人の難しい本を図書館で借りて読んでみたり、おニャン子クラブしか聞いたことがなかった自分がクラシックを図書館で借りて聴きだしたりしました。自分の突飛な行動にに二人は驚いていましたが、まだ小学生なのにすごいじゃん!とやっぱり喜んでくれました。

喜んでくれてる!この路線であってる!と確信を得た自分は何が良いんだか楽しんだか相変わらずさっぱり分からないまま難しい本を読んだりクラシックを聴いたりして残りの小学生を過ごしました。


ホラ吹きでハリボテな自分

自分が行なっていたのは今思うと強迫観念に突き動かされた思い切り背伸びをした見栄っぱりな行動でした。きっと両親はちゃんと見抜いていたと思います。でも自分を思ってその行動を承認してくれていました。そんな自分が中学にあがったときにその見栄が変な方向に向かってしまったんです。

小学生の時はまだ背伸びをしてる感じでも可愛げがあったと思います。でも中学生になっても見栄を張り続けた行動がいつのまにか自分の通常になってしまいました。無意識レベルで他人に対して虚勢を張ったり、いつも何かを話す時に誇張した表現をするようになり自分を少しでも大きく見せようとするようになりました。

ケンカなんかしたこともないのに、オレってケンカが強くてさー!この前も5対1で勝った! などと誰にでもバレル痛すぎる特盛ホラまで息を吐くように言うようになっていました。そんな薄っぺらい嘘を吐く自分が痛いやつと思われてることも知りながら、等身大の自分は価値が無い、絶対に出したくない。そんな気持ちの方が強く止められないでいた中学時代でした。

そんな自分の性格が嫌すぎて特盛のホラを言うのだけは中学卒業までにどうにか直しました。でもやっぱり自分の見栄っ張りなベースはその後も変わらずで、今でも新しいことをやる時には人からどう見られてるとかばかりめちゃくちゃ気にしてしまいます。

ほんとの自分は価値何て全然なくて魅力も無い。たいした能力も無い。小さい時からさんざん言われてきたそれは自分の価値感のベースになりました。そんな自分なんだから嘘でも張りぼてでもいいから少しでも大きく見せて飾らないと価値が出ない。そんな気持ちをずっともっていました。


ある夏の日に


団地の5階のリビングのフローリングに正座をさせられている7歳の少年。夏真っ盛りの昼間。外ではのんきに鳩がポーポーポポーと鳴いてる。何かに激情した父親からの罵声と暴力。いつ終わるか分からない時間。汗だくになりながらフローリングの床だけをじっと見つめる目。

これが自分が最も思い出したくないシーンです。記憶はここで途切れます。書いてしまえばたったこれだけの思い出です。でも自分の中で一番存在を否定されていた時代の象徴的な記憶がこれです。40年たった今でもまったく色褪せずに鮮やかなカラー映像でまとわりつく汗や自分の緊張した息遣いまでリアルに思い出せます。どんな今現在自信があってもどんなに穏やかな平和な時間を過ごしている時でもこのシーンが頭に浮かぶとあっという間に7歳の自分に引き戻され自分の価値がゼロになる感覚に支配されてしまいます。


記憶と向き合ってみて

この原稿を書くにあたって久々にこの記憶をしっかり思い出しました。これを書いている今やっぱりネガティブな感情が大きいです。でも今回初めて当時のことを文字に残せたことは自分の中でとても前進でした。

今まではふと思い出してしまうたびに、自分だけでなんとかしようと思ってもがいていました。価値何てなかったと飲み込まれる感情を打ち消そうと違うことをずっと考えたりして忘れようとしていました。

でもこうやって向き合ってその時のことを書くことが出来たことで少しだけ客観的に見ることが出来たと思います。文章として全然気持ちをまとめることも出来ていないので昇華までの道のりは長いかもしれないけど、書いてよかったです。

本当はもっと早くこうやって向き合えたら良かったのかもしれません。自分は見たくない過去に蓋をしてしまって、否定された少年時代の価値観のまま大人になってしまいました。

母に引き取られた時せっかく価値観を書き換えるチャンスがあったのに、否定的な自分が受け入れを拒否して活かせませんでした。

子供の時に否定された自分は確かにいました。でもそれは父親がその瞬間だけを切り取って投げて来た、たった一つの解釈です。どんなことを言われたってそれは一つの解釈。それをもとに染み付いた自分の思考も一つの解釈に過ぎない。だから成長してからもいつだって昔受けたマイナスの解釈は書き換えることができる。

自分はこの年まで上手に昇華しきれずに来てしまったけどもしも同じように苦しんでる人がいたらそれを伝えたいです。自分はもうこの年まで来てしまったけど、せめてあの時のまだ7歳だった自分に最後にメッセージを残して終わります。


あの日フローリングの床をじっと見つめ正座していた君に伝えたいこと



背景 7歳の君へ

今そこで正座してうなだれている君へ。きっと君はこの地獄がいつまで続くと思ってるよね。こんな日がまだこれからもずっと繰り返されて、きっともう自分の人生には楽しいことなんて来ないかもとも考えている。それは半分正解。もうしばらくはそのツラい生活は続いてしまうんだ。

でも悪いことばかりじゃない。その日から2年たったある日。君は大きな決断をする。勇気ある行動をするんだ。その結果、君は父親の元から離れることができる。そしてずっと行きたかった母親のもとにやっと行くことができる。だからもう少しだけどうか頑張ってほしい。

すっかりおじさんになってしまった未来の君から一つだけ忠告をさせてほしい。母親のもとに行ったら今の君からは想像もつかない幸せな時間を手に入れることができる。今の君には信じられないと思うけど。でもこれは本当のことなんだ。ずっと否定されていた今の人生から180度変わった天国みたいな人生がもうすぐ始まる。

でもそれは決して特別なことじゃないんだ。それは君に与えられた当然の権利なんだよ。君は生きてるだけで承認されて良い存在なんだ。だからどうか本当の自分がバレてしまったら、みんなから承認されなくなるなんて思わないでほしい。もっと自分をよく見せなきゃなんて考えないでほしい。

おじさんになった未来の君は、その目の前の幸せが自分がもらって当然だって思えずにとても背伸びをしちゃったんだ。本当の自分には価値がないと思ってしまってたくさん見栄を張ってしまった。その見栄が変な方向にいってしまってそのあとすごいみじめになったりたくさん後悔をすることになってしまう。君にはそんな間違いをしてほしくない。だからおせっかいだと思うけどメッセージを届けたんだ。

忘れないでほしい。君はそのままで十分すぎるくらいに尊く価値ある存在だから。今の巣の自分に自信を持って。肩の力を抜いて生きてることを思いきり楽しんでほしい。

どうか素敵な人生を。。。



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