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(当然だけど)子育ては「きれい」ばかりじゃない

こんにちは。
風邪で保育園を休んだ娘と1日を過ごしています、鷹野いづみです。

やっとお昼寝してくれて、どうにか洗濯機を回しています。
あとは、お米を研いだり、鍋を洗って夜ご飯の準備ですね。

今日は咳がずっと出ている娘を病院に連れて行きました。
先に診察室に入った子たちが泣いていなかったからか、今日の娘は泣きませんでした。
頑張ったね!

帰りの車で少し寝ていたのですが、お家に着くと元気いっぱい!
ママが寝転ぶと泣いて怒る娘に苦笑いするしかありませんでした。

私は、いつもニコニコして子どものペースに合わせられるママが理想です。
けど、昨日も日曜日で保育園がお休みだったのに今日もなんてつらい!
笑顔キープなんて無理!

とイライラしていたのですが、「不機嫌な自分を許そう!」と決めるとすとんと楽になりました。

娘の相手をしながらスマホ見るのもOK!としました。

あと、夫にも「今日は機嫌が悪くていい日にした。夫さんも忙しいだろうから、『どうしたんだろう?』って考えなくていいよ」と伝えておきました。

そうしたら楽で楽で、むしろ機嫌が良くなりました。
なるほど、私は「良き母」「良き妻」と思われたくて、それらを演じていたのかもしれません。

子育てって、「なんでもっと優しくしてあげられないんだろう」とか「どうして気づいてあげられなかったんだろう」みたいなことばっかりです。
娘が理解できることはまだ世界には少なくて、それでも一生懸命生きている彼女に腹が立つ自分が嫌になる。

そんな場面はありまくり。

でも、それでいいやとちょっと思ってしまって。
失敗したことはちゃんと謝るし後悔反省もするけど、仕方ないとも思おう。

むしろ「ごめん、ママが悪かった」と告げる場面が皆無な方がやばいのでは?と思うほど。

人間なのだから不完全だし、間違うし、子育てっていうのは自分のそういうところが強調されて嫌になる時もあるのだけれど、でもそのたびにちゃんと「ごめんね」と謝れることが大事かな〜と思ったのです。

大人だって間違える。
でもその時は心から謝ればいい。
まずはそこを娘がわかってくれたらいいなと思います。

謝罪じゃ済まないこともこの世にはあるけれど、まだ娘はそこを学ぶ年齢ではないでしょう。

また、「自分は完璧は母親だ」と思えたら、それは危険信号な気もしまして。
「完璧」ってことは「非」がないってことでしょう?
そんなわけないじゃないですか。

人間は絶対に間違うし、間違っていなくても相手と考え方が違うことはあるし、それを認められないと自分の方針に子どもをがんじがらめにしてしまうのでは?と思うのです。

子育ては自分の未熟さとか、足りなさとか、そんなものを突きつけてきますが、思い知ることができるだけ良かったなと。
誤った自分を「完璧な母」などと思わなくて良かったなと今日はふと思った訳です。

娘といると幸せだけれど、嫌だと思う時もある。
笑顔で一緒にいられる時もあるけど、不機嫌になっちゃう時もある。

家事と一緒。
できる時もあればできない時もあるのです!
できないことも許していかないと、自分の首を絞めてしまう気がする。

なるほど。
「力を抜く」とは「完璧じゃない自分を許す」ということなんですね。

娘の話を目線を合わせて聞けない時がある自分も、彼女の遊びのお誘いをなあなあにしてしまう時がある自分も許す。

その代わり、不完全さを他人にも許さないといけませんね。
私ができないのだから、相手にも求めない。

そのままを受けて入れて欲しいから、そのままを受け入れる。

うんうん。
そんな感じ。

いい意味で力を抜いて、自然体で家族の前に在れる私でいられればいいなと思った次第でした。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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