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2020.12.24(木) 聖夜に

1時間ぬるい風呂に浸かってリラックスして、10時間熟睡...までは良かったが、起きたらまたまぶたが泣きはらしたみたいに盛大に腫れていた。少しヒリヒリする。寝てる間に擦っていたのか。掃除の時、埃が目に入ってアレルギー反応が出たのか。寝過ぎと相まって、ちょっと目が開けづらいほど。

2週間くらい前に同じ症状があって、以前眼科で処方してもらったステロイド軟膏で良くなりつつあったが、塗らずに1日経つとカサカサになるのでどうしたもんかと思っていたところ。昨夜も塗らずにいたら、ついにこの有様。

寒い曇空の下、皮膚科へ。事情を話すと「ステロイドは蓋をしているだけですからね」との説明。よくわかる。喘息の気管支拡張剤も、ステロイド軟膏も、アレルギーの対症療法は即効性があってありがたいが、なかなか根治には至らないことが多い。根本の原因は体の中にあって、それが気管支や皮膚に現れたのがアレルギー症状。漢方薬を処方してもらって、軟膏と併用して様子を見ることに。コーヒーも酒もしばしお預けかな。

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アレルギーは、自分の体にとっての異物(に感じるもの)を排除しようとする性質。丈夫だったらなんてことないはずの花粉・ハウスダスト・犬猫の毛(動物好きなのに)・もひとつおまけに蕎麦粉まで排除しようとする、神経質な免疫(「不全」とまでは言いたくない)。

こんな過敏な体と付き合って生きていくのは骨が折れるが、その過程で気付かされたことも沢山ある。水や食べ物、空気、吸い込んだものや口から入れたものが体を作るという当たり前の事実。アレルギー反応のトリガーになりそうな添加物や化学物質をできるだけ避けること。加工食品を買うときは、裏の添加物表示を確認すること。

とことん追い込むところがある性格なので、もし自分がもっとタフな肉体の持ち主だったら、無頓着な食事や不規則な睡眠を続けて、今頃体はボロボロになっていたかもしれないと思う。成人病のほとんどは生活習慣病。アレルギーのメッセージが、生活習慣の番人になっている面もある。

過敏なくせに、子供の頃からインフルエンザには割とかかりにくかったのは何故なんだろう? 学級閉鎖寸前までピンピンしてたり、両親と兄が倒れても自分だけ元気で病院に薬をもらいに行ったりしていた。予防接種もほとんど受けたことがないし、この30年ほどでインフルには3回くらいしかかかっていない。

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海外ではコロナのワクチンの実証試験が始まっている。今日、東京の陽性者は888人(嬉しくない末広がりだな)まで増えた。何度も言うが、検査数の増減があるのに陽性者の絶対数で一喜一憂するのは良くない。ただ、医療のキャパが足りなくなりつつあるのは、切迫した大問題。

そんな最中、オリンピックの開催に向けて予算を増やすことが今日発表された。普通に考えたらオリンピックなどできる気がしないのだが、もう腹を立てたり呆れるのも飽きてきたので、このねじれがどうして生じるのか考えてみた。以下、仮説。

この先、コロナのワクチン接種証明がイベント参加や海外渡航の「パスポート」になるのではないか。選手やスタッフはもちろん、観客もワクチンさえ打てば海外からも参加可能...そんな着地点を考えているのではないか。オリンピックというグローバルな巨大プロジェクト、この時期の強気の「開催宣言」、その裏に描かれたシナリオがあるとしたらそのくらいしか考えられない。

得体の知れない新型ウイルスはもちろん避けたいが、まして性急に過ぎるワクチンのβテスト(従来の常識からしたらそういうことだ)に参加する勇気など、過敏な自分にはこれっぽっちもない。少なくとも治験が十分得られて、広く安全性が確認されるまでは。

来年の夏頃には「ワクチン接種がニューノーマル」とか言われているんだろうか。将来的には、ライブ(特に大型のアリーナやフェス)参加者に接種証明書が義務付けられる可能性もありうる。万が一オリンピックが上記のシナリオで成功裏に閉幕したとしたら、間違いなくそうなる。

でも、それって、ステロイド軟膏で「蓋をして」炎症を抑えている状態と同じじゃないんだろうか? 毎年ワクチンを接種していても旧型コロナ(インフル)は制圧できなかったのに、今後も進化し続けるウイルスに対してワクチンの有効性はいつまで保てるのだろうか?(今既に、感染力が強いとされる変異株がイギリスで流行しているという)

コロナとの共存→克服のためには、対症療法ではなく、文明の改革が必要不可欠だと思う(手洗いとかマスクとかのレベルではなく)。コロナは、人類が引き起こした地球の「生活習慣病」を正すためにガイアが発したメッセージなんじゃないだろうか?  もちろん正解は一つではなく、英知を集めて世界中が模索している最中。そして道のりは平坦じゃない。

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処方してもらった薬が効いたみたいで、夜寝る頃にはまぶたの腫れもだいぶ治まった。ずっと追い込んでいたある若いシンガーのためのデモも今日完成して納品完了。あとは土曜日のラジオ出演で今年の仕事納め。2020年、目を腫らしつつも(笑)なんとか乗り切った。

そういえば、25年前にニューヨークで体験したクリスマスは、日本のそれとちがって基本家で楽しむスタイルで、ホテルの窓から見えるアパートでラテン系の人々が楽しげに窓全開で騒いでいた他は、テレビから教会の賛美歌が流れてきたりして、ロックフェラーセンター前のツリーも厳かな雰囲気だった(寒いので街中で酔っぱらう人もいない。道で寝たら死ぬ)。考えてみれば至極当然。キリスト教の重要な宗教行事なんだから。

そもそも、街中の至るところからBGMが聴こえてくる都市なんて、日本だけの特殊な環境だ(観光地は別として)。みんなができるだけ家で過ごす今年のクリスマスは、ある意味本場(?)に近い静かな聖夜。

未来のことは誰にもわからない。まして新しい風の時代になったのだから。
しばし、静かな心で。メリー・クリスマス。

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*art works by Amaziograph (iPad app).

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