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コンピューターとギター

Appleの新しいiPad Proのプレゼン動画が、主にクリエイターたちから顰蹙をかっている。

巨大なプレス機に載せられた、数々の楽器やメトロノームやレコードプレイヤーやアーケードゲームや色とりどりのペンキの缶やブロンズ像やボールに目玉のついたゲームのキャラクターたち。陽気な曲をBGMに、プレス機が音を立ててそれらクリエイションのための道具を押しつぶしてゆく。ぺしゃんこになったプレス機を持ち上げると、そこには今までで一番薄いiPadが…
という動画。リンクは見つからなかったので貼らない。

30年以上、apple製品にいくら注ぎ込んだかわからないくらい愛用してきた。2020年に買ったMBP(インテル入ってる)が時々もっさりしてきているので、そろそろ換えねばと調べたものの、あまりの高騰に躊躇してたところにあの動画で、いろいろ考えてしまった。

これ以外に処分したものも、あまりに多すぎて

コンピューターと同じくらいギターが好きだ。コンピューターは長持ちしても実用的には5年くらいで、古いものには骨董品としての価値しかない。でもギターはちゃんとしたものなら、直しながら一生使えるし、ヴィンテージになれば価値が上がる。

30年前買った時の5〜6倍、それ以上?の市場価格になってしまった1964年製


例の動画と同じタイミングで発表されたlogic proの新バージョンは、AIの付加機能が多数搭載されているとのこと。今まで幾つかのプラグインや翻訳で、AIにも随分助けられてはいるが、udioやsuno など音楽生成AIの急激な進化には、一抹の不安も感じる。


画像も動画も音楽も、「どこかで観たこと・聴いたことのある感じ」の作品ならいずれ、今以上に簡単に模倣できるようになってしまうはず。AI作の曲がヒットする未来も、そう遠くないのだろう。創作を諦めてしまう人もいれば、プロンプトを上手く操ってAIで創る人もいて、創作の定義が揺らいでくる。

きっとAppleのエンジニアたちには、Vision Proを着けてAIを駆使する未来を描いて、次なるプロダクトを開発しているのだろう。 僕はといえば、年々衰える視力に抗いながら、できるだけこのまま裸眼で生活できる肉体を保ちたい👓  だから、ディスプレイを見つめ続ける生活はできないのだ。

というわけで、あの動画を観て、Appleが未来のコンピューティングに託そうとしているビジョンは、手に馴染んだかつてのMACの理念とは、かなり違ってきているのかもしれないな、と感じた。穿った見方かもしれないが。

二十数年前に買ったエレキシタール。
20世紀のレインボーのステッカーの上に、白いアップルステッカーが重ねて貼ってある


次のMACは、そこそこのスペックでいい、と思った。

Sad MAC is cute.


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