ソロデビュー・歌を探して (1988)
昭和最後の年・1988年の春。大学を卒業した僕は大阪のアパートを引き払って上京した。そう、シンガーソングライターとしてデビューするために。23歳だった。
上京して初めての仕事はプロのスタジオでのレコーディングだった。デビュー曲ともう一曲、まず2曲を録った。湾岸にできたばかりの真新しいスタジオ。重い扉や広い録音ブース、高い天井、いかめしいミキシングコンソールや巨大なモニタースピーカー、全てが立派すぎて圧倒的だった。おまけにプロデューサーは憧れの高橋幸宏さん。緊張しないわけがない。
念入りに作り込んだデモのデータをスタジオでマニピュレーターのコンピューターに移植して、丁寧に録っていく。幸宏さんのサジェスチョンで要所要所を磨くと、途端にアレンジが輝き出した。ここまでは順調だった。
問題は、初めてのスタジオでの歌入れ。やってみると、歌の音程がなかなか取れない。音程を合わせて歌っているつもりなのにプレイバックを聞くと何故かずっとピッチが高いのだ。何度歌い直しても上手く行かず、理由がわからない(後日、ヘッドホンの音量の上げすぎだったと気づくのだが)。
マイクスタンドを蹴り倒したくなるくらい苛立ちながら、コーラスパートも含めて7時間半歌い続けたデビュー曲「See You Again」の歌入れのことは、よく覚えてる。
*当時のノートより
幸宏さんはスタジオワークのイロハも知らない僕の録音に、根気よく付き合ってくれた優しきプロデューサーだった。宅録のサウンドがスマホの小さな画面だとすれば、スタジオのモニター環境は巨大な8kテレビさながらで、宅録では気づかなかった細かいニュアンスや設計図の粗さが隅々まで見えてしまって、アマチュアとプロの違いを感じずにはいられなかった。特にピッチとリズムに厳しいことで知られる幸宏さんのディレクションは時にシビアだったが、そこで鍛えられた集中力は、後の大きな財産になったと思う。
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