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【掌編】 少女と薄汚れた男の一晩の出来事

2004/08/22(日) 執筆

少女1 電話ひとつで 

お金が手にはいるなら何が悪いというの

買うのは大人
悪いのも大人

いけないと思うのなら買わなきゃいい

お小遣いが欲しいだけ
かなしい心を持って生まれてきたアタシ
生きてたってなんにもイイことなんかない
こんな人生なんか終わってしまえばいい

大人が聞くの
人生には他に楽しいことがあるって
アンパンよりクスリよりアレより何かましなことがあるの
しわくちゃのババアが彼を買うわ自分の息子より年下の彼を
彼はババアと寝るのは金のためだって彼は言う
彼はアタシを愛してるの
だってババアと寝た金でアイスをおごってくれるもの


絶対

アタシは悪くなんかない
生きてきて楽しいことなんかないでしょ
手首の痛みだけ
その時だけ生きてる気がするの
彼だってかわいそうにって言ってくれる

大人になんてなりたくない
しわくちゃになる前に死にたい

大人は信じられない
あれが楽しいとかこれが楽しいとか
人生の楽しみ方は他にもあるとか
みんな嘘ばっかり

アタシのカラダをあたしがどうしようと勝手でしょ

男1 裏路地の

暗い影にぽつねんと沈んでいると


段々と己がその陰に潜んでいる

据えた匂いのする

汚いドラム缶と

変わらないような気分がしてくる


生きてきて良いことなんかひとつもなかった
この先もないだろう希望の歌なんかどこにもない
あの時同じく体制に矛先を向けた連中の多くが
飼い慣らされた犬のように髪をととのえて
昨日まで銃を向けていた企業と学校に媚を売るのを見て
俺はどうすればよいのか分からなかった
死んだ奴もいる信念を翻すのは申し訳ないと言って
俺は何に申し訳ないのかも分からず
講堂が目の前で崩れ落ちるのをただ見ていた

あの時俺に何かが出来たのだろうか
アメリカでも日本でも多くの若者が信じるに足る対象を失って
町の中を彷徨っていたそこには精神の砂漠があった

そして俺は今ここに人生の敗残者として路地の裏に眠る
俺の素性など誰も知ってくれるな名乗れるほどの名前はもうとうに失ったのだ


男2 それはいきなりだった。


 路地裏にいつものように潜んで寝っ転がっていた俺を誰かが蹴飛ばした。

 俺は反射的に身を竦めて、縮こまって丸まった。
 反撃しないのかって、とんでもない、不法侵入者は俺、都会の空間の片隅にさえ居場所のないのが俺だ。
 それに反撃しようと思ってもそう言うことをいきなりしようというような奴は大抵腕に覚えがある。

 俺が殺された後で、そいつが警察に捕まったって、俺にはなんの救いにもならない。
 いまが痛くないこと、殺されないこと、それが大事だった。

 「…なんだ、かかってこないのか、面白くねえなあ。」
 ち、と舌打ちする音が聞こえた。
 ひどい酒の匂いもする。
 体臭そのものが酒に代わったような酔漢だった。

 足音が去っていく、俺にひどい脇腹の痛みを残して。

少女2 雨


 雨が降りだしたの。

 その日はメールで呼び出された相手にすっぽかされてむしゃくしゃしてたわ。
 だって、お小遣いをそれでもらうはずだったのに。

 オヤジどもなんて嫌い。
 でもあたしがあたしの躯で稼いで何が悪いの、お金を払うのはあっちでしょ。

 でも雨が降って、オヤジどもも慌てた様子で家に急ぐ。
 傘なんて持ってないんでしょ、安物のスーツが濡れるのが気になるみたい。

 でも私もハイビスカスの花柄のスカートが濡れるのは嫌い、どこか雨宿り出来る場所はないの?
 辺りを見回したらぎょっとしたわ。

 誰、路地裏に蹲っているの、死んでるの?


男3 爪


 目の前に綺麗に塗られた爪が見えた。
 最近流行の、長い爪、本物なのかどうか分からないがスクウェアにカットされたビーズだのの付いた爪。

 幻覚だ、と思った。

 そんなものが見えるはずはない、ここは路地裏、ドブネズミが走る。

 俺はそこで雨の中蹲っている。

少女3 ふくろう


 一瞬、昔おばあちゃんがしてくれた梟の話を思い出したわ、夜の森に潜んでいる梟のお話。
 でも、あたしは本物のふくろうなんて見たこともないし、近くの駅にだって待ち合わせに使うふくろうの像しかないわ。

 本当は蹴りつけて行ってやろうと思ってたの。
 だって、汚いし、大人だし、きっとお金も持ってないと思うし。
 雨が降ってたわ、ぐちゃぐちゃだし最低。

 でも、他に雨宿りできる場所がなかったの。
 「どきなさいよ。」
 あたしは言った、どかなかったらヒールで踏んでやるんだから。
 なんかマンガであったわ、女王様が男をヒールで踏みつけるの。
 だって触るのは汚いでしょ。

 男は顔も上げなかった、男がどかないとあたしは雨宿りが出来ない。
 イライラした。

 「どいてよ!」
 怒鳴ったとき、男が顔を上げた。

 あたしは何でかドキッとした。
 男はおっさんだった、予想通りのね。
 おっさんは何も言わなかった、汚いおっさんなのに目だけは普通だった、黙ってこっちを見るもんだから落ち着かなかった、そんな目であたしを見ないでよ。
 そんな普通の目で見ないで。

 大人なんていつだってあたしたちを馬鹿にしてるんでしょ、子供は家へ帰れとか君いくらとかお決まりの台詞を言えばいいじゃない、そうしたら、ヒールで踏んでやるんだから、知ったかぶったような顔をして、いつもの台詞を吐いてよ。


男4 炎上


 「どいてよ!」
 そう少女が怒鳴った。
 ピンクのミニスカート、南洋の大きな花柄の付いた派手なスカートから白くて長い足が生えてる。

 目の前の足から、俺は視線を上に動かした、今風の小綺麗な眉の細い人形みたいな顔が載ってる。

 やっぱりこれは夢か冗談だろうと思って俺は黙っていた。

 綺麗な人形みたいな嬢ちゃん。


 夢じゃなきゃ、この手合いの嬢ちゃんは、もう俺をけとばしてるだろう。
 分からないのは、俺がこんな夢を見る理由だ。


 後ろで救急車が炎上したのは、そんなふうに動けないでいたときだった。


少女4 革の色


 救急車が爆発したの、炎上したわ。

 路地に入り込んでたから怪我はなかったけど、後ろがいきなり明るくなってびっくりしたの。
 どこのだれなの、救急車に火炎壜。
 とち狂ってるわ、でもそれが今で、この街よね。

 急に男の手があたしの腕を引いたわ、レイプされる、そう思ってあたしは暴れた。
 やめてよ、タダじゃやらせてやんないんだから。

 けど、違った、あたしが立ってた位置に、二次爆発なの?火と破片がとんできた。


 また急に明るくなって、あたしがしてた革のリストバンドの染めた深い緑が、視線の先に見えた。


男5 春歌


 抱き込んだ少女の腕に革のリストバンド、ずれて覘いた傷から俺は無意識に目をそらした。

 「あたしを抱いてもいいわよ。」
 少女は高飛車な口調でそう言い放った。
 助けた礼だという、他に持ち合わせがないから、まるで財布の中身を話すように、物憂げに、しかし軽く彼女は話した。

 俺には理解できなかった、だが自分を大切にしろとか、そういったお定まりの説教すらできなかった。

 俺自身が薄汚い名もない男で、少女に何が言えただろう。

 なにもいらない、そう言うと少女はいぶかしげな目をして、借りは作りたくないのよ、と言った。


少女5 真昼間


 男なんてみんな同じ。

男5 瞳


 男なんて皆同じ、と平坦な口調で言い捨てる少女を、俺は何か別の生き物を見るような気分でゆっくりと見上げた。

 少女はきれいでかわいらしかった。
 世の基準で言って、彼女をきれいだと形容しない男は少ないだろう。

 俺もご多分に漏れない。

 だが、俺は疲れすぎていた。
 少女を目の前にして情欲を燃やすには疲弊しすぎていたし、かといってうつくしい人形のような少女を目の前にして何も感じないでいるには枯れた歳にも至っていなかったが、それでもどうしようもなく、ただ茫漠と目の前の少女を見ていた。

 少女は、俺の反応を待っていたわけではないようで、俺の返事を待たず言葉を続けた。
 「あなたも同じなんでしょ、ただ借りを返すだけよ。
 今度会ったときに恩着せがましくされちゃ叶わないし。」
 恩着せがましくなんて、少女に似つかわしくない単語が飛び出したことに驚いた。
 少女が親に構われない「おばあちゃん子」だなんて知りもしなかったから。

 俺こそ構わないでくれ、と思った。
 白日の下に晒された俺の素顔はきっととても見苦しい、そのうえ、本当にそんな気分にはならなかった。
 少女が気になる、確かにそういった部分はあるにしても。


少女と男 6 黎明

 夜が明けようとしていた。

 昼には灯りは紛れる。

 点いていることさえ判別できない。
 俺も少女も多分朝にはひどく貧相に見えるだろう。


行くところも、居るところもない。



※本当はここから何か物語を始めるつもりだった。

始まらないまま終えた。

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