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過去の日記:摺り減っていくのだ(或いは2004年8月25日の応答)

多分当時思うところあって残していたメモ。

友からの便り


上顎の溝は加齢とともに磨耗し、敏感すぎてピーマンの苦味すら受け付けなかった味蕾は鈍磨して、死ぬほど苦かったはずのビールを旨みとしてとらえていくようになるのだそうです。
それもまた良きかな。
丸くなることを厭わずに鋭利でありたいと思ったり思わなかったり。どっちも真実。

返答


深刻と軽妙と洒脱と真摯な様々を取り混ぜて天秤の錘を合わせることが出来る氏を友と持つことが出来る幸運を真冬の中の小春日和のように暖かく思います。
川底で削られる石のようにまろみを帯びて古びたい。
山頂から砕け落ちて鋭利な断面を顕す岩のままでいたい。
その通りどちらも真実、それもまた良きかな。


関連

呟きとして。
最近よく思うこと。
疲弊すること鈍磨すること。年齢を重ねること。それは全て同一ではないが、全くかけ離れているわけでもない。しかし果たして全てを時と年齢のせいにして己を省ることを怠ってはならないのではないか。それそのものが人を損なう怠惰という怪物の正体ではないか。余裕があり時間をゆっくりと過ごすことと、単に手持ちぶさたに過ぎ行く時を見送ることは同義ではない。己を正しく顧ること、前を向いておくこと、年齢のせいにして停滞に甘んずるべからず。

進むべき道は果てなく例え辿り着けないとしても諦めることこそかなしけれ






(誤解のないように申し添えておきますが、友人のメールについては当時公開の日記に引用する許可を得ています。無断で人のメールを出したりはしない)

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