見出し画像

戦国時代カレンダー 今日は何の日? 【1月10日~16日】


2021年は年明け早々、一都三県が緊急事態宣言となりました。皆さま、くれぐれもお気をつけください。
戦国時代の今日の日付にはどんなことがあったのか? 1週間ごとにお伝えします。ぜひ「ああ、今日はそんなことがあった日なんだな」と思いを馳せてみてください。毎週日曜日に更新する予定です。
なお、日付はすべて旧暦ですので、現在とは約1ヵ月のズレがあります。31日はありません。


1月10日 色部勝長、没

永禄11年(1569)1月10日(旧暦)、色部修理進勝長(いろべしゅりのじょうかつなが)没。上杉謙信(うえすぎけんしん)の重臣で歴戦の宿老です。越後(現、新潟県)北部の揚北(あがきた)衆の一人で、第四次川中島合戦の武功により謙信から「血染めの感状」を与えられました。同じ揚北衆の本庄繁長(ほんじょうしげなが)の乱で、村上城を攻囲中に夜襲に遭い、討死したといわれます。

画像1


1月11日 浦上政宗・清宗、没

永禄7年(1564)1月11日(旧暦)、浦上美作守政宗(うらがみみまさかのかみまさむね)・清宗(きよむね)父子が没。政宗は播磨(現、兵庫県)・備前(現、岡山県南東部)を領する赤松(あかまつ)氏の筆頭家老から独立勢力となります。ところが、弟の宗景(むねかげ)と対立して敗北。息子清宗に黒田職隆(くろだもとたか、官兵衛〈かんべえ〉の父)の娘を娶(めと)って再起を期すものの、婚礼の夜に赤松氏に襲撃され討たれました。なお、花嫁は無事でした。

画像2


1月12日 前田利長誕生

永禄5年(1562)1月12日(旧暦)、前田孫四郎利長(まえだまごしろうとしなが)誕生。前田利家(としいえ)の嫡男です。幼名犬千代(いぬちよ)。若い頃は織田信長に仕え、信長の娘永姫(えいひめ)を正室にします。賤ヶ岳(しずがたけ)合戦を機に、父とともに羽柴秀吉に従い、九州平定戦などで活躍しました。父の没後、五大老の筆頭・徳川家康との対立の危機を迎えます。

画像3


1月13日 毛利元康、没

慶長6年(1601)1月13日(旧暦)、毛利大蔵大輔元康(もうりおおくらのたいふもとやす)没。毛利元就(もとなり)の8男で歴戦の将です。文禄(ぶんろく)の役では碧蹄館(へきていかん、ビョクジェグァン)の戦いで敵の大軍を破り、関ヶ原合戦では大津(おおつ)城攻めの主将として城を落としました。関ヶ原の翌年、病没。広島市内の元安橋の名は、元康に由来するといわれます。

画像4


1月14日 津軽信枚、没

寛永8年(1631)1月14日(旧暦)、津軽信枚(つがるのぶひら)没。弘前藩2代藩主です。関ヶ原合戦で父・津軽為信(ためのぶ)は東軍につきますが、西軍の石田三成(いしだみつなり)の子らをひそかに領内に匿い、信枚は三成の娘辰姫を娶りました。藩主となった信枚は弘前城を築城、また政略で徳川家康の養女を正室に迎えることになりますが、辰姫を大切にし続け、やがて辰姫との子信義(のぶよし)が3代藩主となります。

画像5


1月15日 明智光秀、「丹波の赤鬼」に敗退

天正4年(1576)1月15日(旧暦)、明智光秀(あけちみつひで)赤井直正(あかいなおまさ、荻野悪右衛門〈おぎのあくえもん〉)に敗退。前年より光秀は丹波(現、京都府中央部と兵庫県東部)国衆を味方につけ、直正の黒井(くろい)城を攻囲していましたが、突如、国衆の波多野秀治(はたのひではる)が裏切り、光秀は撤退します。織田軍を退けた直正は「丹波の赤鬼」と呼ばれました。光秀の丹波攻略は3年後のことです。

画像6


1月16日 佐久間信盛、没

天正10年(1582)1月16日(旧暦)、佐久間右衛門尉信盛(さくまえもんのじょうのぶもり)没。織田信長の下で長年、筆頭家老を務めました。特に大坂本願寺との石山合戦では主将として、織田家最大の軍勢を指揮しています。しかし本願寺と講和後、信長から厳しい折檻(せっかん)状を突き付けられて追放に処されました。高野山もしくは熊野で没したといわれます。

画像7


【戦国武将生没日】(毎週更新)

1月

1月1日・最上二郎太郎義光誕生(1546年)
1月1日・大浦弥四郎(津軽為信)誕生(1550年)
1月1日・村上左近衛少将義清没(1573年)
1月1日・佐野但馬守宗綱没(1585年・〈下野〉彦間の戦いで長尾顕長勢に討たれる)
1月1日・板倉内膳正重昌没(1638年・〈肥前〉島原の乱・原城攻めで討死)
1月2日・六角弾正少弼定頼没(1552年)
1月2日・蜂須賀至鎮(よししげ)誕生(1586年)
1月2日・安部彌一郎信勝没(1600年)
1月3日・大友新太郎義鎮(宗麟)誕生(1530年)異説あり
1月3日・由良信濃守国繁没(1611年)
1月3日・対馬守義智没(1615年)
1月4日・南部大膳大夫晴政(1582年)
1月4日・松平辰千代(忠輝)誕生(1592年)
1月5日・北畠左近衛中将具房没(1580年)
1月6日・武田信虎誕生(1494年)
1月6日・浅井備前守亮政没(1542年)
1月6日・藤堂与右衛門高虎誕生(1556年)
1月6日・小笠原民部大輔信定没(1569年・〈山城〉本圀寺の変で敗れ、桂川で討死)
1月6日・長船越中守貞親没(1591年・〈備前〉石原新太郎により暗殺)
1月6日・高山大蔵少輔重友(右近・ジュスト)没
1月7日・足利政氏(古河公方)誕生(1462年)
1月7日・遠山丹波守綱景没(1564年・〈下総〉第二次国府台合戦で討死)
1月7日・富永三郎右衛門尉直勝没(1564年・〈下総〉第二次国府台合戦で討死)
1月7日・大島雲八光義誕生(1508年)
1月7日・本願寺顕如誕生(1543年)
1月7日・生駒八右衛門家長没(1607年)
1月8日・相良左兵衛尉長祗(ながまさ)没(1525年・〈肥後〉相良長定の追っ手が迫り自刃)
1月8日・松永彦六久通誕生(1543年)
1月8日・正木大太郎信茂没(1564年・〈下総〉第二次国府台合戦で討死)
1月9日・宇喜多和泉守直家没(1582年)
1月10日・色部修理進勝長没(1569年・〈越後〉本庄繁長の乱で討死)異説あり
1月11日・少弐大宰少弐冬尚(ふゆひさ)没(1559年・龍造寺らの攻撃で〈肥前〉勢福寺城で自刃)
1月11日・浦上美作守政宗没(1564年・〈播磨〉赤松政秀の奇襲を受け討死)
1月11日・浦上与四郎清宗没(1564年・〈播磨〉赤松政秀の奇襲を受け討死)
1月11日・楠木河内守正虎(長諳)没(1596年)
1月12日・前田孫四郎利長誕生(1562年)
1月13日・平手中務丞政秀没(1553年・〈尾張〉主君信長を諌めるため自刃とも)
1月13日・毛利(末次)大蔵大輔元康没(1601年)
1月13日・大石平左衛門良定没(1608年)
1月14日・山岡美作守景隆没(1585年)
1月14日・大関美作守高増没(1598年)
1月14日・村越茂助直吉没(1614年)
1月14日・津軽越中守信枚没(1631年)
1月14日・松平紀伊守家信没(1638年)
1月15日・千葉胤富(海上九郎)誕生(1527年)
1月15日・足利義氏(古河公方)誕生(1541年)
1月15日・佐々内蔵助成政誕生(1536年)異説あり
1月15日・伊東六郎三郎祐兵(すけたけ)誕生(1559年)
1月15日・中村右近大夫重勝没(1615年・大坂冬の陣・〈摂津〉本町橋の夜戦)
1月16日・赤松左京大夫晴政没(1565年)
1月16日・佐久間右衛門尉信盛没(1582年)
1月16日・八右衛門安友没(1629年)
1月16日・大石八郎兵衛信云(のぶこと)没(1675年)
1月17日・水谷正村(政村)誕生(1524年)
1月17日・別所侍従長治没(1580年・〈播磨〉三木城の戦いで自刃)
1月17日・別所彦進友之没(1580年・〈播磨〉三木城の戦いで自刃)
1月17日・別所山城守吉親没(1580年・〈播磨〉三木城の戦いで自刃を拒み討たれる)
1月18日・毛利(小早川)藤四郎秀包誕生(1567年)
1月18日・最上出羽守義光没(1614年)
1月19日・前波九郎兵衛尉吉継(桂田長俊)没(1574年・〈越前〉土一揆に討たれる)
1月20日・塩谷(しおのや)弥六郎義綱誕生(1560年)
1月20日・大石久右衛門良信没(1599年)
1月20日・真木島玄蕃頭昭光没(1646年)
1月21日・長尾平三景虎(上杉謙信)誕生(1530年)
1月21日・伊東武兵衛(1569年・〈遠江〉天王山の戦いで討死)
1月21日・足利右兵衛佐義氏(古河公方)没(1583年)
1月21日・横山山城守長知没(1646年)
1月21日・島津修理大夫義久没(1611年)
1月22日・豊臣権大納言秀長(大和大納言)没(1591年)
1月22日・毛利少輔太郎輝元誕生(1553年)
1月22日・松井佐渡守康之没(1612年)
1月22日・戸沢右京亮政盛没(1648年)
1月23日・小山田出羽守信有没(1552年)
1月23日・土橋平次守重没(1582年・〈紀伊〉鈴木重秀により謀殺)
1月24日・南部彦三郎晴継没(1582年)
1月24日・徳川太政大臣秀忠没(1632年)
1月25日・京極中務少輔高吉没(1581年)
1月25日・池田参議輝政(西国将軍)没(1613年)
1月26日・仙石権兵衛秀久誕生(1552年)
1月26日・高力河内守清長没(1608年)
1月26日・亀井琉球守茲矩没(1612年)
1月27日・長田(おさだ)平右衛門重元没(1593年)
1月28日・浅野右兵衛佐長晟誕生(1586年)
1月28日・美濃守虎胤没(1564年)
1月28日・丸毛三郎兵衛兼利没(1647年)
1月29日・佐野修理亮泰綱没(1560年)
1月29日・上田実親没(1575年・〈備中〉鬼身城落城により自刃)

いただいたサポートは参考資料の購入、取材費にあて、少しでも心に残る記事をお届けできるよう、努力したいと思います。