見出し画像

LD学会 第三回研究集会「インクルーシブ教育」雑感

いつ以来の投稿でしょうか、というくらい時間が空いてしまいました。

久しぶりに学会じみたものに行ってきたので、ネタそのものはさておき(どこまで出して良いか分からないから)、そこからインスパイアされたテーマについての自分的なまとめなど。
いろいろネタがあったので、今日から少しずつ投げていきたいと思います。

インクルーシブな社会

今回のテーマは「インクルーシブ教育」でした。
自分の患者さんたちも育っていき、進学や就労に差し掛かる人たちも増えてきました。そんな中でぶち当たるのが、「どうやって社会に居場所を見つけるか」という問題です。
家庭や職場はなんとかなったとして、その周辺の地域や、あるいは社会全体に彼らの居場所があるのかと問うと・・・一般人と障害者の暮らす世界は分断されているのではないかな、という感想を持ちます。

これはそもそも「障害者が一般社会に普通にいること」が前提とされていない社会システムになっているためだと考えます。特に都市部では、個の生活が個々として繋がっていて、ムラ社会的な包括的な受け皿や居場所がないように感じます。
とすると、個で立てない、繋がれない人が都市部で暮らすのは非常に厳しい。地方では「その人がそもそもそんな感じの人であって、能力や実績うんぬん以前にそこにいてそこで暮らす人だ」という当たり前の前提が共有されているところが比較的多いのではないでしょうか。

インクルーシブ教育がその先に目指すインクルーシブな社会とは、つまりこういう状態なのではないかと想像しています。
多民族国家が上手く機能している国などは、こういう「いろんな人がそこにいる前提」が自然と成立いているのではないでしょうか(日本のムラ社会もそうだったのかも)。

インクルーシブ教育

とするとインクルーシブ教育は導入された方が良さそうな気がしますが、いかんせん黎明期/移行期の危うさも感じています。
一番危惧しているのは
➀障害者が「健常者がインクルーシブを学ぶための材料としてしか役割を果たさないのではないか」ということ
②教育段階まではそれでよくても、就労など社会に出た後の受け皿がないのではないか
の2つです。

危惧➀ 健常者のためのインクルーシブ教育

先ほど書いた「社会にはいろんな人が当たり前に存在して暮らしている」ことを実感するためには、子どもの頃から一緒に暮らしてしまうのが良いです。
僕も、小学校の時にヘッドギアをつけて知的に低かったであろう女の子がいて「なんだあいつは」みたいになったり、いつも教室から脱走する男の子を見て「いいなー、僕もサボりたい」となったり、進学した私立の男子校では発達障害寄りの友達が急にキレたり全然しゃべらなかったりして「あいつ変やな」となったり、さらには先生におそらく脳性麻痺だった方がいて(こないだお会いしたら副校長になられてました)、皆で歩き方とか喋り方のマネをしたり、、、という経験があります。

しかし幸いなことに、僕たちは彼らを「障害があって」「かわいそうで」「邪魔で」「そこにいてはいけない」「迷惑だ」と思ったことは微塵もありませんでした。
それはなぜか。
彼らが最初からそこにいたからです。
脳性麻痺の先生の滑舌や歩き方を真似するとかダメだろ、って感じですが、逆に何とも思ってないから真似をする訳です。そういう意味では他の名物教師のマネをするのと何ら変わりません。

こういった感覚を養うために、インクルーシブ教育はとても良いものだと思います。
ただし一つだけ条件があって・・・
それは「障害がある側にもちゃんとした学びになる教育であること」です。

社会的包摂が可能な価値観の形成のために使われるだけでは、彼ら個人の人生にはメリットが薄いです。いろんな人と共に学ぶことで、学力的にも社会的にも成長できるような環境が望ましいと考えます。それがどのようなものなのかは、もうちょっと勉強してみないと分かりません・・・

危惧②社会の受け皿ない問題

と、こういうふうにナイスなインクルーシブ教育をずっと受けて育った子どもたちも、どこかのタイミングで社会に出る時がやってきます。
この教育と就労(社会)がスムーズに繋がっていかないところにも問題があります。先日の投稿に書いた「日本理化学工業株式会社」みたいな会社が社会に溢れるほどあれば良いですが、現実はなかなかそうはいきません。
https://note.com/takamiki/n/needa70e92022

とすると、子どもたちはインクルーシブな環境で育ったのちに、まったくインクルージョンされない世界で生きていかなければならないかもしれません。
なので、教育をインクルーシブ的にすると同時に、社会の側もインクルーシブな価値観や仕組みにしていく必要があります。

教育も社会もインクルーシブに

今の子どもたちを幼少期からインクルーシブな教育システムで育てていけば、彼らが大人になる頃には社会をそういう方向に変えていってくれるでしょう。最終的には子ども~大人~高齢者のどの段階になってもインクルーシブな社会で暮らしていくことができるかもしれません。

しかし、僕はどうしてもその移行期、社会の適応が追い付くまでの時期に上手く居場所が見つからなくて苦しむ人たちのことが気になるんですよねぇ・・・
なので、やっぱり教育と同じタイミングで社会の側にも変化を起こしていかないといけないんじゃないかな、と思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?