山岸凉子の『日出処の天子』から始まった読書連鎖。読書は旅、そして冒険!
面白い作品を読んだとき、いてもたってもいられなくなる。
この世界をもっと知りたい。この作家の作品をもっと読みたい……。
そんな感じで関連する本や映画、はたまた聖地巡礼など、作品世界がどんどん広がることがある。
前回、奈良の美術商店で百済観音像のレプリカ彫像を購入したことを記事にした。
これだって、元はと言えば山岸凉子の歴史漫画『日出処の天子』に夢中になったことがきっかけだ。
最初にこの漫画を読んでから、10冊以上の本やアレコレを経由して、ローンで美術品を買うところまで行ってしまった。
これを今、「読書連鎖の系譜」と呼びたい。
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今回は、そんな“読書連鎖”の話をしようと思う。
『日出処の天子』を例に、どんな本に、どんな興味に次々飛び火したのか記していこう。
時は90年代後半から2,000年にかけて。
Googleが日本語検索サービスを始める頃。
Amazonが日本に上陸する頃。
ネット利用がいよいよという頃である。
▼読書の発端 永遠の名作漫画『日出処の天子』
1980年から『LaLa』で掲載された山岸凉子の大傑作『日出処の天子』。
私は連載ではなく単行本化してから一気読みで夢中になった。
何しろあの聖徳太子(厩戸王子)を、超能力者で同性愛者で不遇の冷血美少年として描いた歴史絵巻なんである。
厩戸の少年時代から摂政時代、スピンオフとしてその死後までが描かれている。
大河ドラマのごとく政治的策謀が展開する中、厩戸と蘇我一族、母の穴穂部間人媛との関係も緊張感と切なさにページを繰る指が止まらない。歴史的事実がキャラ虚像と見事に融和し、壮大なストーリーが広がる。
全巻を何度も読み直し、飛鳥時代の勢力関係や流れをすべて暗記するくらいにハマりまくった。聖徳太子のことをもっと知りたくなってくる。
ノンストップ ザ 好奇心。
そんなわけで、『日出処の天子』からの連鎖で次に手にした本は……
▼最初の連鎖 まずは歴史的事象に切り込む
井沢元彦著『逆説の日本史 古代怨霊編2 聖徳太子の称号の謎』
聖徳太子は聖人というのが一般的な見方だろう。
そこからは見えてこない負の部分が、歴史には大きく横たわっている。それに着目したのがこの本だ。
聖徳太子の時代、人々が信じていたのは神でも仏でもなく「怨霊」だった。
子孫根絶により先祖を祀る者がいなくなった者、天災、疫病、非業の死を遂げた者は「怨霊」になると信じられていた。
この時代の仏像や寺院は、怨霊鎮魂を目的としたものが多いという。
聖徳太子もまた、死後は「怨霊」として怖れられていたのだとか。
日本で最初に「聖徳太子=怨霊」説を提唱したのは哲学者の梅原猛氏。
歴史学会はこの説を受け入れていない。井沢元彦氏は、それこそが日本の歴史学の弱点であると、本書で論を展開している。
このような歴史を巡る見解が提示されると、次は梅原猛氏の『隠された十字架』を読むのは必然。検証のため、他説、詳説含めて書籍情報をあたってみた。
▼2番目の連鎖 聖徳太子と法隆寺の謎に注目
『隠された十字架』 梅原猛著
『秘仏』 久野健著
『法隆寺建立の謎 聖徳太子と藤ノ木古墳』 高田良信著
その他新書数冊
梅原猛著の『隠された十字架』は、目次を一覧しただけでも物騒である。
「法隆寺の七不思議」から始まり、各項目は「呪い」「鎮魂」「怨霊」キーワードのオンパレード。法隆寺が「怨霊鎮魂寺」であると説いているからだ。
これはオカルトなどではなく、当時の信仰と価値感だから仕方ない。
後に『日出処の天子』文庫本のあとがきで知ったことだが、作者の山岸凉子は聖徳太子にまつわるエピソードにずっと疑念を抱いていたらしい。
ところがこの『隠された十字架』を読んだことで腑に落ち、すべてのイメージが具現化したと語られている。
『日出処の天子』の厩戸王子に哀しさと禍々しさが漂うのはそのせいか。
やはり歴史は謎のピースを繋ぎ合わせ、ひとつの像をあぶり出すものなのだ。
『隠された十字架』と『日出処の天子』の親和性が良かった理由も頷ける。
それにしても、である。
私はひとつの壁にぶち当たってしまった。
そもそも仏像のことをよく知らない。
呪いの救世観音像とか書かれても、さっぱりワカラン。これはマズイ。
▼3番目の連鎖 仏像写真集を見る目はヨコシマ
『仏像の知識百科』他2冊
光瀬龍原作・萩尾望都『百億の昼と千億の夜』
そこで急遽、副読本として仏像解説本と写真集の3点を手に入れたのだが、思いのほか興味の矛先がユルユルになる。
仏像の知識補完はいいとして、美しい写真集を見ているとどんどん横道に逸れるのだ。
イケメン仏像にキャッキャウハウハするという、ミーハー街道まっしぐら。
その決定打は、阿修羅像と出会ってしまったことだった。
光瀬龍原作・萩尾望都
『百億の昼と千億の夜』
かねてより、私は光瀬龍の原作を漫画化した萩尾望都の『百億の昼と千億の夜』のファンだった。
神話とSFを融合させ、宇宙の創造や滅亡を巡る壮大なドラマが展開するストーリー。シッタータ(釈迦)と阿修羅王の出会い、敵対するナザレのイエス。哲学的ともいえる人類の存在意義を問いかける作品なのだ。
この物語の主人公ともいえる戦闘の美少女・阿修羅王のモデルになった阿修羅像が『仏像の知識百科』に載っていた。
奈良・興福寺の阿修羅像は、なんたる憂いを秘めた美少年像!
萩尾望都は少女として描いていたので、この際ユニセックスとしておこう。
厩戸王子といい、私の根幹には「美キャラ崇拝」が根太く横たわっていたんだな。
美しいものに惹かれるのは本能だ。美と怨霊、戦いなどのキーワードはまったくもって相性が良い。
ミーハー度が増し始めると、一気にエンタメまっしぐらである。
▼4番目の連鎖 完全エンタメ方向転換
みうらじゅん&いとうせいこうの『見物記』
この2冊で、横道が逸れたというか世界がさらに広がった。
仏像を歴史の暗部から紐解くだけでなく、今の目線で見たまんまを感じとる。
見た目のインパクトで楽しみまくる。
仏像がセクシーに見えても、スナックのママ風情に見えても構わない。
決して茶化しているのではない。
仏像には顔があり肢体がありポーズもつけてりゃ、そりゃ感性に訴えるわな。
自由に感じていいんじゃないの、美術的造形物と捉えるならば。
『見物記』発刊の1993年当時、レースクイーン・岡本夏生の類い希なるプロポーションがもてはやされていた。それを百済観音と結びつけるみうらじゅんの親近感と煩悩溢れるセンスよ。
『見仏記』が出た頃、仏像鑑賞がちょっとしたブームになった。
私は遅れること7年。2,000年頃になってワクワクしているんである。
高尚なる「聖徳太子&法隆寺探求」は、一気に「仏像追っかけ」に変貌した。もちろん法隆寺や聖徳太子への興味を残したままではあるけれど。
ソレはそれよ、コレはこれ。
というわけで、
漫画『日出処の天子』を読了後、およそ10冊以上の本を経て、
聖徳太子と法隆寺と怨霊信仰の謎に惹かれ、
仏像そのものへの興味、阿修羅とSFへなだれ込んだ。
その後、仏像鑑賞友の会を結成。仏像のミーハー追っかけに錯綜し、
奈良の美術商店でローンを組んで百済観音像を購入する流れは、前記事で記したとおり。
けっこうなライフワークではないだろうか。
読書というのは、アクティブでアグレッシブ。
今は自室にいながらAmazonが本を届けてくれ、電子書籍ならすぐ読める。
それでもAmazonやGoogleは、自分の過去履歴に基づくデータでしかオススメされない。
これだけでは、好奇心の地平は開拓できない。
だからネットも街の書店も図書館も書評も読書ブログも総動員。
ネット社会になった今でも、基本、昔と変わらない。
興味というのは無限だからなあ。
了
▼前記事
★記事の中で紹介したオススメ本★
▼『日出処の天子』
このシリーズ(完全版)なら全7巻で完結
▼『逆説の日本史 古代怨霊編2 聖徳太子の称号の謎』
このシリーズは全26冊。興味のあるタイトルだけ読んでも間違いナシ!
▼『隠された十字架』 梅原猛著
都市伝説とか陰謀論ではなく、これが歴史。仮説の域は抜けないと言われていても妙に納得。「逆説の日本史」の論証と併せ読めばさらに深い!
▼『百億の昼と千億の夜』
光瀬龍の原作より萩尾望都版の方が面白かった(←あくまでタカミハルカ個人的感想)
▼『見仏記』
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