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【歴史小話】大工の家計

江戸時代の市井の人たちはどんな生活をしていたのだろうか?
江戸時代、火事の多かった江戸では大工は花形の職業とされ、比較的賃金の高い職種だったと言われているそうだ。
武士や庶民の家計については、大石学氏監修の『江戸のお勘定』でいくつか紹介があるが、その中には大工の家計も紹介されている。
おそらく『文政年間漫録』の記録が基になっていると思われるが、『文政年間漫録』には大工の暮らしぶりが事細かに書かれているそうだ。

大工の収支

『江戸のお勘定』での大工の家計では、本人と妻、子供一人の3人家族の収支が紹介されている。

[収入]
大工の手間賃(食事代込み):銀5匁4分(10,800円)
1年を354日(旧暦)のうち、正月や雨などで60日休むとして
銀5匁4分×(354-60)日=銀1,587匁6分(3,175,200円)

[支出]
家賃(四畳半二間):銀120匁(240,000円)
米代(3石5斗4升):銀354匁(708,000円)
調味・薪炭代:銀700匁(1,400,000円)
道具・家具代:銀120匁(240,000円)
衣服代:銀120匁(240,000円)
交際費:銀120匁(240,000円)
合計:銀1,534匁(3,068,000円)

[収支]
銀53匁6分(107,200円)余剰。
大工は比較的高収入とされるが、これらの生活費を差し引くと残るお金はほとんどなくて、江戸時代の庶民の暮らしがいかに慎ましやかであったのかがわかる。

『江戸のお勘定』では、物価が安定していたとされている文化・文政年間(1804年~1830年)を基準として、金・銀・銭の換算を幕府の換算基準値を
金1両=銀60匁=銭4000文=米一石
とした上で、この当時はそば1杯が16文だったことから、
そば一杯=16文=現代のそば一杯が大体500円前後
として、現代の価値に換算して1文を30円、そこから金1両を12万円と定義して、現在の相当価格を算出している。

最新の小売物価統計で計算し直すと

ところで、2023年1月時点の総務省の小売物価統計調査日本そば(外食)では、全国平均で672円、東京都区部で686円となっている。
そうすると最新の物価動向での銭1文の換算値は1文=42.9円となり、金一両は金1両=171,600円となる(東京都区部の平均価格で計算)。
この数字で大工の年収を計算しなおすと、大工の収入は454万円相当ということになる。

現代と比較すると

ネットの情報を見てみると、大工の仕事の平均年収は約409万円。日本の平均年収と比較すると低い傾向にあるそうだ。
年代別、地域別で見てみると、
・大工で働き盛りの30代の年収はおよそ406万円
・関東の平均年収は433万円
とあり、それらの情報を勘案すると首都圏の30代の大工の平均年収は430万円前後ということになるかと思われる。

現在の平均年収からすると江戸時代の大工の年収は24万円(月平均2万円)程度高かったことになる。
ただし、江戸時代は米価調味・薪炭代=食費・光熱費が高かったことから、生活に余裕がある訳ではなかったのは確かだ。
いつの時代も余裕を持った暮らしが出来るようになるのはなかなか厳しいようで・・・。

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