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【本を読むって無理じゃない??】 感想:『読んでいない本について堂々と語る方法』 ピエール・バイヤール

はじめに

この本を私なりにまとめると

読んでいない本を堂々と語る。それは その本が他のすべての本の中でどんな位置付けにあるかということを俯瞰的に捉え、本の要点のいくつかを自分自身の背景や経験と結びつけ、自分自身について語ることだ。

ということなんだと思います。
違うかも、難解!


感想

この本は私のnoteの世界での友人のlion様が紹介してくれました。
勝手に私は友だちだと思っているのですが、片思いかもしれません笑

本当にlion様の記事では この
「読んでいない本について堂々と語る方法」
がよく出てくるんですよ。
何度も話題にのぼっています。

何かの宣伝なのでしょうか。

ですがお好きな様子がよくわかるのです。
となれば、やはり読まないわけにはいきませんよね!


早速読み始めます。

『<読まずにコメントする>という経験について語ることは、確かに一定の勇気を有することである』

読んでいない本について堂々と語る方法

ですよね!
だからこそ、この本がどんな本なのか興味があります。

と思って読み進めるのですが、難解。。
おそらく難しく感じさせている点は
・著者の主張なのか、小説の引用なのか案外わかりにくい
・引用されている小説を知らない
・その小説は海外のものが大部分で登場人物の名前がさっぱり覚えられない
ということです。

途中でそれに気付き、もういいや、と思って引用部分は飛ばしながら読みました。


そもそも

『本を読むことは、本を読まないことと表裏一体である』

読んでいない本について堂々と語る方法

なんですって。
うーん、確かにある本を読むという選択の裏側には、無意識でも読まないと決めた無数の本があるわけです。
まぁそもそも無数の本がある中で、全ての本を読むのはおよそ無理な話です。

ですから、『真の教養は網羅性を目指すもの』だ という方向性になり、

『真の読者が把握を試みるべきは、この書物どうしの関係である』
教養のある人間は『その本は他の諸々の本にたいしてどのような関係にあるかは分かっている』

読んでいない本について堂々と語る方法

と言っています。
つまり、実際にその本を読んでいなくても その本がどんな位置付けにあるかという考察でも、十分その本について語れる ということなのでしょう。

さらには、本の内容を読んでいなくても

『その要素のいくつかを掴みとり、自分たちの文化的表現と個人史にもとづいて、その書物について臆することなく発言するのは、何の不思議もないのである』

読んでいない本について堂々と語る方法

と言っています。

ここは理解しやすいところ。
読んだことはなくても、自分の過去の経験や知識、考えからなんとなく本を語ることができる、ということです。

lion様の【実録】読んでいない本について堂々と語る 「世界哲学史6」という記事で、改めて自分のコメントを見てみると、割と的を得たことを言ってたなとニヤリとしました。


そして最終的には自分自身について語っちゃえ、ということです。

『重要なのは、書物についてではなく、自分自身について語ること。あるいは書物をつうじて自分自身について語ることである』

読んでいない本について堂々と語る方法

本で自分の考えを補完したり修正したり。
そうやってできた自分自身を語れば本について語ることになる。
これはまさに読書感想文そのものですね。

さすがに全く本を読まない人物が、読んでない本を語ることは困難です。
しかし、ある程度本を読んで知識の下積みを醸成し、その知識や自身の経験と重ね合わせることで、読んでない本もそれなりに語れるようになりそうです。


読了後の意識/行動の変化

「本を読んでいない」とはどういう状態でしょうか?

この本では、本を読んでいない状態を
「読んでいない」→「読んだ」に至る過程が無段階に連続的に続いていると指摘しています。

読んでいない、という中には
全く読んでいない、ざっと読んだ、人から本のことを聞いた、読んだことはあるけど忘れた
などのサブタイプがあるんですって。

あら?

私は、上の感想で
「もういいや、と思って引用部分は飛ばしながら読みました。」
と確かに書いていますね。

そして、読んだことはあるけど忘れた。
これは思い当たることばかり。
というか、一部分は少しは覚えていてもほとんど忘却の彼方。

とすると、これはもしかして、私はもうすでに
「読んでいない本について堂々と語る」
という状態なのかもしれません。

これは

『われわれはたいていの場合、「読んでいる」と「読んでいない」の中間領域にいる』

読んでいない本について堂々と語る方法

と作者が言っている通りです。

一応誤解のないように申し添えますが、基本的には感想文を書いた本はすべて読んでいます。
うーん、読んでいるつもりです。

しかし この本の「読んでいない」という定義が広範なので、「読んだ」という状態に至るのは通常ほぼ不能だと言ってもいいでしょう。

この本の意見に従うならば、つまるところ、すべての人は「本を読んでいない」ということになってしまうの???

すごく穿った見方をするならば、読んでない本を語るために、「本を読んでいない」状態を広めに定義することで 「ね みんな本を読んでないけど堂々と語ってない?」という結論を導こうとしているのかもしれません。

仮にそうだとしても、その結論を導くために多くの小説を引用しつつ、思考を整理して理論を組み立てていく過程は面白そうだと思いました。

究極的には、その本を読んだか読んでないか誰にもわからないので、読んだよ!って言ったもの勝ちかなと。

そう、だから私はこの本を読んだ!と宣言してこれからも堂々と感想文を垂れ流していくのです。

基本情報

リンク:読んでいない本について堂々と語る方法
入手場所:図書館
読み始めた日:2024年6月26日
備考:感想を共有したくて割り込み投稿です


おわりに

難しい本!
lion様、私の考えたことはこんなところですがいかがでしょうか?
もう頭の中がぐるぐる回りますよ・・


読んで頂き誠にありがとうございます!

髙草木


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