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【映画エッセイ】わが青春の足跡が残ってた!「青春デンデケデケデケ」

映画はクリスタル論に基づいた映画エッセイ番外編というか初代とも言えるのかも?(というほどシリーズ揃ってないけど・・・。)

実は今日仕事の合間に、この映画エッセイを書くための準備をしていた。

(単に見た映画のチラシと見てない映画のチラシを年代ごとに分けていただけ)

すると、みたはずの映画のチラシがないことに気づき、気になってしまい、書類探しが始まっていた。

色々書類をあさっていたら、大学時代に1回だけ発行したフリーペーパーが出てきよった。

覚えたてのワープロ(超懐かしい)を駆使して書いた幻のフリーペーパー「カプリコン➕1」とある。なぜこの名前だったのか本気で思い出せない。1枚とっていて、自分の意思で書いたもしかしたら初めての映画エッセイが載っていた。

それが「青春デンデケデケデケ」だった!

(でも多分、映画館ではなく、テレビ放送で見た時の感想だと思う。ごめん。)

でも、せっかくなので転載する。
ちなみにせっかく発行したのに、発行日も何も書かれていなかった。歴史的価値はゼロだなぁ。当時から抜けていたのだなぁ。
それにしてもカタカナが好きだな・・・流行ってたのかな。


エイガ イン マイ メモリー ①「青春デンデケデケデケ」

青春デンデケデケデケを観たのは高校3年生の終わり頃だった。当時の私は、このエレキギターとロックに傾倒する青年たちの物題を、このままずっと終わらなければいいのに、と思って観ていた。

ラジオから流れるベンチャーズに電気的啓示(エレクトリック・リベレイション)を受け、エレキギターにはまることになったちっくん。そのちっくんを中心に集まった、個性豊かな仲間たち。彼らの交わす、生活感溢れる四国なまりを聞いてるだけでも、この映画は十分に楽しめる。すべての登場人物が、あたかも実際にそこに存在するかのように自然に呼吸し、活き活きとして物語を彩っている。そのせいもあってか、二時間を超える長編のはずなのに、長さを感じさせないばかりか、映画であったことさえ忘れて、みいってしまうのだ。

 当時受験の真っ只中にいたわたしは、終わってしまった自分自身の無責任時代(好きなことだけに熱中できた日々)と無意識に重ねあわせていたのだろう、何も考えず、好きなことだけ熱中している彼らの姿は何だかいとおしかった。

 しかし、当たり前のことながら、現実でも映画でも、そういった日々にも終わりはくる。高校最後の文化祭が終わると、主人公ちっくんは、自分に何もやるべきことがないことに気がつく。パンドメンバーの仲間も、それぞれの進路に落ち着き、ただひとりやるべきことが見つからない彼は、とりあえずしている受験勉強にも身が入らない。

 高校三年の終わり、しかも受験シーズン。このとき、主人公ちっくんはわたしであり、感情移入どころか、ちっくんのもつ焦燥感や不安は、すべて、わたしのもっているそれと同じだった。

ただ、「青春デンデケデケデケ」が、わたしにとってただの青春映画におわらなかったのは、そういった感情への対処法が目に見える形であらわれていたからだろう。

楽しかった思い出や一生懸命に好きなことだけに熱中した日々は終わってしまうし、戻ってこない。しかし、自分ひとりで未来に踏み出そうとするとき、それらの思い出や、仲間たちは、再びエネルギーとなって、自分に勇気を与えてくれる。

 高校三年のあの時期にこの映画に出会えたことは、うれしい偶然であった。

自分が将来、漠然とした不安、さみしさを感じたときにも、この映画は特効薬になってくれるだろう。
by タカコ

映画公開当時のチラシをネットで見つけました。

あ〜恥ずかしい=。物語の説明だし感想文だし、色々ごめんなさい。

でも本当に「青春デンデケデケデケ」は大好きな映画すぎて、ネトフリでもアメプラでも見れないので滅多に買わない(ごめん)アマゾンでDVDも買ったほど好きです。これが、「地方の言葉が美しい」とおもった最初の映画体験だった気がしています。「i ai」を見てもう一回見たくなったので近く見ようと思う。


黒歴史?一回限りのフリーなペーパー公開。

ワープロの技術で書いた表紙。

カタカナだらけだ・・・なぜだ。多分気取っていたと思われる。
この見開き全記事書いてる・・・書き手三人いるのにバラせよ・・・。

「ウェールズ・アニメーション フェスティバルin沖縄」なんて今見てもマニアックなアニメイベントのレポートも書いていた。(全く記憶にない)確かにこの頃の沖縄は文化活動が活発だったと記憶してる。

以上、青春の足跡でした。

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