たかこそうそう

ちいさなこどもたちと過ごす毎日を続けて30余年。 その間に母が認知症になり、看取りまし…

たかこそうそう

ちいさなこどもたちと過ごす毎日を続けて30余年。 その間に母が認知症になり、看取りました。 わたしのちいさな世界を言葉に残してみようかな。。。 そんな思いで始めます。

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たかこそうそうと申します(^^♪

どうしてわたしが たかこそうそう になったのか? 少しおはなしさせてくださいね。 ちいさなこどもたちと関わる毎日を続けて30余年。 そんななかで出会った成長のゆっくりな、はずかしがり屋の男の子。 「たかこそうそう」・・・その彼がわたしのことを初めて名前で呼んでくれました。 せんせいではなくそうそう・・・?? 同僚がその理由に気づいてくれました。 「そうそう、それでいいんだよ」 「そうそう、だいじょうぶ」 「そうそう、できたね」 わたしと彼のやりとりをそばで見ていた同僚

    • いるよね!いるんだよ!!そう思ったんだよ・・・

      「目覚ましが鳴らなかったんだよ~~!」 慌てて飛び起き、あわあわあわ・・・ セットしたはずの目覚まし時計が鳴らないこと、 ときど~きあるのです。 あとから見ると目覚ましの針はセットした 時間よりもずっと遅い時間を指しています。 そりゃあ、鳴らないよね、 でも、 なんで?? 「なんでこんな時間に鳴るの!!  気持ちよく眠っていたのに~~」 セットした時間とはまるで違う時間に 張り切って鳴ってくれること、 ときど~きあるのです。 もう一度眠り、目覚めたときに確認する

      • いっしょに仕事ができたらいいね、ってキミが言ったから・・・

        ずっとずっと前、 デートを重ねていたころ、 カレはときどき言いました。 「いっしょに仕事ができたらいいね」 初めてのデートでカレが見せてくれたのは、 カレが書いた西洋書道と言われる カリグラフィーの作品でした。 きれい! 目がハートになりました。 何が書いてあるのか尋ねると ビリージョエルの『素顔のままで』 の歌詞でした。 そのままのキミがすきだよ、と 言われているのかしら・・・ 自分本位の思い込みで また目がハートになりました。 すきな花を聞かれました。 「マー

        • 出会う人、また出逢う人

          短大を卒業し、最初に勤務したのは幼稚園でした。 そこで同じクラスを受け持ち、ご指導頂いたのは 4歳年上の先生。 かれこれ30年以上、年賀状のやりとりを 続けています。 お互い、近況の写真をおりこんだ1年の様子が よくわかる年賀状でしたので、会っていなくても 存在を感じあえる関係ではあったと思います。 1年に1度のやりとりでしたが、ずっとずっと わたしのこころの片隅にいる、そんな存在でした。 また会いたいなあ・・・ ずっとずっと忘れられない存在でした。 ゆったりと穏やかな雰

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        たかこそうそうと申します(^^♪

          名前を呼ぶよ 名前を呼んでよ

          子育て支援の広場でお仕事しています。 エプロンのポケットのあたりにひっそりと フルネームを書いたちいさな名札をつけて います。 「せんせい」と呼ばれることはありますが、 名前を呼ばれることは、ほとんどありません。 保育園でお仕事しているときは、 「○○〇せんせい」と連呼(!?)されて いましたが・・・。 わたしの名前、知らないだろうなあ・・・ 先日、よく遊びに来てくれていたママから、 「引っ越すことになったんです。」 と報告がありました。 そして、7ヵ月の子の手を私の

          名前を呼ぶよ 名前を呼んでよ

          「老人と海」じゃなくて、「おじいちゃんと鯉」のはなし

          母方の祖父は、わたしが小学校3年生のときに 亡くなりました。 あれは年長さんだったのかなあ、 小学校に行っていたのかなあ、 そんな頃の祖父との思い出です。 おじいちゃんは、口数の少ない人でした。 わたしはおじいちゃんに連れられ よく散歩に行ったことを覚えています。 大人の足なら10分くらいのところに自動車 学校がありました。 そこには、池があって、大きな錦鯉がたくさん 泳いでいました。 「さかな、見に行くか?」 おじいちゃんは私を誘います。 行かない、という選択肢

          「老人と海」じゃなくて、「おじいちゃんと鯉」のはなし

          おばあちゃんが褒めてくれるから

          わたしが子どもだったとき、隣はおばあちゃんの 家でした。おじいちゃんもいましたが、 ❛おばあちゃんち❜ と呼んでいました。 あるあるですね! わたしが赤ちゃんだったころ、母は仕事をしてい て、日昼は、おばあちゃんが見てくれたそうです。 とってもよく眠るいいこだったそうです。 「たかこそうそうはいいこだ」 いつもおばあちゃんは、わたしのことを褒めて くれたそうです。 母が言っていました。 「だって、夜は起きているのですもの」 おばあちゃんちは、お店屋さんでした。 ノ

          おばあちゃんが褒めてくれるから

          おとなが大好きな子になりました!

          子育て支援の広場でお仕事しています。 保育園でお仕事していたときは、3月は卒園式が ありますので、別れと旅立ちの季節でした。 子育て支援センターでお仕事するようになり、 ここにも出会いと別れがあることを知りました。 リピーターの多い広場です。 初めての利用の方には、 「待っていましたよ」 と、あなたに会えて嬉しいです、の気持ちを 伝えています。 2回目の方には、 「また会えて嬉しいです」 と、再度、遊びにきてくれたことへの感謝を 伝えています。 3回目以降の方

          おとなが大好きな子になりました!

          いいところ いいところ、そう言い続けた彼女とわたしの物語

          子育て支援の広場でお仕事しています。 自分よりも20歳若い人とお仕事しています。 今、改めて年齢差を思い返し、驚いています。 いつのまにか同級生と過ごすような氣持ちで 毎日を過ごしていたことに氣づきました。 それほどに彼女との日々が心地良かったと いうことでしょう。 わたしはこの街で生まれ、この街で育ちました。 別の街に住んだこともありましたが、その後また この街に住み、子育てをしてきました。 彼女は別の街で生まれ、別の街で育ちました。 仕事をするようになり、この街で

          いいところ いいところ、そう言い続けた彼女とわたしの物語

          母を想う⑫なんでもあるよ・・・のかばん

          明治のチェルシーの製造が終わることを知りました。 はっと想い出がよみがえりました。 電車に乗って遠くのデパートにお出かけ。 子どもの頃のわくわく特別な日。 1時間以上、揺られていたと思います。 父は長い買い物に付き合うのが苦手でしたので、 女子だけで出かけていました。 隣町の駅を過ぎるころだったのかな、と 思います。 「なめる?」 と、かばんから出てくるのは、決まって チェルシーでした。 家にいるときには出てこない特別なあめでした。 お出かけ用のあめでした。 「箱に

          母を想う⑫なんでもあるよ・・・のかばん

          母を想う⑪ひとりだけれどひとりじゃない・・お雛様の思い出

          幼稚園の先生になり、一人暮らしをすることに なりました。 30余年前のことです。 引越しは3月1日でした。 同じ県内ではありましたが、自宅からは通えず、 幼稚園近くのアパートでした。 引っ越し当日、父、母、そしてトラックを持って いた父の友だち、4人で出発しました。 わたしは初めての一人暮らし、そして、憧れの 幼稚園の先生になれたことへの大きな期待と 不安を胸に父の運転する車に乗っていました。 新しい道路のできた現在よりも遠く、車で2時間 近くかかりました。 荷物を運びこ

          母を想う⑪ひとりだけれどひとりじゃない・・お雛様の思い出

          そのまま、そのまま、ありのまま

          ちいさな街の子育て支援の広場でお仕事ささせて もらっています。 ちいさなちいさな街ですが、北は北海道、 南は沖縄まで、出身地の違うママが たくさんいます。 県としても広く、隣接している県も多いので、 同じ県内の中でも風習や文化、ことばの違いが あります。 異文化交流の場でもありますね。 ・・・これは、だいぶ大げさ。。 遊びに来てくれるママたち。 「今、どのくらいですか?」 「6ヵ月です」 「うちは、8ヵ月です」 そんなことばのやりとりから、少しづつ交流が 広が

          そのまま、そのまま、ありのまま

          悲しみと絶望を越えたキセキの指輪のものがたり

          結婚式を挙げました。 晴れの特異日とされる秋晴れの日、 お姫さまにしてもらいました。 幸せいっぱいでした。 新婚旅行に行きました。 6泊7日で組んだ旅行。 嫁ぎ先の祖母が 「7日帰りは縁起がよくない」 と言って、7泊8日になりました。 幸せいっぱいでした。 朝、目覚めると私たちの新居。 嫁ぎ先の2階の部屋でした。 幸せいっぱいでした。 ゆっくり目覚めて、遅い朝ご飯を食べました。 嫁ぎ先の母が朝寝坊の私たちの分も 用意してくれていました。 3世代同居で主人の弟も一緒に暮ら

          悲しみと絶望を越えたキセキの指輪のものがたり

          「褒めあお~!」「そうそう、褒めあいましょ~!」

          20年くらい前のこと。 0歳から2歳の子どもたちのクラスを5人の 職員で受け持っていたときの話です。 行事の準備や書類、日々の仕事が立て込み、 どこか気ぜわしい、そんなときだったと思います。 やさしいことばの行きかう職員同士でしたが、 忙しさで口数が減っていたときだったのかな、 と振り返ると思います。 子どもたちが昼寝をしている横で、わたしたちは お家の方との大事なやりとりとなる連絡帳の記入 をしていました。 それぞれ集中して、一生懸命に書いています ので、しーんと静まり

          「褒めあお~!」「そうそう、褒めあいましょ~!」

          都会からお嫁に来た奥さんの顔を装っています

          毎年、確実に雪が降り積もる地域に住んで います。 子どもの頃はもっと積雪が多く、 「今年は(屋根の)雪下ろし、1回で済んで  良かったね」 が小雪を喜ぶ言葉でした。 今年は雪下ろしの心配もなく、玄関、 カーポート前の雪かきだけで済んでいます。 それも頻繁ではなく、ありがたや~です。 雪国に生まれ暮らして50余年、 生粋の雪国のひとのわたしですが、 「わたし、雪には慣れてなくて・・・  雪のないところからお嫁にきたもので・・・」 という顔を装っています。 というのは

          都会からお嫁に来た奥さんの顔を装っています

          何年たっても忘れられない花束のプレゼントの思い出

          今から30年以上前の話です。 保育士という言葉はなく保母さんと 呼ばれていた頃、わたしは20代のかわいい 先生でした。 自分で言っちゃあいけませんね・・・ 周りを田んぼで囲まれたのどかなのどかな保育園 でした。 野菜を持ってきてくれるおじいちゃんがいたり、 漬物を持ってきてくれるおばあちゃんがいたり、 畑で育てた花もたくさん届きましたっけ。 100人ほど子どもたちはいたのですが、 ゆったりアットホームな保育園でした。 そういう時代でもあったのだと思います。 卒園式のこ

          何年たっても忘れられない花束のプレゼントの思い出