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ここでちょっと本業

4月。あちらこちらの幼稚園、保育園から泣き声が聞こえる。

ではそもそもなぜ泣くのか。
なぜ泣かない子もいるのか。

それはそこまでの親子関係にある。と私は思っています。
子どもからすると

今まで絶対的に安全な基地(お母さんもしくはそれに代わる人と安全な自宅)で、不安なことなどなく、お腹が空いたらご飯が出てきて、眠たい時には眠らせてくれ、遊びたい時には遊んでもらえる。隣には必ず安全な人が居た受動的な環境から

突然、海外に行け。荷物と最低限の食料だけはある。他に頼る人は付けないから1人で行ってこい。
もちろん、翻訳コンニャクはなしだ。
そして、その海外にはもしかしたら害をもたらしてくる人がいるかもしれないが死ぬ事までは無いだろうから行ってこい。例え自分にとって害をもたらしてくる奴らがいたとしても必ず仲良くしろ。それがミッションだ。

と放り出された状態になる。

大人なら、まずその状況を聞いたら行くか行かぬかの選択になり、まぁ大体の大人であればそんな無謀な事に挑戦しようとは思わないのが普通だと思う。

ところが、その状況を0歳、(産明け)もしくは1歳、(保育園)もしくは3歳(幼稚園)でゴーさせている。

それはそれは恐ろしくて泣くのが当たり前。
まず、自分がどうして欲しいか〝言葉〟というツールが乏しい。そして何より自分の〝軸時間〟が通用しない。自分ではなく〝みんな〟という有無を言わさぬ時間軸が始まる。そして守ってくれる人(保育士、だけど知らない人)は〝忙しそう〟そうなったらもう涙の嵐しかない。

理解するまで涙が止まることはない。

ではなぜここで泣かずに行ける子もいるのかと言うところに戻ると

生まれたての赤ちゃんの状況から常に快、不快を判断し、その子の起こすアクションと自分がしてほしいアクションを合致させてきた環境で育てられた子たちは泣くことが少ない。
それはなぜなら、そこに至るまでに〝状況を理解する〟と言う力と〝聞く力〟どうして欲しいかのかを発信する〝助けてもらう力〟が備わっているからだ。

絶対的安全な基地から出されても戦える力が備わっていれば、泣いて訴える事はない。

例えばトイレトレーニングの場面でよくありがちなのは
・トイレに行けたら、おやつあげるよ、などの交換条件では理解はできません。
そもそもトイレに行かなくては行けないのはなぜなのか?ちゃんと答えられますか?
みんな3歳までにオムツを外すから。ではありません。
オムツでするより気持ちいいよ(快)トイレでする方が心地いいよ(快)
それ以上でも以下でもありません。

おやつをあげる(ご褒美)とくっつけるのは、成功してくれたら大人が楽だから。
ご褒美は快適不愉快に結びつく事はないのです。
つまりその子の快、不快を理解した言動ではないんですね。

交換条件を提示すると次からはもっともっとと交換条件だけが前に押し出され本来どうすべきかという
〝考える力〟を失わせることになります。

はたまた
・皆んなと仲良くしなさい、おもちゃかしてあげなさい、仲良くできないならおもちゃ捨てちゃうよ

これも
なぜ皆んなと仲良くしなければならないのか。なぜ自分の大事なおもちゃを貸すべきなのか、貸せないなら捨てられる。(しかも絶対に捨てない。笑)
全く意味がわかりません。そもそも誰と仲良くしたいのか、それは保護者が決める事ではないので、おもちゃを捨てちゃうよと言う言葉はもってのほかですね。
まだまだ言葉が足りないので友達と喧嘩になるのは当たり前のこと、状況の前後をちゃんと見て、そもそものところ仲良くしたかったのか、なんで遊びたかったのか、もしくはそうじゃなかったのか。我が子であってもそうでなくても〝状況をよく把握すること〟が最も大事ですね。

ママ友と気まずくなるから仲良くしておいてー。←これはまず子どもの為なんかではなく大人のためです。子どもにとっては〝不快〟以上のなにものでもありません。

その延長線上に入園があって、今まで誤魔化されてきた不快を拭うことのできない関係性の中ゴーしてこい。は意味がわからなくなって当然です。不安になって当然です。

ではどうしたらいいか。
〝快、不快〟
泣かずに行けるようになるためには‥

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