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Don't think. Feel.

今年から歌を歌っている。
我ながら真剣に取り組んでいて、どうしたらもっと声が出るか?誰それのように歌うにはどこをどうすればいいか?など、本当にいつになく真剣である。

しかし、そうやっているうちになんだかちょっと疲れてきた。というか楽しさが半減してきたことに気がついてハッとした。好きな歌を歌っているのに楽しくなくなっては本末転倒ではないか!

何事も楽しくないとひとつも続かない。誰よりもそんな性分なのはいちばん自分がわかっているはず。なのに、何かを始めると無意識に型にはめようとするクセがある。誰もそうしろなんて言わないのに、勝手に型にハマろうと、そちらの方向へいってしまうのだ。


自分はセラピストでもあり、エステをしているのだが、思えばそれも自分で足かせを履かせていたことに気づかせてくれた人がいた。

「こうあらねばならない」という思考でやっていると、自分が本来発揮できるはずのヒーリング力だったり、クライアントの自浄能力がはたらかず、そりゃあ楽しくないだろう、と。

なによりあなたらしさが封じられてしまう。だから「考えるな」と言われた。なんならサロンの壁に「考えるな」と書いて貼っておけと。笑

そうなのだ。感覚で喋り、行動するタチなのに
ずっと考えているんである。正確に言えば、ずっと思考で頭の中がぐるぐるしているのである。
そしてそれをやっているうちは、パフォーマンスというものがまったく発揮されないので周りも私自身もちっともおもしろくないのだ。

たぶん思考することをやめるのが怖いのだと思う。思考することで無意識に自分を守ってきた部分もかなり大きいように感じる。

コンプレックスもあった。勉強が好きではなく、学歴も高くなく、バカだと思われるのが本気で怖かった。そう思われないように必死にふるまってきたところさえある。

でも皮肉なことに思考から離れるとき、バカをやって楽しかったりおもしろかったりするときがいちばん自分が生きている感覚に満たされるのである。
楽しい、おもしろい、嬉しいなどの感情は理屈ではなく、ただ楽しいから笑うのであって、そこに思考の入る余地はなく、自分だけでなく周りもそのエネルギーに満たされる。

エステも歌も、なにも考えずただ楽しい、それだけを感じてやったときのほうが圧倒的に結果が出るのだ。圧倒的にである。雲泥の差。笑

そんな話を先日親友にしたら、
「バカでいい、いや、バカがいいよ。
 そうやってバカやってる時のあなたのほうが
 好きだよ」と言われた。

数年前の自分だったらその言葉は到底受け入れられず、おそらく親友とは絶交…ということになっただろう。しかし今、バカでいいんだと思えることの、この肩の軽さよ…。

人はこうしてひとつずつ重い鎧を脱いでいくのかもしれない。

座右の銘は?と聞かれる機会がもしもあったら、リー先生(ブルース・リー) の Don't  think.  Feel.  とニヤニヤしながらこたえたい。






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