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「フラットな人」は分かるけど、「フェアな人」ってなんだろう?

前回書いた「忘年会スキル✕地方移住フリーランス」の記事、たくさんの方にシェアいただき、直近の記事なのに僕のnoteで最も読まれた記事になりました。ありがとうございます!

そして、いつも絡んでいただいている猫山課長からのコメントが興味深かったから、今回はこれについて考えてみることに。



フェア、そしてフラット。

フラットは、たまに言ってもらえることもあって、実際に心がけていること。自分の主義主張はあれど、なるべく客観的に見たいとは思うよね。

…こいつアホだし、たかっか信者だから真に受けちゃダメだけど(ひどい)、実はやるときはストイックに頑張るし、看護師界のブラックリスト入りを果たした奢られヤーという隠れた実力者。

…そんな話じゃなかったw


なんというか、「フラットな人」は僕の憧れみたいなもので。

僕の考える「フラットな人」とは…。

  • まず大前提として、自分の意見と立場が明確

  • その上で、自分の守備範囲外の話題でも、専門分野の応用だったり、持ってる知識との類似点を使って論理的に話せる

  • 良いと感じた意見は受け入れる

  • 否定するのは意見であって相手ではない


で、僕の場合は友達同士のおしゃべりとかSNS投稿レベルで意識することであって、重大な意思決定に関わることはほとんどない。

だから、絶対の正解を導き出すためというよりは、気付きとか考え方のヒントにつながればいいな〜、ぐらいの感じでフラットさを意識してる。



これを意識するようになったのはフリーランスになってから。

僕のブロガー時代の初期にブログ運営やマインドを教えてもらってた人に、岡田斗司夫さんのニコ生を紹介してもらったのが直接のキッカケかなぁ…。


はい、彼のアレコレはもちろん知ってますよ!

そして、まさにこれこそ「フラット」の見せ所ですよ!!

すごい部分もあるし、クズな部分もある。

クズな部分があるからといって、全てがクズとはならないわけで、すごい部分をすごいと思うのなら、そこを見習えばいいのです!

岡田さんのすごさは、基本的にはSFオタクであり、アニメ制作会社の代表だったという人が、あの論理的思考力とトーク力。

たぶん、多くの作品に触れて、いい作品を作ろうとしていく上で不可欠な要素だったんだろうけど、それをベースに社会問題から恋愛まで、たいがいのテーマを語れちゃうんだからほんとすごい。

それを武器に、ニコニコ生放送をもう10年以上やってるわけで…YouTuberという言葉が生まれる何年も前から始めて、未だに続けてるんだよ…60過ぎのおっさんが。発信おばけ。

実際、僕も本を買って(ある程度)実践したし、なんならオンラインサロンにも1年ぐらい入ってたw

まぁ、天才になったかどうかはともかく、他人から「フラット」と言われるようになる程度には効果があったんだろう。


あと、この観点から好きなのは落合陽一さん

はいはい、分かるよ。

なんかそれっぽいこと言って煙に巻いてるだけのような気もするよ?w

ただ、彼もまたコンピューターの専門知識をもとに、世の中のあらゆる事象をきっと数式に変換できていて、そこから数学的な思考をしてトークにつないでるような気がするのですよ。

専門外の分野に正解を出せているのかは知らないけど、少なくともそれなりの階層の人々の過半数ぐらいには「鋭い」と受け止められるような考えを提示できている。

その部分がかっこいいなーと思うわけです。

僕の場合、全国規模のメディアでなにかカッコいいことを言う必要性に迫られることはないから、煙に巻く部分まで習得する必要はないしねw



ここまでは「フラット」の話だったけど、「フェア」とはどういうことだろう?

公平、公正…。

前回の記事から考えると、僕自身は会社の忘年会に参加するのが嫌で嫌で仕方なかったと言いつつも、そこから得られるものにはフリーになっても有効活用できるものあるよね…と認めてる部分かな。

「自分が反対の立場でも、相手のいい部分は認める」

(…ただし、それを受けて行動変容するとまでは言ってないw)


これから書くことは、あくまで僕の感覚でしかないんだけど。

「自分が反対の立場でも、相手のいい部分は認める」と言われると、「そんなの当たり前じゃん」と感じる人が多いはず。

だけど、「ああいうこと言ったから良い人・悪い人」という考え方をしている人は結構多い気がしていて、これはとてももったいないし、時には危険な考え方だと思うんだよね。

「あいつ〇〇界隈だから〜」とかもそう。

単純な話で、どんな偉人にだってクソなエピソードのひとつやふたつ、あるわけよ。でも偉人。

その根っこにあるのは「ヒトはミスをする生き物」ということであり、最近だと「ヒトは合理的な生き物ではない」なんて話まである。

このことを否定する人はまずいないけど、なのにどうして「ああいうこと言ったから良い人・悪い人」になるのか?


もちろん、僕も聖人ではないから、対立する意見の持ち主を積極的にフォローしたりはしないけど、「一応、大衆の考えも知っておこう」とYahooニュースをチェックしてたりはする。

すると、専門家の書いた記事を目にして「またこいつこんなこと言ってるよ…」と感じることはあるんだけど、だからといって「こいつはダメ」とは考えないようにしてる。

同じ人の記事でも徐々に論調が変化したりもするし、気に食わない考えが中心でも、部分的には大切な考え方が混じってるようなこともあるし。

そもそも、僕自身が間違ってる可能性だってあるわけで。

逆もまた然りで、幸いにも僕は素敵な方々と接する機会を得られているけど、みなさんの考えの全てを受け入れはしないし、友達の考えを否定することだってある。

だけど、それは相手自身を否定するわけじゃないし、もちろんそこで関係を経つわけでもない。



…とかなんとか書いてると、すごく当たり前なことを長々と書いてきた気がする。そんな特別なことはしてないような。

「言うは易く行うは難し」ってやつ?

冒頭に挙げた要素のうち、敢えて特徴的な部分を挙げるとすれば、太字の部分な気がする。

  • まず大前提として、自分の意見と立場が明確

  • その上で、自分の守備範囲外の話題でも、専門分野の応用だったり、持ってる知識との類似点を使って論理的に話せる

  • 良いと感じた意見は受け入れる

  • 否定するのは意見であって相手ではない

それができていると感じる人を見つけて、そのやり方をマネしようとすることがポイントか?

もし「たかっかスゲェ」と思っていただけたなら、明日からこれを意識してマネしてみてください!


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